門の無い大学と明かされる秘密 11
通常、自然に失われた記憶が記憶結晶粒となる場合、人間は失われた記憶を回復しようとはしない。
だが、不自然に大量の記憶が失われた場合、人間は失った記憶を回復しようとして、周囲に記憶塵が存在する場合、無意識的に失った分の記憶を埋め合わせるべく、記憶塵を取り込もうとする。
記憶の一部を結晶化されて、強奪された場合に、その現象が発生するのだが、聖盗が禁じ手を使う場合にも、同様の現象が発生する。
この現象は、少ない回数経験するだけなら、大したトラブルは発生しないし、別の世界の記憶塵を取り込み、二色記憶者となる場合の様に、特殊な能力を得られるメリットがあったりもする。
しかし、この現象を延々と繰り返し続けると、人間の記憶の状態が乱れ過ぎてしまい、異常動作を起こす確率が上がるのだ。
普通の人間として生きる分には、その異常動作には、余り問題が無い、有る程度の記憶の混乱や障害が起こるに過ぎないのだから。
だが、聖盗となると話は別だ。
奇跡的な二種類の記憶のバランスにより、得る事が出来た仮面者となる能力は、異常動作のせいで失われる場合もあるし、仮面者としての能力が制御不能となって暴走し、結果として能力の暴走で死に至る場合もある。
自分同様に禁じ手を使い過ぎた者達には、能力の暴走で死んだ者も多いので、仮面者となる能力を失っただけで済んだ自分は、運が良い部類だと、ナイルは朝霞やティナヤに語った。
普通の人間としての生活に支障は無く、二色記憶者となった際に得た知識や、解放された潜在能力は、解放された状態のまま利用出来るのだからと。
「その禁じ手は、どうすれば使える様になるんです?」
「――説明した通りのリスクがあるのを知った上で、使い方を知りたいかね?」
ナイルの問いに、朝霞は頷く。
「香巴拉の連中との戦いは避けたいけど、避けられない場合の為に、知っておいた方が良いと思うので」
死のリスクがある禁じ手に、手を出そうとする朝霞を、ティナヤは不安そうな目で見詰める。
「では、教えよう」
続けて、ナイルはティナヤに軽くウインクして、語りかける。
「まぁ、知ったからといって、使う機会があると決まった訳でもないし、使う機会が訪れても、何度も何度も使い続けない限り、そう案ずる事も無いとは思うがね」
ナイルは想い人を案じ、不安になっているティナヤに、気付いていたのだ。
ティナヤの不安を取り除く為の言葉を口にしてから、ナイルは説明を始める。
「禁じ手の名は、交魔法。仮面者の魔術機構に、強引に他の系譜の魔術式を上書きし、交わらせる方法さ」
仮面者の魔術機構とは、仮面者に変身している際、仮面の……大抵は額の部分にある、六芒星の事だ。
聖盗達は世界間鉄道運用機構に、二色記憶者となった人間のみが使える、仮面者となる魔術式を教わり、自らの体内に魔術機構を仕込んでいる(大抵、額の下)。
この六芒星の魔術機構を体内に持つ聖盗が、本来の記憶結晶……朝霞の場合なら蒼玉系の記憶結晶で、純魔術式である六芒星を描く。
すると、その記憶結晶を燃料に変換しつつ、描かれた物を仮面へと変えるので、その仮面を被る事により、聖盗は仮面者に変身する。
変身前の仮面にも六芒星は存在するが、この六芒星は記憶結晶が魔力に変換された状態の、魔力の結晶。
仮面を被り、この魔力の結晶が体内……額にある六芒星の魔術機構と重なり、魔力が供給される事により、変身が行われ、仮面者は仮面者としての、魔術や能力を使用可能になる。
「本来、変身時に使った記憶結晶粒分の魔力しか、仮面者は使用出来ない。だが、交魔法で、他の魔術の力を取り込みつつ、異常動作させる事により、魔術機構は魔力の追加供給を可能にし、仮面者自身の記憶を直接、燃料として消費し、通常の仮面者の場合に比べて、桁外れの力を発揮する事が出来るんだ。能力が進化したり、別の能力を得たりする場合もある」
「仮面者の魔術機構に、魔術式を上書きするだけなら、方法自体は割と簡単なのかな。他の系譜の魔術というなら、エリシオン式の魔術式でも、上書きは可能なんだろうし」
朝霞の問いに、ナイルは首を横に振る。
