覚悟と壁の向こう側 02
講義の合間の休み時間、柳色のタイトなパンツに白いブラウスという、爽やかな出で立ちのティナヤは、歴史研究所にいた。ナイルに白い薔薇の娘についての話を伝えて判断を仰ぐ為に、ナイルの研究室を訪ねているのである。
(大学に戻って来てると、いいんだけど……)
昨日の様子から、何処かに出かけただろう事は明らかなのだが、その後……ナイルが大学に戻ったかどうか、ティナヤは知らないまま、研究室を訪れているのだ。窓の配置のせいか、昼間なのに薄暗い三階の廊下で、ナイルが戻っている事を期待しつつ、ティナヤは柿茶色のドアをノックする。
「――どうぞ」
ノックに応えた声を聞いて、ティナヤは少し戸惑う。聞き覚えの無い、落ち着いたトーンの女性の声だったからだ。
恐る恐る、ティナヤはドアを開け、中を覗き込む。昨日と変わらぬ、廊下と違って程よく明るい、雑然とした事務室風の研究室内だけでなく、ショートヘアの大人の女性の姿が、ティナヤの目に映る。
黒髪にはちらほらと白髪が混ざっているが、色落ちしたデニムのパンツに、アッシュグレイのトレーナーという服装は若々しく、活動的な印象を与える。若い頃はさぞやと思える程度に、顔立ちは整っている。
「学生さんよね? 御用件は?」
気さくさを感じさせる表情と口調で、女性はティナヤに問いかける。
「大利根教授に、お訊きしたい事があったんですが……教授は?」
「あら、ごめんなさい! ダンナは急用で、欧大州の方に出かけていて、何時戻れるか分からないのよ」
ダンナ……と言う表現から、ティナヤは女性が何者なのか、大雑把に理解する。ナイルの妻なのだろうと。
「行く前に家に立ち寄って、『研究室にある筈なんだが、見付からない書類が有るんだ。俺はすぐに出なくちゃならないんで、探して……郵便で送ってくれ!』って、ダンナに頼まれたんで、今……探してる最中なんだけど。うちのダンナ、整理整頓という概念が、頭の中に無い人だから、良く物を失くすのよね」
そこまで喋り、女性は自分が自己紹介をしていない事に気付き、軽く会釈しつつ自己紹介をする。
「自己紹介してなかったわね、私は大利根千鶴、ナイルの妻です」
「私はティナヤ・ララル、教授の講義を受講している、商学部の学生です」
ティナヤも頭を下げ、簡単に自己紹介をする。
「まぁ、そんな訳で……ダンナは不在なのよ。急ぎの要件なら、私の方から伝えておくけど?」
「いえ、あの……教授以外の方には話せない、伝言を頼めない種類の事なもので……」
言葉を濁すティナヤの様子を見て、何か閃き、察したかの様な顔をして、軽く手を打つ。
「ひょっとしたら、貴女……聖盗関係の方?」
突如、聖盗という言葉が出て来た事に、驚く千鶴の反応を見て、千鶴は確信する。ティナヤが聖盗関係者なのだと。
「ダンナが言い残して言ったのよ。『俺が不在の間に、蒼玉界の聖盗か……その関係者が、俺を訪ねて来る事が有るかもしれない。その場合は要件を、シールドカードに書き込んで、お前が俺の所に送ってくれ』ってね」
千鶴の話を聞いて、ティナヤは事情を理解する。
「教授が言っていた、聖盗の関係者というのは、私の事だと思います」
「そうだと思った、私……勘は良い方だから。だったら……」
応接セットのテーブルの上に置いてあった、飾り気の無い蝦茶色の手提げ鞄を開けると、千鶴は中から紫色のシールドカードを取り出し、ティナヤに手渡す。
「このシールドカードに、要件を書き込んで頂戴。後で書類と一緒に、速達でダンナの所に送ってあげますから」
「あ、有り難うございます」
ティナヤは頭を下げつつ、表彰状でも受け取るかの様に、シールドカードを受け取ると、シールドカードのタイプを確認する。シールド……封印する際には、鍵番号が不要なタイプであり、書き込んで封印するのは誰にでも可能だが、鍵番号を知るナイルだけしか封印を解き、中身を確認出来ないタイプのものだ。
キャラメル色の革製の肩掛け鞄から、ティナヤはペンを取り出すと、メモ帳状に開いたシールドカードに、要件を記入し始める。昨日、朝霞と共にナイルと話した時には忘れていた為話せなかったが、夢に見て思い出した、様々な事柄を。




