門の無い大学と明かされる秘密 02
「――天橋焼き、食べる?」
何事も無かった様子のティナヤの顔を確認して、心の中で安堵しつつ、それを言葉には出さず、朝霞は紙袋を差し出しながら、ティナヤに訊ねる。
「どうしたの、こんなに沢山?」
まだ七個の天橋焼きが入っている、紙袋の中を覗き込みつつ、ティナヤは朝霞に問う。
「話すと長くなるから、後でね」
「そう」
多少、気になる様子ではあったが、後に用事が入っている為、長話する訳にもいかないティナヤは、長くなる話を聞こうとはしなかった。
「これから、例の教授に会いに行くから、天橋焼きは後で貰うよ」
そう言うと、ティナヤは当り前であるかの様に、朝霞の右手を左手で握る。
そして、朝霞の手を引いて歩き始める。
「せっかく来たんだから、朝霞も一緒に行こう。朝霞が知りたい事なんだから、朝霞が直接訊いた方が、間違い無いだろうし」
「いいのかな? 俺……ここの学生じゃないのに」
「大丈夫だよ、うちの大学の教授は、何かを知りたいと思って、教えを請いに来る人を、拒んだりはしないから」
当然だと言わんばかりの口調で、ティナヤは続ける。
「学ぼうという意志がある者には、常に門を閉ざさない、『門の無い大学』だからね、うちの大学は」
「――成る程」
そういった気風の大学なのだと、学生であるティナヤが言うのだから、そうなのだろうと朝霞は納得する。
そして、ティナヤと並んで、朝霞は歩き始める。
繋いだ二人の手は、何時の間にか、指が絡み合う様な繋ぎ方になっている。
手を離そうとするかもしれない朝霞の手を、繋いだままにする為に、ティナヤが指を絡めたせいなのだが、手を繋いでキャンパスを歩く、朝霞とティナヤの姿は、恋人同士の様だ。
十一号館の玄関近くで、去り行くティナヤの姿を目で追っていた、ティナヤの友人達にも、朝霞とティナヤの姿は、恋人同士にしか見えなかった。
「やっぱり、彼氏とデートだったんだ。別に今更、隠す事でも無いのにね」
ティナヤを眺めながら、セミロングの女子学生が呟く。
「彼氏を見て、驚いてた様に見えたから、デートの予定じゃなかったんじゃない? 彼氏の方が、ティナヤに会いに来ただけで……」
ショートヘアの女子学生の方は、割と正確に朝霞とティナヤの状況を、見抜いていた。
「三つ年下なんだっけ? 可愛い子だよね、ちょっと背が低いけど」
朝霞に対する感想を、ショートヘアの女子学生は口にする。
「三つ年下って、まだガキじゃないか。男の趣味……悪いよな」
不愉快そうに、恋人同士の様に歩き去る、朝霞とティナヤの後姿を一瞥しつつ、茶髪の男子学生が、言葉を吐き捨てる。
「ティナヤだったら、男……選び放題だろうに、よりにもよってガキと付き合うなんて……」
金髪の男子学生も、朝霞とティナヤの後姿を睨みつつ、苛ついた様な口調で、言葉を続ける。
「男慣れしてないお嬢さんだから、男見る目……無いんだろうね」
明らかに「妬いている」としか思えない、友人二人の言葉を耳にして、もう一人の男子学生……オールバックの黒髪に銀縁眼鏡、黒いカラーシャツにパンツという、クールな感じの男子学生が、呆れた様な口調で言い放つ。
「お前達や……他のうちの大学の男子学生連中が、そんなガキに魅力で負けたから、ティナヤを持ってかれただけの話だろ」
他の二人の男子学生と違い、ティナヤに対して友人以上の感情が無い、眼鏡の男子学生の言葉に、二人の女子学生は大きく頷き、同意を示す。
茶髪と金髪の男子学生が、ティナヤに友人以上の感情を持っている事を、他の三人は察していた。
美人で性格も良いティナヤは、天橋大学では人気が有り、恋愛感情を抱いていた男子学生も多かった。
だが、天橋市でも有名な資産家の娘で、両親が異性との交際に関しては厳しかった為、恋人と言える様な存在はいなかった。
口説く男子学生は多かったのだが、応じた事は無く、家柄のせいもあり、ティナヤは堅い高嶺の花といえる状態だったのだ。
故に、同じ友人グループの友人ではあった、茶髪と金髪の男子学生達も、友人というラインを越えられずにいたのである。
だが、そんな状況が昨年の夏、変化を迎えた。
厳しかったティナヤの両親が、とある事故に巻き込まれて急逝した直後、いきなり年下の少年との同棲を、ティナヤが始めたという噂が、天橋大学で広まったのだ。
実際は、謎の集団に襲われたティナヤを救った、朝霞と神流……幸手の三人が、ボディーガードとしての同居を始めただけだった。
特定の相手が出来たという噂が広まった結果、口説いてくる相手が減って、断る手間が減り楽になった為、ティナヤは噂自体を放置し、朝霞が彼氏だという噂自体を、事実上肯定してしまった。
同居の初期段階では、あくまで朝霞はボディーガードであり、彼氏だという噂は、男避けに利用していただけだった。
もっとも、その後……一ヶ月が過ぎた頃には、実際にティナヤは朝霞に、惚れてしまったのだが。
そういった流れで、天橋大学において、ティナヤは恋人の朝霞と、同棲しているという事になっている。
「――ま、自分に靡かなかった相手を腐す様な、見苦しい真似は止めとけ。男を下げるだけだからな」
眼鏡の男子学生は、嫉妬のせいで見苦しい発言をしてしまった友人達を、窘める。
窘めるべき事については、遠慮せずに窘める方が、友人の為だとばかりに。
「そりゃ……そうだな」
茶髪の男子学生の呟きに、金髪の男子学生も、頷いて同意する。
茶髪の金髪の二人は、眼鏡の男子学生に窘められ、自分達が見苦しい真似をしてしまったのを自覚したのだろう、気まずそうに顔を見合わせている。
自分と朝霞が原因で、後に残して来た友人達が、そんなやり取りをしている事など、朝霞と共に歴史研究所に向かって歩いていたティナヤには、知る由も無い。
初夏の午後の強い陽射しが、銀杏並木の枝葉に程好く和らげられる、賑やかなキャンパスの通りを、恋人同士の様に手を繋ぎ、想い人と共に歩くのを、ティナヤは楽しんでいた。
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