門の無い大学と明かされる秘密 10
「――無常流転からの脱出に成功したのは、香巴拉最強の八人の魔術師、八部衆!」
ナイルは歴史書のページを捲り、八部衆が描かれた挿絵が載ったページを開き、朝霞とティナヤに見せる。
挿絵に描かれた、並び立つ八人の魔術師には、顔や髪型……スタイルや性別、年齢などに個人差はあったが、その八人には共通する外見的特徴があった。
服装こそ様々だが、基本的に胸元が開かれていて、開かれた胸元からは、胸の中央部に埋め込まれた完全記憶結晶が、顔を覗かせているのだ。
しかも、完全記憶結晶には、ナイルが法輪と呼んだ操舵輪風のマークが、記されていた。
「これは……あの連中と同じじゃないか!」
八部衆の絵を目にした朝霞は、驚きの声を上げる。
あの連中とは言うまでも無く、大忘却の際、朝霞が目にした二人組の事だ。
「香巴拉の魔術師の中でも、選りすぐりの実力者である八部衆は、胸に宿した魔術機構に相当する法輪に、触媒や燃料として使用する完全記憶結晶をセットし、桁外れの魔力と魔術を制御する事が出来た」
ナイルは歴史書のページを捲り、二機の菩提薩埵を、八部衆が取り囲んでいる光景が描かれた挿絵が載ったページを開く。
「だが、人間にしては最高レベルの絶大な魔力を使える、一騎当千の実力者である八部衆であっても、ミルム・アンティクウスである無常流転門を破るのは不可能。故に、無常流転から脱した八部衆は、地上で膨大な量の完全記憶結晶を作り出し、二機の菩提薩埵を再起動したんだ……無常流転門を破る命令を与えた上で」
「それって、八部衆より菩提薩埵の方が、強いって事?」
朝霞の問いに、ナイルは首を横に振り、否定する。
「戦いにおける強さだけなら、おそらくは八部衆の方が強かっただろう。だが、基本は一度に一つの完全記憶結晶を使う八部衆より、万単位の完全記憶結晶を一度に使用可能な菩提薩埵の方が、単純な出力や破壊力だけで言えば、遥かに上回る。そして、無常流転門を破壊するのに必要なのは、戦いの強さではなく、桁外れの出力を投じた破壊力なのさ」
受けた命令を果たす為、自律行動するロボットの様な存在である菩提薩埵は、出力と破壊力は桁外れだが、戦況を判断して柔軟に対処したり、高度な駆け引きを駆使した戦いなどが出来ない。
故に、戦いにおける強さなら、出力や破壊力こそ菩提薩埵には劣るが、駆け引きや柔軟な対処が可能な八部衆の方が上だというのが、歴史書が伝える事実であった。
「二機の菩提薩埵を伴った八部衆は、無常流転門を破り、無常流転に囚われた香巴拉の民を解放すべく、無常流転門を守る連合軍相手に、戦いを挑んだ」
ナイルは更に歴史書のページを捲り、菩提薩埵や八部衆、多数の仮面者達や魔術師達が入り乱れて戦う、戦場が描かれた種絵が載っているページを開く。
「こうして始ったんだ、無常流転門を巡り、数十万の魔術師と数万人の聖盗で構成される連合軍と、二機の菩提薩埵を従えた八部衆との、壮絶な戦いが」
「八人と二機相手に、数十万と数万人……。数の上では、随分と差があったんだな」
挿絵を見ながら、朝霞は率直な感想を漏らす。
「数の上では、遙かに上回っていた連合軍ではあるが、戦いは八部衆が有利に進んだ。七天守護聖の内、六つの結界が破られる段階まで、連合軍は追い込まれた。八部衆の一人すら、倒せぬまま……」
「――でも、結果として……連合軍は勝ったんですよね? どうして勝てたんです?」
朝霞はナイルに、問いかける。もしも八部衆が勝利していたら、香巴拉による世界の支配は継続されていた筈。
今現在の煙水晶界は、そうなっていない為、戦いには連合軍が勝利した筈だと、朝霞は考えたのだ。
