門の無い大学と明かされる秘密 09
「我等が先達は香巴拉の本拠地である浮遊大陸に潜入し、香巴拉が蓄積していた膨大な完全記憶結晶の殆どを、盗み出したのさ! この策の成功により、香巴拉は事実上、その戦力の九割以上を失ったも同然の状態!」
やや興奮気味の口調で、ナイルは話を続ける。
「自分達に敵う敵など存在しないと、奢り高ぶっていた香巴拉は油断し、我等の先達に力の根源を奪われた。燃料である完全記憶結晶が無ければ、一機で国を滅ぼせると言われた、香巴拉の兵器……菩提薩埵も、ただの役立たずな巨大な像に過ぎない!」
「ぼだいさったというのは、何なんです?」
「菩提薩埵というのは、香巴拉の主力兵器である、巨人型の魔動機械だ」
朝霞に問われたナイルは、冷静さを取り戻し、歴史書のページを捲り、菩提薩埵の挿絵が描かれたページを開く。
「起動に膨大な量の完全記憶結晶を必要とするのだが、一度起動すれば、起動時に与えた命令を果たすまで操作の必要は無く、自律行動し続け……一機で国一つを余裕で滅ぼせる戦闘力を持っていた」
「仏像を巨大ロボットにしたみたいな、デザインだな……」
菩提薩埵を描いた挿絵を見て、朝霞は率直な感想を漏らす。
菩提薩埵の姿は、いわゆる大仏風では無く、菩薩像や観音像などの意匠を生かし、機械的に再現した巨大なロボット風の外見に、朝霞には思えた。
しかも、どちらかと言えば、日本の寺などにあるタイプの像ではなく、東南アジアの寺などにあるタイプの、派手な意匠の仏像に似ている様に。
「香巴拉は菩提薩埵を五十二機、所有していたと伝えられていて、自ら動く事も無く、ただ菩提薩埵に命令を下すだけで、煙水晶界の国々を何時でも滅ぼせたんだが、その内の五十機が、我等が先達の盗みにより、事実上無力化されたのさ」
「五十機という事は、二機は……無力化されなかったんですか?」
ティナヤの問いに、ナイルは頷く。
「当時、香巴拉は戦争など起こり得ないと、菩提薩埵の殆どを浮遊大陸に配備したまま、動かしていなかったのだが、二機だけ……何らかの目的の為に、地上に持ち出されていたんだ。この二機だけは無効化出来なかったらしい」
ナイルは再び、歴史書のページを捲る。
そのページには、空に浮かぶ巨大な浮島……浮遊大陸と、その浮遊大陸を吸い込もうとしているかの様な、空に穿たれた巨大な穴が描かれた挿絵が、載っていた。
穴の周囲には、古い東洋の城壁の門を思わせる、巨大な門が描かれていた。
上面に大都市が存在する程に、巨大な浮遊大陸を飲み込もうとする穴よりも、更に大きな門なのだから、まさに桁外れの大きさと言える。
「香巴拉が完全記憶結晶の殆どを失い、機能停止状態となった一瞬を狙い、今度は聖盗達に代わり、連合軍の魔術師達が香巴拉に攻撃を仕掛けた。無常流転門というミルム・アンティクウスを使い、香巴拉を浮遊大陸ごと、時空間の狭間に追放し、閉じ込めたのだ!」
続けて、ナイルは簡単に無常流転門について、説明する。
対象とする物を、無常流転と呼ばれる、特殊な空間に封印する能力を持っているミルム・アンティクウスが、無常流転門。
封印された空間が、一箇所に留まらず、常に様々な時空を流転し続ける為、空間自体に無常流転という名が付いた。
そして、無常流転を発生させ、そこに通じる門となる事から、ミルム・アンティクウス自体は無常流転門と、呼ばれる様になった。
香巴拉式の魔術には、世界間の壁を破る力がある。
だが、世界間の壁を破る魔術で通路を開くには、自分が存在する世界と、移動する先の世界が安定し、その空間の座標を魔術師が把握していなければならない。
故に、常に時空を移動し続け、同じ時空に存在しない無常流転と、他の世界を通路で繋ぐのは、香巴拉の民にも不可能(片方の空間が常に不安定であり、座標を把握するのが不可能に近いから)。
ミルム・アンティクウスである無常流転門を破壊し、無常流転門が最初に開いた通路を通るしか、脱出する手段は無いのだ。
無常流転門自体が、エリシオンの魔術では破壊不可能な程に強固な存在なのだが、本来の香巴拉なら、菩提薩埵を使い、破壊して脱出する事は可能。
だが、無常流転に囚われた香巴拉の民は、力の根源である完全記憶結晶を失い、菩提薩埵を使えない状況であり、内部からの破壊は不可能。
故に、外部に残された二機の菩提薩埵が、外部から無常流転門を破壊しない限り、香巴拉は無常流転から逃れられなかった……といった内容を、ナイルは朝霞とティナヤに説明した上で、話を続ける。
「香巴拉を浮遊大陸ごと飲み込み、閉じた無常流転の門を、連合軍に参加した数十万の魔術師達が、数億人から掻き集めた、膨大な量の記憶結晶粒を投じて作り出した、七重の強固な防御結界……七天守護聖で包み込み、守りを固めた」
ナイルは説明を端折ったが、七天守護聖はエリシオン式魔術において、最強の防御力を誇る、七層の魔術的防御殻を作り出す、主に封印に使われる魔術である。
「この守りは完璧に、香巴拉を封じたと思われた。例え二機の菩提薩埵が地上に残されていたとしても、起動時に命じられた命令を果たす、菩提薩埵の性質上、七天守護聖や無常流転門を破壊する命令をセットされた上で、膨大な量の完全記憶結晶を投じられなければ、連合軍の計画を妨げる存在には、ならなかった筈なのだから」
地上に残されていた二機の菩提薩埵は、他の国家が反乱を起こし、香巴拉に攻め込もうという動きを見せた際、自動的にそれらを殲滅する命令をセットされた状態で、自律行動していた。
故に、香巴拉自体に攻め込みはせず、単に封印するだけの存在である七天守護聖や無常流転門を破壊するという行動を、起こす筈が無かったのだと、ナイルは朝霞達に説明する。
「だが、ここで連合軍にとって、想定外の事態が発生した。無常流転の中からの脱出に、成功する香巴拉の魔術師達が、存在したのだ!」
「無常流転の中からの脱出は、不可能だった筈では?」
先程、ナイルがそう説明したのを思い出し、朝霞はナイルに問う。
「最初の転移が始るまでの、ほんの短い時間に……空間の壁を破り、世界間を移動する魔術を使い、脱出に成功した魔術師達がいたのさ。そんな短時間で世界の壁を破り、無常流転から抜け出して来れる魔術師の存在は、連合軍からしても想定外だったらしい」
世界間の壁を破る魔術は、自分が存在する世界と、移動する先の世界が安定していて、尚且つ双方の空間座標を、魔術師が把握していなければならない。
だが、常に時空間を流転し続ける無常流転の中では、空間が安定していない上、魔術師が空間の座標を把握するのが、事実上不可能といえる状態。
故に、香巴拉の魔術師といえど、別の世界に移動する魔術により、無常流転から抜け出すのは不可能だと、連合軍は考えていた。
幾らなんでも、封印された無常流転が、最初の転移……流転を開始するまでの、まだ空間が安定していて座標を把握可能な、ほんの短い時間で、世界間移動魔術を発動し、無常流転から抜け出せる程の凄腕の魔術師など、存在しないと考えていたのだ。
だが、数こそ少なかったが、そのレベルの魔術師は存在した。




