煙る世界と聖なる泥棒 08
ブランデーの様な深い赤褐色の色合いの木材で、全体が設えてある室内は、暖かみのある灯りで照らされている。
一見、ランプの灯りの様ではあるが、ランプ風に調整された魔術機構による照明である。
バーとしては、割りと有り勝ちな作りの店内。
カウンター席やテーブル席などがあるのだが、定休日の夜である為、誰も席に座ってはいない。
だからといって、カウンターが無人な訳では無い。
カウンターの中では、バーテンダー風のスタイルをした、三十路と思われる男がグラスを多数並べ、ドリンクを準備している。
ウエイトレス風の少女も二人、ドリンクが注がれたグラスをトレイに並べている。
定休日なのに、男や少女がドリンクを用意しているのは、店内には客がいるからだ。
客と言っても、このバーのオーナーの関係者達なのだが。
その関係者達がいるのは、室内の奥の方にある、ルーレット台が載ったテーブルの回り。
三十人程の人々の、中心といえるポジションにいて、衆目を集めているのは、黒猫団の三人。
黒猫団の内……黒猫と長身の少女は、芝生の様な色合いのシートが敷いてあるテーブルの上に置いたトランクの中から、取り出した蒼玉のケースを外すと、ルーレットのホイール(回転盤)の上に、次々と蒼玉を載せ続けている。
蒼玉の大きさに見合う程度に、普通のルーレットに比べ、かなりホイールは大き目の作りになっていて、蒼玉は空いている三十八個のポケットに、次々と収まっていく。
「――今夜の最後は、黒猫団が回収して来た二百個か……。黒猫団の分だけで、六回はかかるな」
「わざわざ那威州まで遠征した成果は、あったって事か」
ルーレット台が載ったテーブルを囲んでいる者達による、黒猫団の作業を見ながらの会話である。
「ポケット埋まったよ、回して!」
黒猫の言葉に応え、眼鏡の少女がホイールの縁に手をかけて、ホイールを勢い良く時計回りに回し始める。
そして、豆粒程の煙結晶……煙結晶粒を、その回転とは逆向きに、ガラガラと音を立てて回転しているホイールに投げ込む。
すると、ホイールやルーレット台の至る所に固定化されている魔術式が、仄かな光を放ちながら起動し始める。
煙水晶は一瞬で黒煙と化して消え去り、魔術機構であるルーレット台を動かすエネルギーとなる。
仄かに白く光るホイールの上で、ホイールと共に回り続ける三十八個の蒼玉は、青い光を放ち始め、表面に不可思議な文字列が浮かび上がってくる。
それらは魔術式の様なのだが、この世界で広く使われているルーン文字に似た魔術文字ではなく、サンスクリット語に似た魔術文字で記述されていた。
全ての蒼玉から魔術式が浮き出た頃合に、ホイールから発生した稲妻の如き光が、蒼玉を包み込む。
すると、その光に包まれた蒼玉に浮き出ていた魔術式が、粉々になって消滅してしまう。
魔術式を失った蒼玉自体も、光の残像を残しながら、部屋の空気に溶け込むかの様に、消え失せて行く。
ホイールを回し始めて三分程で、三十八個の蒼玉は全て消え去り、程無くホイールから光は消え失せ、回転も止まる。
蒼玉が消え去り始めた辺りから、その光景を眺めていた者達から、自然と拍手が上がる。
このルーレット台の上で、蒼玉が消える事は、その場にいる者達……聖盗達にとって、喜ばしい事なのだ。
黒猫達は続け様に、同じ作業を合計で六回繰り返し、那威州まで遠征して盗み……取り戻して来た二百個の蒼玉を、消滅させた。
蒼玉を存在させ続ける為に必要な魔術式を破壊し、蒼玉を消滅させる為の魔術が仕掛けられた、魔術機器であるルーレット台を使って。
「今夜の蒼玉は、これで最後か。トータルで三百八十とは、今回は無茶苦茶多かったな。これまでの最高記録じゃないか?」
「黒猫団の二百個があったからね」
ルーレット台を囲んでいた者達が、黒猫達の方を見ながら、会話を交わす。
「――皆の活躍で、今宵は三百八十三人もの人々が、我等が故郷で記憶を取り戻す事が出来た!」
先程、カウンターでドリンクを準備していたバーテンダー風の男が、自らグラスを載せたトレイを持ち、ルーレット台の方に歩いて来ながら、話を続ける。
「とりあえず、その事を祝して、乾杯と行こうじゃないか!」
その鼻髭を生やしているバーテンダー風の男は、手際良くカラフルな液体に満たされたグラスを、人々に配って行く。
バーテンダー風の男に続いて現れた、二人のウエイトレス風の少女達も、同様にグラスを人々に配る。
「あ、言わなくても分かってると思うけど、未成年者はアルコール駄目だよ! 青いのはアルコール入ってるから、それ以外のね!」
バーテンダー風の男が、わざわざ未成年者に向けた言葉を口にしたのは、店内にいる人々の多くが、未成年者だからだ。
黒猫団の三人も含めて。
