死亡遊戯 60
夜のフィルターが外された、朝の歓楽街の光景は、見ていて気分が良いものでは無い。夜の間は闇に隠され見えなかった汚れは目立ち、街を飾り立てる煌びやかな灯りも、消え失せてしまっている。
不夜城と言われる華やかで艶があるイメージの歓楽街でも、早朝はただの薄汚れた街にしか見えない。通りを行き交う人の顔も、客であれ従業員であれ、皆疲れた感じだ。
「――商売女の顔と同じさ、朝に見たら幻滅するに決まってる」
朝を迎えた歓楽街の、薄汚れた光景を眺めつつ歩くアリリオが、げんなりとした表情を浮かべているのに気付いて、エンリケは声をかける。
「この手の街は、夜に綺麗に見えりゃ、それでいいんだ。化粧を落とした後の顔なんざ、気にするもんじゃねぇや」
「それくらいは分かっているんだが、臭いの方は……どうもね」
通りのあちこちを汚している、酔客の吐瀉物を一瞥しながら、アリリオは言葉を返す。通りを漂う饐えた臭いを嗅ぐと、アリリオとしては気が滅入るのを避け難いのだ。
気が滅入る原因は、悪臭だけではない。既に数時間、探し続けている情報が、手に入らない事も、原因の一つとなっている。
アリリオとエンリケは五月二十二日の午後、墨西哥州から越南州のハノイに、虚空門で移動した。その間、殆ど時間は過ぎていないのだが、墨西哥州と越南州には十三時間の時差があり、この時点でハノイは五月二十三日の深夜。
夜中にも開いていたハノイの屋台で、軽く食事を摂ってから、二人は美翼鳥法で城舗栄まで、一時間弱かけて飛行して移動。二人は城舗栄の真夜中の歓楽街に向い、あちこちを回っては、情報収集を行い続けていたのだ。
集めているのは、黒猫……朝霞や、紅玉界の聖盗が利用する、施設などに関する情報。情報収集の場として歓楽街を選んだのは、夜中でも人が沢山いる場所となると、歓楽街くらいしかなかったせいでもあるのだが、エンリケの主張のせいでもある。
「何でも低い所に流れ着くもんさ、人も情報も。落ちた人間が行き着く街で、金チラつかせて聞き回れば、その辺りの胡散臭い情報は、大抵手に入る」
同じ様な事を、過去に何度もエンリケが口にしていたのも、実際に情報が手に入ったのも、アリリオは経験として知っていた。故に、エンリケの言う通りに、歓楽街で情報収集を始めたのだ。
だが、二桁を数える様々な店を回り、様々な人に訊いて回ったにも関わらず、欲しい情報は手に入っていなかった。
「今回は駄目だったみたいだな。他を当たるか」
残念そうなアリリオに、エンリケは異を唱える。
「気が早ぇよ、今までのは仕込みの段階だ」
「仕込み?」
アリリオの問いに、エンリケは頷く。
「仕込みの段階で釣れる場合もあるけどよ、訊いて回るのは撒き餌の段階、釣り上げるのは魚が集まってからだ」
魚釣りに例えた話を聞いて、アリリオは大雑把にエンリケの言いたい事を理解する。子供の頃から釣りに馴染んでいたアリリオには、分かり易い例えだった。
「後は人目につく所でメシでも食ってりゃいい、魚の方からやって来るさ」
「そうだな……小腹も空いてきたし、朝食にするか。ろくな物が出て来なかったからな、どこの店も」
情報集めの為に回った店で出された、飲み物や食べ物を思い出しながらのアリリオの言葉だ。有り体に言えば、不味い物ばかりが出た上、多数の店を回る都合もあったので、二人は飲み物や食べ物には、申し訳程度しか口をつけていなかったのだ。
「粘土みたいな食感のパンに出会ったのは、初めてだ。出来れば一生、出会いたくなかったが」
アリリオの言い様に、エンリケは苦笑する。
「女遊びを楽しむ店の、食い物や飲み物に、味なんか求めんなよ。粘土みたいな味のパンを出されなかっただけ、マシだと思っとけ」
「――だとしても、程度ってものがあるだろ。ハノイの屋台が美味かった分、落差が酷過ぎてね」
過去に何度かハノイは訪れた事があり、城舗栄に来る前も、ハノイの屋台で夕食を摂ったアリリオは、越南州は食べ物が美味い州と認識していたのだ。そのせいで、余計に歓楽街で出された物に、辟易したのである。
「ハノイのは美味かったな、食いにくかったけどよ。ここも屋台なら美味いんじゃねぇの?」
エンリケが「食いにくかった」料理とは、魚醤で味付けしたチキンスープに、米粉の麺を浸したフォーという越南料理だった。基本は箸で食べる料理なので、箸を使うのが苦手なエンリケには、食べ難かったのだ。
「屋台か……西の大通りの方で見かけたな、営業中ではなかった様だが」
アリリオが言う大通りとは、歓楽街となっている通りにも繋がっている、西側にある大通りの事だ。歓楽街に入る前に、その大通りを通った際、営業時間外の屋台らしき物があるのに、アリリオは気付いていた。
「タイソンが言っていたが、越南じゃ朝食は外食が普通で、早朝から開いてる屋台が多いんだそうだ」
「――だったら、もう開いてるかもしれねぇな。大通り出て何か食おうぜ。屋台なら、人目につき易いし、都合がいい」
屋台で早目の朝食を摂る事を決めた二人は、そのまま通りを歩き続けた。今歩いている通りを直進すれば、大通りに突き当たるのだ。




