月光の下で触れ合う魂と唇 08
(やばいな、これ……)
右手でティナヤの腰骨に近い辺りを撫でながら、朝霞は心の中で呟く。
(このままだと、流される……)
心地良さに理性が崩れ、快楽に心が絡め取られそうになっているのを自覚しながら、自分ではどうする事も出来ない。理性が勝る何時もなら、快楽への誘惑を払い除けられるのだが、明らかに潔癖さと理性の働きが衰えている今の朝霞は、普段と勝手が違うのだ。
(どうにか……しないと)
そう考えはするのだが、どうすれば良いのかが分からない。Tシャツの薄い布地越しに感じる、柔らかで瑞々しい身体の誘惑に、朝霞は何時負けてもおかしくは無い。
(こりゃ……ダメかも)
心の中で、朝霞は諦めに近い言葉を呟く。右手だけでなく、左手でも……ティナヤの身体に触れたいという欲望が、朝霞の中に湧き起こって来たのだ。朝霞は仮面を手放し、左手でティナヤの脇腹辺りに、触れようとする。
だが……その直後、軽い爆発音と共に、眩く青い光が発生し、朝霞とティナヤの身体を包み込む。二人は唇を離し、驚きの声を上げる。
襲撃の可能性もあるので、朝霞は警戒し……ティナヤから身体を離すと、腰を落として身構えるが、すぐに何が起こったかを理解する。青い光の発生源である……青い炎、二人の足元で燃え上がり、崩れながら消えて行く仮面の存在に気付いて。
「――仮面の魔術が、解除されたんだ」
仮面者になる為の魔術は、高度な魔術の一つであり、その制御には相応の精神集中が必要。仮面を作り出した魔術師の手の中にあれば、多少は精神集中が乱れても、魔術は解除されないが、キスで理性を失いかけた状態で、仮面を手放してしまった為、魔術が解除されてしまい、青い炎に包まれながら、仮面は消滅したのである。
青い炎は、すぐに消え失せる。消え失せたのは炎だけでは無い。一瞬とはいえ警戒態勢に入った為、理性が復活し、快楽への期待や欲望を、消し飛ばしたのだ。
襲撃などでは無いと分かったので、ティナヤは続きをしようとばかりに、朝霞の身体に手を伸ばす。
「――疲れてるし、そろそろ……もう一眠りしないと」
ティナヤの手を上手く避け、朝霞はベッドに向かう。
「明日の修行にも、響くからね」
口調と行動から、朝霞が理性を取り戻し、今回「も」欲望に最期までは流されなかった事を、ティナヤは察する。ティナヤ自身も朝霞程極端ではないが、煙に驚いたせいで、先程より興奮は鎮まっていた。
続きをする空気ではないのは、ティナヤにも分かっているのだ。それでも、何時もよりは朝霞がキスを楽しみ、陥落しそうになっていた気もしていたので、ティナヤは口惜しさも感じていた。
軽く溜息を吐いてから、部屋のドアに向かい、ティナヤはとぼとぼと歩き出す。部屋のドアを開けた時、ベッドで仰向けになっている朝霞の声が、背後から届く。
「おやすみ」
ティナヤは振り返り、朝霞を半目で見下ろすと、呆れた様な口調で言い放つ。
「――意気地無し」
そして、音を立てながら、ティナヤはドアを叩きつける様に閉める。速めのリズムを刻む足音が遠ざかり、ドアが開閉する音が響いて来る。ティナヤが自室に戻ったのだ。
静寂を取り戻した自室のベッドで、ティナヤが出て行ったドアを眺めながら、朝霞は溜息を吐いてから、愚痴る。
「意気地の問題じゃないだろ……」
ドアから天井に目線を移し、朝霞は自問する。
(――だったら、何の問題なんだ?)
考えては見るが、答えは出て来ない。交魔法や香巴拉の八部衆、夢に出て来た白い薔薇の娘の意味や、ハノイで開かれるブラックマーケットなど、考えなければいけない事柄が大量に頭の中に湧いて来てノイズとなり、朝霞の思考の邪魔をする。
考えなければならない問題が、今の朝霞には多過ぎるのだ。
(止めた! 眠る!)
とても考えがまとまる状態ではないと、朝霞は判断し、何の問題なのか考えるのを止め、眠る事にして、目を瞑る。何時かは、ちゃんと考える時間を取り、答を出そうとは思いながら。
心と身体の疲労は、癒し切れてはいない。目を瞑れば、すぐに睡魔が押し寄せて、朝霞を眠りの世界へと誘ってくれる。程無く朝霞は眠りの世界へと落ち、心地良さ気に寝息を立て始めた……。