交魔法と修行 09
幸手は朝霞同様、既に記憶済みの乗矯術の魔術式を、額の六芒星に上書きし始める。
無論、朝霞の際と同じく、仮面の上だけでは魔術式は記述し切れず、胸当てにまで書き込む羽目になる。
五芒星以外の、全ての魔術式を書き終えた幸手は、頭を掻きながら、弱気な言葉を口にする。
「正直、あんまり書き込みたくないんだけど……」
朝霞の惨状を目にしているので、幸手の気が進まないのは、当たり前といえる。
だが、今後の事を考えれば、交魔法習得は必須であるのを理解している幸手は、勇気を振り絞り、最期の五芒星を額の六芒星の上に、丁寧に書き込む。
すると朝霞の時同様、記述された他の魔術式を吸い込んだ五芒星は、一瞬だけ青い閃光を放つと、蒸気機関車の煙突が煙を吐き出すかの様に、五芒星は排気音と共に、大量の灰色の煙を吐き出し始める。
フル稼働したままの換気扇が、煙をトレーニング場から排気してくれるので、すぐに幸手は煙の中から、姿を現し始める。
デザイン自体は天久米八幡女と大差無いが、六芒星は朝霞の時同様の変化を見せている。
「幸手?」
神流が声をかけるが、反応は無い。
「答えられる状態じゃないというか、外からの声を聞き取れる状態ですらないよ、今の幸手は……」
自分の経験を元に、朝霞は幸手の様子を推測し、神流とティナヤに説明する。
幸手の状態を案じている為か、普段の乳眼鏡という呼び方ではなく、名前で呼んでしまっている事に、朝霞自身は気付いていない。
朝霞の言葉通り、幸手に神流の言葉は届いていなかった。
地獄の様な苦痛と不快感に、幸手は苛まれている最中だったのだ。
(――生理の酷い時……なんてレベルじゃないね。そりゃ、朝霞っちが落ちる訳だ)
酷い風邪と下痢を併発している時に、全身を鈍器で殴られつつ、全身の肌に針を刺されるかの様な、激痛と不快感に苛まれ、幸手の気力は急速に萎えて行く。
(これに耐え切らないと、駄目って……。これじゃ交魔法使えるようになる前に、死んじゃうよ!)
そんな愚痴を心の中で吐露する余裕すら、すぐに幸手には無くなる。
程無く、幸手の意識は遠のいて変身は解除され、天久米八幡女の姿は、額の青い六芒星から噴出す炎に包まれる。
炎はすぐに消え去った後には、崩れ落ちそうになっている、黒のタンクトップにスパッツ姿の幸手が、残されていた。
前のめりに倒れそうになった幸手の身体を、朝霞は駆け寄って支える。
「おえッ!」
直後、幸手は先ほどの朝霞同様に嘔吐し、身体を支えていたせいで避けられなかった朝霞の胸から腹の辺りに、消化されかかっていた胃の内容物をぶちまける。
「――ま、俺も吐いたみたいだし」
酸っぱい臭いに苦笑しつつ、朝霞は幸手の身体を畳みの上に運び、仰向けに寝かせる。
その上で、幸手の身体の様子を確かめ、自分同様に失神しただけなのを確認し、安堵する。
「活……入れてやってくれ。俺より神流の方が上手いし、今の俺がやると……これが幸手の服に付いちまうから」
朝霞は吐瀉物に汚れている、自分の胸と腹部を指差しつつ、神流に頼む。
幸手の状態を確認し、一応安堵はしたのだが、それでもエロ黒子と呼ばない程度に、朝霞には余裕が無かった。
その程度に、仲間の失神というのは、朝霞にとっても不安なものだったのだ。
神流は手際良く、朝霞に施した時と同様の手法で、幸手に活法を施す。
三度程、身体を揺すると、幸手は目を開け、きょとんとした顔で辺りを見回し始める。
「そっか……落ちてたんだ」
そう呟いてから、ティナヤから受け取ったタオルで、胸や腹部に付着した吐瀉物を拭き取っている朝霞の姿を目にして、幸手は自分が朝霞にした事を察する。
「あ……ごめん! 私……やらかしたみたいね」
頭を掻きながら、済まなそうに幸手は謝罪の言葉を口にする。
「気にすんな、俺も吐いたんだし」
幸手が気を使わないで良い様に、気楽な口調で朝霞は続ける。
「それに、これから俺達、何度も吐く事になりそうだから、気にしていられないよ……たかが吐く事くらい」
口調こそ気楽であるが、吐くのが当たり前レベルの修行を続けなければ、交魔法を習得出来ない現実を、指摘した言葉でもあった。