君は、チェイサーというよりシーカーだね。
「追跡者だというのなら、そこに心はいらない。欲はいらない。情はいらない。そうあれないというならば、それは追跡者ではなく探求者であるべきだ。君のそれはもはや、追跡者とは呼べぬさ」
土曜日の午前十時過ぎ。
もうすでに賑わいを見せている王都のメインストリートから、数本道を逸れた静かな路地裏。
その一角にひっそりと佇む、落ち着いた雰囲気の二階建ての建物。
その一階部分に吊るされた小さな看板には、本とティーカップのマークが描かれている。
おそらくは、一階がブックカフェに、二階は住居になっているのだろう。
レンガ造りのレトロな外装に、丸みを帯びた木製の扉。
メニュー看板の類は見受けられないが、扉には小さくopenの表札が掛けられている。
扉を潜り店内に入り、まず目に付くのは、壁を埋め尽くす蔵書の数々。
本来、全体が白いはずの壁は、その殆どを焦げ茶のアンティークな本棚で隠されている。
歩く度に小さく軋んだ音を立てる、年季の入った木目の床と、その上に置かれたティーテーブルセットも焦げ茶のアンティーク調で揃えられている。
そして、視界を上へ向ければ、シンプルながらもなかなかに洒落たデザインの黒色のシャンデリアが、白色の壁と相まって、絶妙な存在感を放っている。
色も形もその配置も、全てが整えられた、完成された空間だ。
この店に初めて訪れた者の大半は、まず最初にそんな思いを懐く。
そして、次に思うのは、決まってこれだ。
「いつも思うけど、本来カウンターの中に居るはずの店員が、お客に混じって一緒にお茶を飲みながら、本を読み漁っているのは、如何なものなの?」
己の隣で本の世界に没頭している相手に対して、こてん、と小さく首を傾げながら、常に感じていた疑問を投げかける。
三つほどあるテーブルセットの内の一つに腰掛ける、真っ白なローブに身を包んだ、ウィザードクラスと思われる女性。
その真っ白なローブにも引けを取らない、雪のように白い肌と少し釣り目がちな銀灰色の眼差し、そして、何よりも目を引くのは、その瞳と同色の癖のない長い髪。窓から注ぐ陽の光を反射して、まるで自ら光り輝いているかの様に眩い。
アンティーク調の落ち着いた雰囲気の店内と相まり、その場面を切り取ったならば少なくない値のつく絵画になり得るほど、その様は美しかった。
「やだなぁ、君も知っているじゃないか。僕はただ、自分が一番落ち着いて読書に没頭できる環境を作ろうとして、その結果たまたま、何故か、喫茶店と言う形に落ち着いてしまっただけだって。それに、頼まれたらちゃんとお茶くらいお出ししているだろう?」
店員と呼ばれたもう一人は、おそらくクラスがセージなのだろう。
ウィザードとはまた違った意匠の、渋めの色合いのローブを羽織り、控えめな細工のなされたモノクルを左目にかけている。
ティーテーブルの上には、確かに二人分の紅茶が準備されており、そのティーセットまでが、非常に趣味の良い一品であることが伺える。
「仮にもお店なんだから、当たり前でしょう……」
呆れを多分に含んだ声色で、溜息をつきながら正論を返すも、言われた本人は何処吹く風といった態度でさらりと流す。
そして、お返しと言わんばかりに、その顔にからかい混じりの笑顔を浮かべる。
「そもそも、この店に本と紅茶だけを求めて来店する客など居やしないだろう?君がそうであるようにね。なぁ?白銀の魔女様?」
"白銀の魔女"と呼ばれた女性の反応は顕著だった。
眉尻を吊り上げ、眉間に皺を作り、さも不愉快だと言わんばかりの表情だ。
「その恥ずかしい名前で呼ばないでっていつも言っているでしょう!」
その表情のまま相手を睨みつけ、叫ぶように、というよりは悲鳴に近い声で相手を詰る。
かと思えば、すぐに両手で顔を覆いテーブルに伏せてしまう。
「なによ"白銀の魔女"って!カラーリングとクラスのまんまじゃない!無駄に中二病な名前よりはマシかと思ってたけど、これはこれで逆に恥ずかしいわっ!好きでこの色なわけじゃないのに、『あぁ、あれが白銀の……』的なこと言われると、何だか無性にむず痒くて仕方ないっ!」
心底恥ずかしいのだろう、小さく唸る様な声を零しながら身悶えている。
それとは対照的に、店主であるらしいその人は、さも愉快だと言わんばかりに、カラカラと声を立てて笑っている。
「ハハッ。そもそも、カラーリングがそれぞれ完全ランダムでありながら、設定されている色は約500色。髪と瞳の色が完全に一致する人間は相当少ないんだ。それだけでも十分目立つというのに、君はあれの追っかけだからね、余計に悪目立ちしているのさ」
きっと、「あれが白銀の……」に続く言葉は、「漆黒ののストーカーか……」だろうさ
肩の辺りで切り揃えられた鳶色の髪と、べっこう飴のように甘く艶のある琥珀色の瞳を持つその人は、そう言いながら、意地の悪い笑顔を浮かべている。
「それもいつも言っているけれど、私はストーカーなんかじゃないから!どちらかと言わなくてもチェイサーだから!……追っかけは否定しないけど」
むぅ、と小さく唇を尖らせながら、いかにも不満ですと言いたげな表情だ。
それに対して、一転。
店主は真面目な顔になり、こちらも予てからの疑問を口にする。
「そこだよ、そこ。僕が疑問に思っている所はそこなんだよ。君は確かにあれの追っかけだ。死神くんのストーカーだ。だと言うのに君は自身をただの追跡者だという」
そこに関心は存在しない。
「確かに、君には目的があると聞いた。追う理由があると聞いた。そこに負の感情が見当たらなかったから、僕は君に手を貸している」
そこに好奇心は存在しない。
「情報を売り買いしている人間であるが故に、情報の重要性も理解している。しかし、否、そうであるが故に僕は知りたいと思う」
そうであるならば、その衝動の根底にあるモノは何か。
「比喩表現無しで正しく死にたがりな彼を追跡してまで、君が彼に問い質したいこととは、一体全体何なんだい?」
その場を静寂が満たした。
しかし、それはそう長くは続かなかった。
カチャリ、と。
小さな音を立ててティーカップを手に取り、その芳醇な香りを暫し楽しんだ後に、それに口をつける。
豊かな香りで心を癒し、最適な温度で出されたそれで喉を潤す。
そして、長くも短くもない沈黙を破り、彼女は語り出す。
出会いの出来事を、その時の感情を、そして同時に生まれた、未だ応えの無いその問を。
彼女は語る。
嘘偽りない、自身の本心を。
彼女は語る。
好意も悪意もない、純粋な願いを。
彼女は語る。
自身のそれは、自己満足で身勝手なことだと…………。
そして彼女はこう締めくくる。
「死神と呼ばれるあの人はね、死にたがりであるあの人はきっとね、只々、生きたいだけなんだよ」