「激しい戦いの最中、一部の聖盗達が気付いたんだ。仮面者としての力を、限界以上まで引き出す手段の存在に」
限界以上まで引き出す手段……という言葉を聞いた朝霞は、少し前にナイルが語った話を、思い出す。
ナイルが使ったという禁じ手について、朝霞が訊ねた時の、ナイルの答えだ。
「言わば安全装置を解除して、仮面者としての力を、限界以上まで引き出す手段といったところかな」
自身が使った禁じ手を、そういう風にナイルが表現したのを、朝霞は思い出した。
「それって、さっき教授が言っていた、聖盗の禁じ手って奴?」
朝霞の問いに、ナイルは頷く。
「大きな代償を支払う羽目になるリスクがある、その手段に手を出し、限界を越えた力を手に入れた、多数の聖盗達が……不利な戦況を覆し、魔術師達と協力して無常流転門を守り通し、菩提薩埵を破壊して、八部衆を倒したんだ」
ナイルは更に、歴史書のページを捲る。
至る所が破損し、地に伏せた仏像の如き、二機の菩提薩埵残骸の周囲で、天に拳を突き上げ、歓声を上げているだろう、多数の魔術師達や聖盗達が描かれた挿絵が、掲載されたページを、ナイルは開いて見せる。
「菩提薩埵の残骸の辺りに、完全記憶結晶みたいなのが、沢山散らばってるけど……」
挿絵に描かれた菩提薩埵の残骸の周囲には、無数の完全記憶結晶が散らばっていた。
その様子が何を意味するのか分からず、朝霞には気になったのだ。
「菩提薩埵は起動時に与えられた命令を果たした際、起動に使用された全ての完全記憶結晶を、命令を果たした代償として消滅させ、完全記憶結晶を作り出した記憶の本来の持主である人々は、命を失ってしまうのだが……」
朝霞が抱いた疑問について、ナイルは説明する。
「起動時に受けた命令を果たせない事が確定した場合、菩提薩埵は起動時に使用された、全ての完全記憶結晶を、消滅させずに排出するんだ。ある程度の記憶の消耗は避けられないが、記憶の持主の命は、失われず……無事で済むのさ」
「成る程、菩提薩埵の起動に、奪われた記憶を使われた沢山の人達は、犠牲にならずに済んだんだ……それは良かった」
感慨深げに、朝霞は呟く。
香巴拉は無常流転門を破壊出来ずに、敗れ去ったのだから、倒された菩提薩埵は、受けた命令を果たせなかった事になる。
故に、菩提薩埵は起動時に投じられた、膨大な数の完全記憶結晶を排出した。
その光景が描かれた挿絵は、多数の人々の命が、失われずに済んだのを意味してもいるのだ。
「菩提薩埵の起動に記憶を使われた人々は、助かったんだが、この戦いでは……多数の人々の命が、犠牲になった」
深刻な面持ちで、ナイルは話を続ける。
「たった八人の八部衆と、二機の菩提薩埵を倒す為に、三十万を越える魔術師達と、三千人を越える聖盗達が、命を落としたと伝えられている。生き残った聖盗達の多くも、深く傷付き、聖盗としての能力や……膨大な記憶を失ったそうだ」
「膨大な記憶を失った?」
聖盗にとっての禁じ手に、聖盗としての能力を失うなどの、重大なリスクがある事を、朝霞は先程のナイルの話で知っていた。
だが、膨大な記憶を失うリスクに付いては、聞いていなかったのだ。
「聖盗にとっての禁じ手というのは、自分の記憶を記憶結晶化する事無く、そのまま仮面者の能力の燃料に使う事なのさ。結晶化という段階を踏まぬ方法であるが故に……エネルギーのロスが少ない為、凄まじい力を発揮出来るのだが、使えば使う程、多くの記憶を失ってしまうんだ」
「――香巴拉との戦いで、自分の記憶を力に換え過ぎた結果、膨大な記憶を失った訳か」
朝霞の呟きに、ナイルは頷く。
そして、記憶を失う以外のリスクについて、ナイルは詳細に説明する。




