表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
330/344

死亡遊戯 58

 空の七割程が雲に覆い隠された、貧相な星空の下に広がる荒野に、一台の自動車が停車している。丸っこい甲虫の様なデザインの、灰色の小型自動車が。

 辺りにあるのは、北北西から南南東に伸びた、荒野を真っ二つに分ける道路だけ。まともに舗装されていないどころか、あちらこちらが穴だらけの、危険な道路である。

 通り慣れた者が日中に走るなら、それでも「余り」事故は起さないのだが、初めて走る者が、夜間にスピードを出したりしたら、高確率で事故を起してしまう様な道路。灰色の小型自動車の運転手は、初めて通る道路の路面状態の悪さを考慮せず、かなりのスピードを出し続けた結果、ハノイと城舗栄の中央辺りで、穴にタイヤをとられ、事故を起してしまったのだ。

 故に、道路脇に灰色の小型自動車を移動させ、夜中だというのに運転手自ら、修理を続けているのである。ジャッキで持ち上げた車体の下に潜り込み、二人の同乗者を助手として。

 一応、シートを地面に敷いているとはいえ、運転手の少女が着ている、カーキ色のパンツと白いTシャツは、土や機械油……そして汗に汚れている。

「神流っち、タイヤ回してみて!」

 運転手の少女に声をかけられた、右前のタイヤの前にいた、亜麻色のTシャツに膝丈のデニムパンツという格好の神流が、地面から浮いているタイヤに手をかけると、クルクルと回し始める。すると、車体の下で前輪の車軸が、回転を始める。

「――どんな感じかな?」

 車体の左前、前輪のタイヤが外され、回転する車軸がむき出しになっている辺りで、足踏み式のポンプを使い、スペアタイヤに空気を入れる作業を終わらせたばかりの少女が、車体の下の運転手に問いかける。白いTシャツにジーンズという爽やかな出で立ちの、長い黒髪の少女だ。

「ブレてはいないみたいだし、無茶しなければ大丈夫……だと思う。止めて良いよ!」

 神流に声をかけてから、運転手は身体を少しずつずらし、車体の下から出る。運転手は立ち上がると、両手を上に上げて背伸びをしてから、大きく深呼吸。

 そして、参ったと言わんばかりの口調で、運転手は愚痴を吐く。

「この程度の事故で、まさか車軸が曲がるとは。これまで散々、イダテンには無茶させ過ぎたから、あちこちガタが来てるのかな?」

 灰色の自動車……イダテンは、道路の穴に左前輪をとられて、左前輪がバーストした挙句に転倒。前輪の車軸が折れ曲がり、走れない状況に陥ったので、機械整備技術と魔術を得意とする運転手の少女が、技術と魔術を駆使して、何とか車軸を元に戻したのだ。

 トランクを開いて使い終えたポンプを仕舞い、白いタオルを手にして戻って来た長い黒髪の少女は、タオルを運転手の少女に差し出しながら、声をかける。

「幸手、お疲れ! 喉が渇いたなら、飲み物は助手席に置いておいたから」

「ありがと! 気がきくねーティナヤっちは」

 運転手の少女……幸手は、長い黒髪の少女……ティナヤに礼を言うと、ティナヤが空気を入れ終えた、スペアタイヤの方に歩いて来た神流に目線を移し、からかう様な口調で言葉を続ける。

「――誰かさんと違って」

「人間、向き不向きがあるんだよ! そういう気づかいとか、あたしには向いてないの!」

 顔を顰めて幸手に言い返してから、神流は結構な重さのタイヤを軽々と持ち上げ、イダテンの剥き出しになっている、車軸の前に移動。神流はタイヤを車軸にはめ込みながら、ティナヤに声をかける。

「ティナヤ、はめるの手伝って!」

 既に用意しておいたレンチを後ろのポケットから取り出し、ティナヤはスペアタイヤの前に移動すると、神流と共にスペアタイヤを車軸に装着する作業を行う。車軸の修理は幸手にしか出来ないので、助手に徹していたが、タイヤ交換は二人にも可能。

