交魔法と修行 10
「こりゃ、キツそうだな」
肩を竦めてみせてから、神流は畳の上から下りて、コンクリートに覆われた、変身後に格闘術をトレーニングする場所に移動する。
そして、胸元のミニボトルの中から、蒼玉粒を一粒取り出す。
「キツイんだろうけど、やるしかないんだよね。これからの事考えると……」
神流は自分の頬を両手で叩いて気合を入れると、蒼玉粒でソフト帽に六芒星を描き込み、仮面に変えると、その仮面を被る。
六芒星から噴出した炎に包まれた神流は、炎が消え去ると、姫武者風の姿である、布都怒志への変身を終えていた。
鎧の右胸の下辺りにある、扉の様になっている部分を開け、神流は胸元に右手を差し込むと、中にあるミニボトルを取り出す。
そして、煙水晶粒を一粒だけ手にとって、ミニボトルの位置と鎧の状態を、元に戻す。
神流は一度、大きく深呼吸をしてから、右手に持った煙水晶粒を筆として、額の六芒星に乗矯術の魔術式を、上書きし始める。
手際良く神流は魔術式を書き込み続け、鎧の胸の部分まで使い、魔術式の殆どを書き込んだ後、仕上げとして額の六芒星の上に、五芒星を描く。
五芒星は神流が記述したばかりの、残りの魔術式を吸い込み、青い閃光を放つと、轟音の様な排気音と共に、大量の煙を噴出し始める。
煙に姿をかき消された神流の姿が、程無く消え失せた煙の中から姿を現すと、六芒星のデザインが変わっている。交魔法が発動したのだ。
交魔法を発動させた神流は、当然の様に、人生で経験した事が無いレベルの苦痛と不快感に、苛まれていた。
(――生理が酷い時に、寒稽古で滝に打たれた時よりキツイな、こりゃ。朝霞が落ちるのも、無理は無いというか……あたしも時間の問題だろ、これ)
幸手同様、仮面者の状態で失神したのを見た事が無い朝霞が、あっさりと失神したのを見ているので、相当にキツイだろうと神流は覚悟していた。
だが、そのキツさは覚悟のレベルを超えていて、神流が人生で経験した身体的苦痛の中では、最高レベルといえるものだった。
子供の頃から、厳しい剣道や剣術、古武術の修行を続けているので、身体と精神の鍛え方は、朝霞や幸手とはレベルが違う。
故に、落ちるのが時間の問題だと認識してはいたが、朝霞と幸手よりは、落ちるまでの時間は長い。
逆に言えば、それだけ長い時間……苦しみを味わい続ける羽目になるという事でもある。
苦しみが長引けば、当然の様に神流ですら、限界を迎えてしまう。
(そろそろ、駄目だな。本当に……習得出来るのか、これ?)
自問しながら、神流の意識は遠のいていく。
魔術を制御する力を失って変身は解除され、六芒星から噴出した青い炎に包まれた布都怒志の姿は、炎が消え去ると共に、神流の姿に変わっている。
虚ろな表情を浮かべ、半開きの口元から涎を垂らしている神流は、前のめりに倒れ始める。
意識が無いので、受け身を取る様子は見られない。
朝霞は即座に駆け寄り、神流の身体を抱きとめる。
(あ、嫌な予感が……)
急いで駆け寄って抱きとめた為、位置取りまでは深く考える余裕が、朝霞には無かった。
故に、幸手の時と同じ様な形で、朝霞は自分の胸元に倒れこんで来る神流を、抱きとめる様な感じになってしまっている。
「おぇッ!」
そして、幸手の時の様に、神流も嘔吐し始め、朝霞の胸と腹に、未消化の吐瀉物をぶちまける。
酸っぱい胃液の臭いが、辺りに広がって行く。
「――一日に二度も、ゲロを吐きかけられるなんて、滅多に出来る経験じゃないな。別に経験したくは無いけどさ」
愚痴りながら、朝霞は神流を抱き抱えると、畳の上に運び、仰向けに寝かせる。
幸手の時同様、失神しただけで、特に深刻なダメージは無いだろうと思いながら、一応は神流の身体の様子を調べ、問題が無い事に安堵する。
「活法、頼むよ。俺がやると、ゲロ付いちゃうだろうし」
朝霞は幸手に、神流の活法を任せると、ティナヤからタオルを受け取り、吐瀉物に塗れた胸と腹を拭く。
酸っぱい臭いに、辟易しながら。
神流程手際良くは無いが、幸手に活法を施され、神流は意識を取り戻す。
そして、寝起きの様に眠たげな目で辺りを見回し、タオルで腹を拭いている朝霞の姿を目にすると、自分が何をしたのか気付き、気まずそうに目線を逸らす。
「――幸手の時も言ったけど、気にするなよ。どうせ俺も同じ事、やるんだろうし」
フォローの言葉を朝霞はかけるが、身体は大きくとも女の子である神流にとっては、自己嫌悪に陥らざるを得ない状況だ。