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籠の鳥の卵が割れるまで  作者: 鳴田るな
愚者編 前
1/99

愚者1

「お前ももう身体だけは大人になったから、一応言っておこうと思う」


 厳格で頑固、それで怒るときは三軒先まで声が届くほど。

 雷親父のお手本のような父が神妙な顔をしてそんなことを言い出したのは、十六になった春のことだった。


「これは我が家にある、とある物を開けるための鍵だ。時期が来たらお前に託す。何の鍵かもそのとき教える」


 父が取り出したのは、首からぶら下げている細長い棒のような形状の何かだった。当時の僕はそれを、たぶんまじないかお守りみたいなものなんだと思っていた。

 ものすごく怖い顔をして言うので、こちらもせいぜい拳骨が飛んでこないよう真面目に振る舞ってみていたものの、その後父は黙り込んでしまって何も付け足す気配がない。

 元から相当気が短い自覚のある僕は、すぐにもぞもぞと手足を動かしてから思わず聞いていた。


「あれ。それだけですか、父さん」

「精進しろ、未熟者!」


 どうも今の静寂は、吟味も兼ねていたらしい。それで予定調和に僕は認められなかったということだ。

 ぴしゃんと言い放った父は、部屋を出て行くついでについでに乱暴にぴしゃんと扉も閉じた。ぴしゃんというかもうがしゃんだな、あれは。そろそろ蝶番が破壊されそうだ。

 家族はもう僕たちのやりとりに慣れきったのか、これほど大きい音が出ても顔を出してこない。


 僕は肩をすくめ、ため息を吐き出した。

 続きの日なんて父が生きている間はまずやってこないだろうな、と頭を掻きながら。



 そんなわけで、僕の方ははなっからまったく期待しておらず、そのときのことはそれ以来すっかり忘れていたわけだが、頑固でこうと決めたらてこでも動かない父はちゃんと自分の言った事を覚えていたらしい。



 大体十年後の冬の夜、僕は深夜いきなりたたき起こされることになった。


「お前もそろそろ目をつぶれば見られるようになってきたから、秘密を教えておこうと思う」


 眠い目を擦っている僕に向かって父は憮然とそう言い放った。

 僕は寒さやら眠気やらで朦朧としかける自分を励ましながら、ぼんやり首をかしげる。


 目をつぶれば見られるって、やっぱり及第点には達していないってことなんじゃなかろうか。

 まあ確かに、父の方が未だに鍛冶職人の腕は上だ。

 というか、そもそも違う部分にそれぞれ得意分野が分かれているだけなんじゃないかとも思うけど。

 僕は昔から、質より量や速さを優先するタイプで、父は作る数が少ないがその分どれにも力を入れるタイプだった。

 ただ僕の飽きっぽさや流行にすぐ流される軽い性格は職人気質の父には許せない点らしく、いつまで経っても渋い顔をし続け、怒鳴られ続けていた。



 それがいったいどういう風の吹き回しだろう。


 父は散々他の家族が寝静まった事や、僕たち以外誰の目も耳もないことを確認してから、倉庫の奥を漁る。

 すると壁がごとりと音を立てて動き、見たこともない棚が石の中に現れる。

 家にそんな隠し棚があったことも、父が後生大事そうに棚から出してきたその箱も、僕にはすべて初めて見る物だった。

 豹変した父の態度といい、これは夢なんじゃないかと何度も目を擦る。


 父は首にいつもぶら下げているあの細長いお守りを取り出すと、それで箱の一部分を指さす。

 なるほど、ようやく正体がわかった。鍵だ。箱を開けるための。


「この箱は、我が一族が代々受け継いできた物。私が死んだらお前がこの箱の番人となり守護者となり管理人となる。箱の中身は誰にも見せてはならない。我々は一生をかけて秘密を守り、誰の目からもとどかない場所に隠し続けなければならない」


 厳かに語る父を、今は茶化す気になれなかった。

 何しろ、少々貧乏な一般庶民的暮らしを続ける我々の家にまったくそぐわない、それこそ豪商やらお貴族様やらが持っていそうな、きらきらと光る石がいくつも埋め込まれた、豪華な装飾の箱なのである。


 うっぱらったらどんぐらい遊べるだろうか。

 おっと、そんなことを考えたら不謹慎か。

 何にせよ箱だけでもかなりの値打ち物だということは一目でわかる。


 しかし、興奮と共に胸の内にわき上がる次の物はありとあらゆる種類の疑問だ。

 僕の口から、心に浮かんだ数ある中で最もふくれあがった物がするりと抜け出ていく。


「中に何が入っているのです?」

「お前が知る必要はない」


 予想できなかったわけではないが、帰ってきたのは冷え冷えとした答えだった。

 だがここでめげる僕ではない。

 父の大嫌いなへらりとした微笑みを浮かべ、申し訳程度に煽らないようつとめて穏やかに言葉を重ねる。


「でも父さん、そりゃおかしな話ですよ。空箱だったら一体どうしてそんなことをしなければならないのか、まるでわからないじゃあないですか。それに開けられる鍵だってあるのに」

「私の母も、私の祖父も言いつけの通りに護り続けてきたのだ。お前もそうしなさい――」


 僕の軽薄な気配に早速大いに気分を害したらしい父が、そのまま身体を二つ折りにしたかと思うと大きく咳き込んだ。

 反射的に背をさすってやろうかと一瞬手を伸ばすが、大いに罵倒される未来しか見えないので引っ込めて、落ち着くまで見守ってから再び声をかける。


「父さん、もう年なんですから夜更かしはほどほどにして、身体を大事にした方がいいですよ」

「やかましい」


 ぴしゃんと言い放った父は、鍵も箱もさっさと元の場所に戻してしまったかと思うと、部屋を出て行くついでに勢いよく扉を閉じた。

 けれど以前より精彩に欠けた動きは、耳に痛いほどの音を響かせない。

 蝶番がゆるむ様子もなかった。

 僕は閉じた扉をじっと見つめていた。

 いつだって大きくぴんと伸びて威圧的な背中のはずだったのに、あんなに曲がって小さなものだったろうか。

 静かになってしまうと、それはそれで不思議と物足りない気分になるものだ。

 嫌がられても背をさすってやればよかったかもしれないと、柄にもなく少し思った。



 父と僕はお互いの質的に馬が合わなかったし、たぶんどんなに過ごしたところで父が僕を認める日なんてやってこなかったに違いない。

 それでもあの時僕に秘密を打ち明けたのは、何か予感めいたものがあったのだろうか。



 父は翌日、橋から足を滑らせた。

 六十を過ぎ、風邪をこじらせて弱っていた身に、真冬の川は冷たすぎたらしい。


「ほぼ即死だったろう。親父さんは苦しまずにすんだんだよ」


 引き上げたらしい近所の若い衆に言われるのを、どこか遠くで聞き流していた。

 奇妙に穏やかな死に顔を眺めながら。


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