 修理で疲労している幸手を休ませる為、タイヤ交換は自分達が行うと、神流とティナヤが自分達で決めたのだ。二人は協力し、手際良くタイヤの交換作業を続ける。

 二人の作業を少しだけ見守り、任せても大丈夫そうだと判断した幸手は、汗をタオルで拭きながら、助手席側のドアの前に移動。

「オッサン臭い……」

 脇の下の汗をタオルで拭う自分の姿が、ドアのウインドウに映ったのを目にしてしまった幸手は、自嘲気味に呟く。飲食店のお絞りで手以外を拭う、おじさん臭い行為に似た真似を、自分がしてしまった気が、幸手にはしたのだ。

「朝霞っちに……見られなくて良かった」

 この場に朝霞がいなくて良かったと、少しだけ思った後、すぐに逆の考えが、幸手の頭に浮かんで来る。

「――見られてもいいから、傍にいてくれた方がいいや。恥ずかしい姿を見られるくらいに、近くにいてくれないと心配だし」

 ティナヤとのソウルリンクが健在な以上、朝霞の生存自体は疑っていない。だが、生きてはいても、自分達の元に戻って来ない以上、酷い怪我を負うなどの、何らかの深刻なトラブルを抱えている可能性が高いと、幸手達は不安に苛まれていた。

「早く……無事な姿を見たいな。修理に結構な時間とられたけど、早く城舗栄に辿り着かないと」

 呟きながら、幸手は助手席のドアを開け、シートに置かれた瓶を手に取ってから、ドアを閉める。栓を捻って開けると、甘酸っぱくも爽やかな柑橘系の香りが、瓶の口から立ち昇ってくる。

「ロックオレンジ……」

 同居している四人、皆が好んでいるが、特に朝霞が好んでいるロックオレンジのジュースの香りを嗅ぎ、幸手は思い出す。ハノイに辿り着く前に立ち寄った道駅(ロードステーションとも呼ばれる、ガスステーションに相当する煙水晶界の商業施設)で、ロックオレンジのジュースが入った瓶を、ティナヤが買い込んでいたのを。

「朝霞っちに会えた時の事を、考えてなんだろうねぇ」

 呟いてから、幸手は瓶に口をつけ、ジュースを飲む。生温くはあるが、修理作業で乾いた喉と、疲れた身体と頭は、糖分の多い液体を喜んで受け入れる。

 二、三度口につけただけで、幸手は瓶の中身を飲み干してしまう。喉を潤し終えた幸手は、何とはなしに夜空を見上げる。鬱陶しい曇り空ではあるが、修理中、車の底ばかりを見続けていた幸手からすれば、開放感を味わえる光景なのだ。

 殆ど星が見えない曇天の夜空を、心地良さ気に見上げながら、スペアタイヤの装着が終わるのを待っていた幸手の目に、ほんの一瞬……雲間を流れる二つの光点が映る。

「――そんなにすぐに雲に隠れたら、三度も願い事を唱えられないじゃない」

 幸手は光点を流れ星だと思い、残念そうに呟く。雲間から顔を覗かせる狭過ぎる星空を、一瞬流れたかの様に移動しただけで、すぐに雲に隠れてしまった光点は、幸手の目には流れ星にしか見えなかった。

 光点が二つ流れた様に、幸手には見えた気がした。だが、仮面者となっていない時は眼鏡が必須な程、視力が悪い幸手は、単なる見間違いだろうと、特に気にもしなかった。

 しかし、光点が二つ見えたのは、幸手の見間違いでは無かった。この時、実際に雲の上を、光を放つ二つの存在が飛行していたのだ。

 もしも曇り空でなく、光点が雲間から一瞬だけ、顔を出す様な状況でなかったら、幸手は気付けていただろう。ハノイから城舗栄に向って飛んで行く、明らかに流れ星ではない、二つの光点の存在に。

 そして、雲に邪魔されたせいで気付けなかったのは、幸手の方だけではない。空を飛ぶ二つの光点の正体であった、二人の魔術師達も、以前から探し続けていた最重要と言える程の存在が、雲の下に広がる荒野にいた事に気付けず、通り過ぎてしまっていたのだ。

 夜を飛ぶのは目立つ為、せっかく雲が出ているのなら、姿を隠すのに利用しようと、二人の魔術師は雲の上を……通常より高い高度で空を飛んでいた。雲が出ておらず、低い高度を飛んでいたのなら、地上にいた探し続けていた存在に、二人の魔術師は気付けていたのかもしれない。

 空を行く二人の魔術師達も、地上を行く三人も、曇り空のせいで互いの存在に気付けぬまま、城舗栄へと向う事になった。朝霞とトリグラフが潜伏中の、城舗栄に……。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