ティナヤとの出会いと初めての実戦 11
「――じゃあ、俺達は消えるから! 警察に関わる訳には、いかないんでね、聖盗といっても、一応は泥棒だからさ」
ティナヤに歩み寄り、朝霞はその肩を軽く叩く。励ますかの様に。
「後の事は、警察に……え?」
言葉の途中で、朝霞は驚きの声を上げる。肩を叩いた手を、少女にいきなり握られたので、驚いたのだ。
「――い、行かないで! 一人にしないで!」
怯えた表情で目には涙を浮かべ、声を震わせながら、少女は朝霞に訴える。朝霞達同様、自らに炎を放ち、自決した男達を目にして、その狂気を感じ取り、そんな狂気に満ちた連中に自分が命を狙われている事の恐ろしさを、戦いが終わった今になって、より強く自覚した為、戦闘中以上に怯えているのだ。
「いや、でも……警察に見付かる訳にはいかないし、もう君を襲った連中は、みんな死んだから……大丈夫」
そこで、朝霞の頭に疑問が浮かぶ。
(本当に、みんな死んだのか? 他にも近くに仲間がいる可能性は、ないとは言えないじゃないか)
手をつかまれたまま、朝霞は思考を巡らし続ける。
(そもそも、連中は明らかに、この子を狙って襲っていたんだ。他の仲間が近くに潜んでいる可能性は、考慮すべきだろう。だとしたら、警察が来るまでとはいえ、一人で残すのは危険なのかも。警察の戦闘能力が、さっきの連中より高くない可能性もあるし……)
ほんの僅かな間に考えを巡らし、朝霞は意を決する。
「分かった、一人にはしない」
朝霞の返事を聞いて、怯えきっていた少女の表情が、明るさを僅かに取り戻す。
「でも、俺達はここで警察を待つ訳にはいかないから、とりあえず……俺達と一緒に、この場から離れて貰うよ」
少女が頷いたので、朝霞は少女を抱き抱える。パトカーのサイレンだけでなく、エンジン音も聞こえ始め、ライトの光までが近付いて来るのが見える。程無くパトカーは塗炭通りに入って来るだろう。
神流は既に、三人分の荷物を手にして、戻っている。そのまま荷物は神流が持ち続ける。朝霞は少女を抱き抱えているし、幸手は神流より運動性が落ちるので、荷物は自分が全て持った方がいいと、神流は判断したのだ。
「逃げるよ!」
朝霞は神流と幸手に声をかけると、一気に跳躍し、近くの建物の屋根に飛び乗る。そして、更に屋根を蹴り、夜空に身を舞い躍らせる。少女を抱き抱えているので、本来の身軽さとは程遠いし、神流や幸手がついて来れる様に、速度を抑えているのだが、それでも身軽に建物の屋根の上を、伝う様に飛び跳ねて行く姿は、まさに黒猫の様。
神流と幸手が、慌てて朝霞の後を追い跳躍した直後、パトカーのライトが……まだ屍が燃えている塗炭通りを照らし始める。パトカーが塗炭通りに辿り着いたのだ。
「どうやら、ギリギリだったみたいだな……」
後ろを振り返り、神流と幸手がついて来れている事と、ミニカーの様なサイズに見える三台のパトカーらしい車が、塗炭通りに停車しているのを視認しつつ、朝霞は呟く。ほんの少しでも逃げるのが遅れたら、姿を警察官達に見られていたかも知れないと思い、朝霞は警察に見付からずに逃げ果せた事に、安堵する。
安堵したせいか、これまで気付かなかった、戦いや襲撃者、警察などとは無関係な存在に、朝霞は気付き始める。それは例えば、跳躍し……高所から見下ろす、無数の街灯りが星々の様に煌き、街の至る所から煙が立ち上っている、曇りがかった星空の様な天橋市の夜景だったり、煙の存在にも関わらず、日本に比べると澄み過ぎている程の、夜の空気だったり、抱き抱えている少女の匂いだったり……。
(あ、そういえば……女の子抱いちゃってるんだ、俺。しかも、こんな可愛い子を……)
女慣れしているとは言えない朝霞は、共に逃げる必然性からとはいえ、女の子を抱き抱えている自分に、今更気付いて、恥ずかしさと時めきを覚える。そして、覚えの有る甘い匂いが、何の匂いだかにも気付く。
「――バニラの匂いがする」
すると、恐怖心が治まったのか、怯えが消えた……落ち着いた表情で、少女が言葉を返す。
「さっき、アイス食べたばかりなんです。バニラアイス好きなんで、その匂いが残ってるんじゃないかな?」
バニラアイスもバニラの匂いも、普段の朝霞は余り好きでは無い……面白みを感じない匂いだと思っている為。でも、このバニラの匂いは、匂いの元が魅力的な少女の口元であるせいか、朝霞には妙に魅力的に感じられた。
少女は落ちない様に、自然に朝霞の首に、腕を回している。当然、朝霞と少女の顔の位置は近いし、少女の口元……唇の位置は、仮面越しとはいえ、朝霞の唇とも近い。そんな唇からのバニラの匂いは、朝霞に唇同士の近さを意識させてしまう。
(この程度……女の子と顔が近付いて、匂いがするくらいで恥ずかしがってるとか、幾らなんでも情けな過ぎるな、俺……)
恥ずかしさを感じる自分を誤魔化す様に、朝霞は少女に話しかける。
「――で、俺達はこの街に来たばかりで、この街の事が良く分からないんだけど、逃げたり身を隠したりするなら、何処がいいのかな、バニラさん?」
「ば、バニラさん?」
バニラさんと呼ばれたのが気に障ったのか、少女は朝霞に聞き返す。
「君の名前知らないから、取りあえず……バニラって事で」
平然とした口調で、朝霞は答える。
「いや、あの……バニラは好きだけど、アイスの名前で呼ばれたくはないから、ティナヤって呼んで下さい」
「ティナヤ?」
少女……ティナヤは頷く。
「ティナヤ・ララル……私の名前」
月明かりの下、甘いバニラの匂いと共に、少女……ティナヤの名前を記憶した朝霞は、天橋市の夜空を舞う。初めての戦いを通じて、仲間としての絆を強めた、神流や昨夜と共に。




