覚悟と壁の向こう側 03
「――その娘の周りには、白い薔薇が咲き乱れている。故に、その薔薇が赤く染まる前に、その娘を殺さなければならない……」
リーダーらしき男が、自分をを殺そうとした理由として、そんな風な訳の分からない話をしていた事を、特に重点的にティナヤは記述した。
(余りにも訳が分からな過ぎる話だったから、頭がいかれてる連中の戯言だと思ったのよね、あれ)
昨日よりは明確になり、色々と思い出している、襲われた当時の事を記憶の中から引っ張り出しながら、ティナヤは心の中で呟き続ける。
(襲われた頃は。余り思い出したくも無い事だから、そのまま考えない様にしてる内に、そのまま忘れちゃったんだけど……)
書き込み終えたティナヤは、メモの様に開いていたシールドカードを閉じる。そして、表側に描かれている鍵のマークを、軽く指で押す。すると、シールドカード全体が仄かに紫色の光を放ち、鍵のマークが八桁の数字を書き込める記入欄に変化する。
シールドカードが、封印されたのだ。これで鍵番号を知るナイル以外の人間に、中身を覗かれる可能性は、殆ど無くなった。このタイプのシールドカードの場合、封印の際はカード自身にチャージされている魔力を使うので、煙水晶粒は必要としない。
ちなみに、ナイルが連絡手段として、手紙や貨物として輸送しなければならない、シールドカードを指定したのは、煙水晶界では無線や有線による遠距離通信手段が、事実上使えないからだ。
煙水晶界の大気中には、過去に使用された膨大な魔術の影響で、大量の煙水晶塵が漂っている。この煙水晶塵が、電波であれ魔術による何らかのものであれ、あらゆる信号を拡散減衰させてしまうので、無線通信は不可能。
聖盗が煙水晶塵を頭に吸い込んで、二色記憶者となった様に、煙水晶塵は物体を透過してしまう場合がある(無論、通過しない場合もある、そんな不安定で融通無碍な存在)為、シールドを施したケーブルなどによる有線通信も、例え地下に埋設しようが、信号が撹乱されてしまう為、無線と違い不可能では無いとはいえ、一部の政府施設内を除き、殆ど使用されていない。
生物にとっての環境汚染が、事実上存在しないともいえる、クリーンな魔術文明を発展させた煙水晶界は、科学文明を発展させた蒼玉界程に、世界を汚してはいない。ただし、魔術文化も環境への影響は皆無という訳ではなく、煙水晶塵による通信手段発展の阻害は、その影響の一つといえる。
「じゃあ、これ……お願いします」
ティナヤはシールドカードを、千鶴に手渡す。
「出来れば今日中に、遅くても明日の朝一番にはダンナの所に送るから、十五日前後には着くんじゃないかしら」
シールドカードを受け取りながら、千鶴は大雑把に到着日を予測する。亜細亜大州の外れにある東瀛州から欧大州に、郵便物などの貨物を送ったり、人が移動する場合、普通は陸路で四日前後かかるのだ。
東瀛州から欧大州までの距離は、蒼玉界における日本からヨーロッパと、ほぼ同じ。普通に陸路を走るだけなら、その数倍はかかる筈なのだが、四日前後で到着するのは、煙水晶界の各所に、縮地橋が存在するからである。
ワームホール・ブリッジとも呼ばれる縮地橋は、煙水晶界の各所に存在する、別々の場所を繋いでしまう、異常な空間の歪みを利用し、遠距離を移動する施設の総称である。例えるなら、SFなどに出て来るワープゲートの様なものだ。
虫が果実を食らい、トンネル状の穴を作る様に、空間が歪み過ぎた結果として発生した、空間に穿たれたトンネルの様な穴が、煙水晶界には多数存在する。その中で安定的に存在し続けている大型の穴の中に、大抵の場合高架橋を通し(地上よりも、ある程度の高さに、穴が存在する場合が多い為)、遠距離をショートカット可能な通路として利用しているのが、地面を短く圧縮し、近付けてしまうかの様な橋という意味で、縮地橋と呼ばれている。
亜細亜大州と欧大州を繋ぐ縮地橋……欧亜縮地橋を利用すれば、数千キロの距離を数分でショートカット出来る。通常の車や鉄道を利用しても四日間前後で、移動できるのだ。
黒猫団が那威州から二日で戻った際も、欧亜縮地橋を利用していた。通常の半分といえる二日で戻れたのは、イダテンに異常なチューンナップが、なされているからである。
ちなみに、蒼玉界での最速の交通手段は飛行機、空路となるのだが、煙水晶界には空路は無い。飛行機自体は魔動型のが発明されたのだが、煙水晶界の空は、空間が歪んでいたり、不安定だったりする場合が多いので、飛行機を飛ばすには危険過ぎる為、飛行機に限らず飛行船や気球の類も、交通機関や輸送機関として、発展する事は無かった。
こういった空間の歪みは、過去に使われた大規模魔術の影響として、発生したものだという説が有る。そう言う意味で、この空間の歪みによる飛行機などの発展阻害も、通信手段発展の阻害同様、魔術文化が環境に与えた、悪影響と言える。




