月光の下で触れ合う魂と唇 07
唇が、触れる。撫でる様に軽く触れた唇を、ティナヤは一度離す。朝霞が拒否し、避ける素振りを見せないのを確認した上で、再び顔を寄せ……唇を重ねる。
腕を朝霞の首に回して抱き締め、ティナヤは折っていた膝を伸ばす。重ねる唇の角度が変わるが、抱き締めつつ唇を強く押し付けているので、外れはしない。
朝霞からすれば、見下ろしていたのが、見上げる形になる。相手となる女性は大抵、朝霞よりは背が高いので、見上げる形のキスの方が、朝霞としては慣れている。
(別に、俺が低い訳じゃ……無い筈なんだけど)
見上げるキスに慣れてしまった自分に、やや複雑な感情を朝霞は抱いてしまう。
(――それに、受け身のキスに慣れ始めてるというのも、男としてはヤバイんじゃないだろうか?)
この世界では恋愛はしないという信条故に、自分から口説いたり迫ったりはしない朝霞の場合、相手に押し切られる形で、受け身で経験するキスばかりになってしまっている。
(受け身に慣れない為にも、少しは……自分から攻める感じでした方が、いいのかも)
そう考えるに至り、受け身から攻めに転じてみようとする。不慣れな上、見上げながらでは、やり難くはあるのだが。
(舌とか入れれば、いいのかな?)
自分が積極的にキスされた時の事を思い出し、そう考えた朝霞は、舌を挿し出してティナヤの唇を割ろうとする。
「――ん?」
やや意外そうに、軽く呻いてから、ティナヤは朝霞の意図を察したのか、唇を開いて朝霞の舌を迎え入れる。二人のキスが舌を絡め合う程度にエスカレートするのは、別に珍しくは無いのだが、朝霞から挿れるのは珍しい。
何時もとは逆の、不慣れな形で、二人は舌を絡め合う。唾液が行き交い混ざり合う音が、荒くなる息遣いや衣擦れの音と共に、部屋に響いているが、耳にするのは二人だけ。
仄かにだが、歯磨き粉の香料に混ざり、バニラの香りがする。ティナヤの口腔に残された香りの成分が唾液に混ざり、朝霞の口腔に移動し、嗅覚が嗅ぎ取ったのだろう。
濃密な口付けを交わしながら、仄かに匂うバニラは、普段とは印象が違い、男としての欲望を刺激する匂いだと、今の朝霞には感じられた。
「バニラって昔は、媚薬として使われてたんだよ。ヨーロッパの話だけど」
ふと、幸手がしていた雑学に関する話が、朝霞の頭に甦る。
「フランスの王様の愛人が、媚薬効果期待して、王様の食事にバニラを混ぜていたんだって。まぁ、効果無かっただろうけどね」
幸手は効果は無いと言っていたが、少しは効果があるのかもしれないと、今の朝霞には思えてしまう。その程度に、心や身体の奥底に溜まっている欲望に、火が点きかねない自分の状態を、朝霞は自覚していた。
何かの弾みでスイッチが入ってしまえば、抑え込み切れない欲望が溢れ出しかねない……。そんな状態に自分を追い込んだ要素の一つに、バニラの匂いがなってしまっているのかもしれない……などと、思えてしまうのだ。
様々な神経が集まるが故に、敏感な舌や口腔……唇は、濃厚な口付けにより刺激され、蕩けそうになる程に心地良い。密着した身体の上を這い回る手も、愛撫という程では無いが、欲望を抑える理性の壁を崩して行く。
胸や下半身など、際どい部分を避けてはいるが、このままだと欲望を抑え切れなくなり、手は際どい部分へも伸びてしまうだろう。愛撫と言う表現を避けられない行為に、及んでしまうのは当然、下手すれば一線を越えてしまいかねない予感が、今の朝霞にはしていた。
遠征の前夜、少しの間とはいえ朝霞に会えなくなる夜、ティナヤは大抵……朝霞の部屋を訪れる。その上で、会えなくなる日々の分の埋め合わせを求める様に、キスから始まり過剰なスキンシップを求めるのが、通例の様になってしまっている。
色々と世話になっているティナヤに、数日とはいえ顔を会わせられないのを寂しいと、触れ合いを求められると、朝霞としても断り難い。それに、魅惑的なティナヤに迫られるのは、思春期の少年としては避け難い誘惑であり、一線を越えぬ範囲で応じてしまうのが通例だ。
遠征で同行する神流や幸手も、同行出来ないティナヤの為に、前夜は朝霞をティナヤに譲るという感じで、認めている習慣といえる。無論、自分達も同様の行為を、遠征中に求めたりもするのだが。
だが、間違っても身体の関係を、持ったりはしない。欲望や好奇心を満たす為に、ある程度の行為を楽しみはするのだが、朝霞の中の潔癖な部分が、一線を越えるのを認めないので。
でも、今夜は何かが違う。遠征の前夜では無いのに、夜に部屋を訪れたティナヤの奇襲を受けた事、ティナヤと出会った夜の夢を見て、ソウル・リンクという儀式で繋がった事。美しく妖しげな月光と、何故か今夜は媚薬の様に思えるバニラの匂い……。
これまで迫られた時とは違う様々な要素が、今夜は朝霞の状況を変えてしまっている。それは、キスにおいて朝霞が自ら、攻める側に回ろうとした事などからも、明らかだ。
普段より、自分の中での潔癖な部分の働きが、著しく落ちているのを、朝霞は自覚していた。そして、そんな状態の今、ティナヤに迫られて理性が崩れてしまえば、後は欲望のままにティナヤと、互いの身体を貪ってしまい、一線を越えてしまうに違いない。
そんな確信に近い予感を、朝霞は覚えていた。