「黒猫団は、今回もMVPみたいなもんだし、それを称える意味で、黒猫団に似合う……特製の猫っぽい名前のノンアルコールカクテル、作っといたよ」
そう言いながら、バーテンダー風の男は、黒猫団の三人にグラスを配る。
「猫っぽい名前?」
手に取ったグラスを満たしている、夕焼け空の様な色合いの液体に目をやりながら、黒猫はバーテンダー風の男に問いかける。
未成年者が多い中、明らかに三十路に見える男に。
「プッシーキャット(子猫)っていうんだ。オレンジジュースベースで卵黄を使ってるから、マイルドで飲み易いよ」
そう言い残すと、バーテンダー風の男は、まだグラスを受け取っていない人達の方に、去って行く。
そして程無く、その場にいた皆にグラスが行き渡る。
「それじゃあ、三百八十三人分の記憶回収の成功を祝して、乾杯!」
部屋の中央辺りにいた、銀鼠色のスーツの上に、同じ色のローブを羽織っている長身の少年が、乾杯の音頭を取る。
「乾杯!」
音頭に合わせて皆が声を上げ、近くにいる者達とグラスを合わせ、アルコールの有無の差は有るが、カクテルを煽る。
そしてあちこちで始る、楽しげな談笑。
「――レモンとかのキツさを、上手く卵黄が和らげてるんだな、これ。美味いわ」
プッシーキャットに口をつけた黒猫が、そんな風に味の感想を口にした頃合、乾杯の音頭を取った少年が、黒猫達の方に歩み寄って、声をかけてくる。
「今回は三十個回収した僕が、一番だと思ってたけど、二百個とは……やられたよ、朝霞」
長い黒髪を、肩甲骨の辺りで結っている、女性的な面立ちの少年は、聖盗としての活動の際は、黒猫と名乗っている少年に相手に、親しげに本名の方で話しかけ続ける。
黒猫の本名は、渡良瀬朝霞という。
「那威州まで足を伸ばしたんだってな。何でまた、あんな遠くまで?」
「裏で流通してるのを追いかけてたら、那威州で開催される裏オークションに出品されちまったんで、その流れでね」
聖盗黒猫こと朝霞は、軽く肩を竦め、話を続ける。
「戻って来るだけで、二日近くかかったよ」
今夜は、黒猫達が那威州の屋敷から蒼玉を盗んだ、二日後の夜。
組織の追っ手を海上でまいた黒猫団は、適当な場所を見繕って陸に上がり、陸路を飛ばして本拠地である瀛州まで戻って来たのだ。
瀛州に戻って早々、瀛州で活動する蒼玉界の聖盗達が、このバーで定休日の夜に開く会合に、参加したのである。
「ま、無茶したせいで手持ちの蒼玉粒や煙水晶粒、殆ど使い切っちゃったから、今週は殆ど聖盗としての活動、出来そうにないけどね」
眼鏡の少女が、会話に参加してくる。
「ドジな誰かが、組織の連中に見付かったせいで、予定より大量に使う羽目になったからな、記憶結晶」
飲み干したグラスを、近くを通ったウエイトレスのトレイの上に置きながら、長身の少女が口にした言葉である。
蒼玉粒だけでなく、蒼玉や蒼玉片……そして煙水晶も、記憶結晶と呼ばれる存在の一種なので、長身の少女は蒼玉粒と煙水晶を一まとめにして、記憶結晶と表現したのだ。
「煙水晶の調達は何とかなるとして、蒼玉粒の方は変身に使える奴となると、俺とエロ黒子が一つずつ、乳眼鏡がゼロだから、今週は記憶結晶を溜めつつ、金稼ぐ方の仕事に専念する羽目になりそうだ」
朝霞にエロ黒子という嫌な徒名で呼ばれた、長身の少女は、朝霞の首に腕を回して締め上げつつ、食ってかかる。
「誰がエロ黒子だ! 神流という名前で呼べと、何度も言ってるだろうが!」
そんな長身の少女……吉見神流の、口元に近い左頬には、黒子がある。
昔、世界中でエロティックなセックスシンボルとして有名だった女優と、同じ箇所に黒子がある為、人を名前より自分がつけた徒名で呼びたがる朝霞は、神流をエロ黒子という自作の徒名で呼んでいるのだ。
もっとも、どちらかといえば潔癖なタイプである神流でなくとも、エロ黒子などという徒名で呼ばれて、喜ぶ少女などいる訳が無い。
朝霞がエロ黒子という徒名で呼んでは、神流が朝霞に食って掛かるというのは、黒猫団にとって日常的な光景と言える。
「――ギブギブ!」
朝霞が神流の腕を苦しげに叩いたので、しかめっ面のまま不満げでははあるが、神流は朝霞を開放する。
そして、朝霞と神流の様子を、笑って見ていた眼鏡の少女に、神流は話しかける。
「幸手も、たまには怒りなさいよ! 乳眼鏡とか変な徒名で呼ばれてんだから!」
眼鏡の少女……和名倉幸手は、そんな神流の言葉を、涼しい顔で受け流す。
「私の場合は神流っちと違って、怒る気がする程のもんじゃないし」
ちなみに、眼鏡をかけていて、胸が豊かである事から、幸手は乳眼鏡という徒名を、朝霞に付けられた。
だが、眼鏡は元からコンタクトにせず、好きでかけている上、胸の豊かさも自慢のネタである為、幸手は神流とは違い、朝霞の付けた徒名を、特に嫌ってはいないのだ。