水たまり
クラシカルな雰囲気が漂うホラーです。
その水たまりがいつからそこにあったのか、はっきり覚えていない。
家の脇に舗装されていない狭い路地があって、子供でも助走をつければ簡単に飛び越えることができる水たまり。
どこにでもある変哲もないその水たまりは、不思議なことに雨が降ってから晴れた日が数日続いても消えなかった。真夏の暑い日でも蒸発しなかった。
お母さんになくならない水たまりがあるんだよと話しても「そうなの」と軽く受け流されてしまった。
ある日、学校から帰って家の外で一人遊びしていると、白い野良猫が水たまりの周りをウロウロしていたので、ぼくは猫と戯れようとそれまで塀にぶつけて遊んでいたピンク色のゴムボールを転がして猫に追いかけさせた。
不意にゴムボールが水たまりの真ん中でピタリと静止した。猫はボールにつられて水たまりの中へと入る。
すると、猫が溺れた。
必死に首を伸ばし、手足をバタバタさせるが、なにかに引っ張られるようにあっという間に水たまりに飲み込まれてしまった。
唖然として助けることを忘れていたぼくは慌てて水の中へ手を入れるが、猫どころか水の抵抗しか感じることができない。肩の位置まで右腕を突っ込んでも水たまりの底に触れられなかった。
深さを確かめるために小石を水たまりの中へ投げると、まずいものでも吐き出すみたいに跳ね返してきた。
(えっ?)
重さが関係しているのかもしれないと今度は大きな石を両手で抱え、ゴロンと水たまりの中へ転がした。
しかし、石は歪な形を水面から出したまま沈んでいかない。
(生き物だけ沈むのかな?)
小動物を使って実験するのはさすがにかわいそうだし、それに自分を犠牲にする勇気はなかった。
(近寄るのはよそう)
そう心に決めてから水たまりのことを忘れようとしたが、家から外へ出たとき、帰ってきたとき、どうしても水たまりが気になる。無視しようとすればするほど視線が路地へとそそがれる。
夢にまで出てくるようになってぼくは水たまりの中で溺れる映像を何度も見せられた。
ぼくはバケツを使って水を掬おうと行動を開始した。落ちないように細心の注意を払い少しずつ水を捨てた。でも、なかなか水は減らなかった。やけくそになって汲み上げるスピードを上げたが、水たまりに変化の兆しはない。
手ごわいなと思っていると、近所で悪ガキのレッテルをはられている後藤という上級生がやって来た。
「おい、なにやってんだ?」
言い方は粗暴であきらかに退屈している様子だった。
「な、なにも……」
ぼくがばつ悪そうに答えると後藤がニヤついた顔で近づいてくる。
「なにしてんだよ?」
繰り返しきかれてもぼくは首を横に振るだけしかできない。水たまりのことを説明したら実験材料として落とされるのは目に見えている。
黙っていることが気に食わなかったのか、後藤はぼくを突き飛ばした。
「うわっ!!」
水たまりの中へ落ちると思った瞬間、以前深さを測るために転がした石の上に踵がのっかった。石を踏み台にして水たまりを後ろ向きで飛び越え、難を逃れた。
ぼくの奇妙な行動に後藤は顔をしかめると威圧をこめて右足を力強く踏み出した。水しぶきを上げてぼくの服を濡らそうとでも思ったに違いない。
それが命取りになった。後藤の右足は水たまりに引き込まれ、階段を踏みはずしたような体勢で頭から沈んでいく。チャッポンと水面が鳴っただけで悲鳴なども聞こえてこなかった。
(明日から平和になるな)
ぼくは水たまりの使い道を知った。
それから数週間後、久々にお父さんが帰ってきた。
お母さんは目を合わせた瞬間びっくりした顔をしたが、そのあとは無視を貫き通した。
「おい、酒はあるか?」
元気だったか?という挨拶もなしに馴れ馴れしくお母さんをこき使おうとする。
まるで昨日まで一緒に生活していたみたいに接してくる。しかもすでにどこかで飲んできたらしく、顔は真っ赤で目はとろんと垂れ下がっていた。
「お父さん」
ぼくは外へ連れ出すため、お父さんに手招きした。
「坊主どうしたんら?」
口がうまく回らないお父さんは息子に声をかけられてうれしそうについてきた。
ぼくは野球帽を水たまりにそっと落とした。
「あれ、拾ってよ」
そして、水たまりに浮かぶ野球帽を指差す。
「ひょうがないなぁー」
なんの疑いもなく身を屈めたお父さんの背中をぼくは後ろから力一杯押した。
<了>
ホラーの長編で「無期限の標的」「狂犬病予防業務日誌」とホラーの短編で「娘、お盆に帰る」「水たまり」「付きまとう都市伝説」など多数投稿しています。
恋愛の短編でも「木漏れ日から見詰めて」という作品を投稿していますので読んでくれた方は感想と評価をお願いします。必ずコメントを返信します。