「仮面者の六芒星は、ソロモン式の魔術機構。ソロモン式とエリシオン式は、別の魔術流派ではあるのだが、同じ系統の魔術でね、エリシオン式で上書きしても、交魔法にはならないんだ」
仮面者の魔術機構は、世界間鉄道運用機構が操る、ソロモン式の魔術によるものである。
エリシオン式と同じルーツを持つ同じ系統の魔術流派であり、重なる部分も多いのだ。
「現在、この世界で使われている魔術の殆どは、ソロモン式と同じ系統の流派に属し、エリシオン式同様、交魔法には使用出来ない」
そうなってしまった理由を、ナイルは簡単に解説する。
元々、この世界には様々な系統の魔術が存在した。
だが、その多くは特殊な才能を要したり、特殊な触媒を必要としたり、他者の記憶や命を消費するなどの問題点があった。
エリシオン式では不可能なレベルの、様々な事を実現出来た、高度な魔術は色々と存在したのだが、使える人間が少なければ、広まりはせず、受け継がれもせず、廃れるのは必然。
結果として、現在……この世界で使われる魔術の殆どはエリシオン式となった。
他に残っている魔術の多くも、エリシオン式と同系統の流派だ(ちなみに、ソロモン式はエリシオン式とルーツは同じなのだが、エリシオン式とは違い、特殊な才能を持つ者向けの魔術が多い流派であり、同系統の魔術の中では異質な存在である。聖盗が持つ二色記憶は、それ自体が特殊な才能の一つなので、ソロモン式とも相性が良い)。
他に残っているのは、公式には存在自体が抹消されている香巴拉式や、香巴拉式程では無いにしろ、かなりの危険性があると判断され、禁忌魔術に指定されている幾つかの流派の魔術だけ。
香巴拉式同様に、他の禁忌魔術も危険性はあるが、同時にエリシオン式では実現できない様々な利点がある為、禁忌魔術に指定されても滅びてはいない。
エリシオン政府は使用を禁じているのだが、犯罪者を中心に、手を出すものが絶えないのだと、ナイルは説明した。
更に、エリシオン政府の一部政府機関においても、研究の為に香巴拉式以外の禁忌魔術が使用されているとも、ナイルは付け加える。
「――だとしたら、禁忌魔術扱いの魔術に手を出さなければ、交魔法は使えないという訳?」
朝霞の問いに、ナイルは頷く。
「その事も、交魔法の存在が秘匿されている理由の一つさ。まぁ、一応……香巴拉式以外の禁忌魔術を、聖盗が交魔法に使用するのは、エリシオン政府も黙認してくれるのだが」
「つまり、香巴拉式以外の禁忌魔術の魔術式を、覚えれば良い訳か」
「その通り。一応……比較的安全に交魔法を発動可能だと、過去の経験から判明している禁忌魔術の魔術式と、交魔法を行う正確な方法を記した解説書を、渡しておこう」
「それは、有り難い」
礼を言う朝霞に、ナイルは念を押す……交魔法の危険性について。
「まぁ、比較的安全とはいっても、使っていた私自身が、聖盗としての力を失っても同然の状態なのだがね。命を亡くした者達も、同じ魔術を使っていたのだし」
真剣な口調で、ナイルは続ける。
「危険なだけでなく、交魔法は使いこなせるようになるまで、修行も必要だ。修行の段階で、何らかの不調があるようなら、即座に使用を止めるんだ……命の危険があるのだから。分かったね?」
朝霞が頷くのを確認してから、ナイルは再び足先に仕込んだ煙水晶のペンを使って、魔術式を床に記述し、黒い玉のようなタイニィ・バブルスを出現させる。
そして、中から紫色のシールドカードを取り出す。
「交魔法の解説書だ。最新版のこれを読めば、交魔法について現時点で分かっている事は、全て分かる」
「有り難うございます」
朝霞は一礼しつつ、シールドカードを受け取り、鍵番号を口伝で教わる。
「これを読んでも分からない事があったら、何時でも訊ねに来給え。まぁ、本来なら……実演して見せてやりたい所なのだが、私は力の殆どを失ってしまったし、交魔法を今現在使いこなせる聖盗は、この辺りにはいないので、紹介してやる事も出来ないのは、残念だが」
(確かに、実際に交魔法の実演を見た方が、習得し易いだろうし……残念だ)
心の中で、朝霞は呟く。