死亡遊戯 55
香巴拉への帰依とは、香巴拉式にとっての神々を信仰し、戒律の厳守を受け入れ、信徒となる事を言う。信仰心を持ち戒律を決して破らぬ様に、実質的に香巴拉の神々に精神支配を受ける形になるのだが、信仰と戒律に逆らわぬ範囲までは支配を受けない為、人格や個性は明確に残される。
八部衆となった者の中にはアリリオの様に、人殺しを躊躇う者もいる。人殺しが最高レベルの禁忌であった人間社会で生まれ育てば、そうなるのが普通だろう。
香巴拉に帰依すると、人間は下等であり、命の搾取すら香巴拉には許される存在だと、認識するようになる。この認識の強さには、初期の段階では個人差があり、認識が弱い者は、人殺しを躊躇い勝ちだったりするのだ。
だが、そんな者であっても、八部衆として生き続け、香巴拉の魔術を使い続ければ、人間として生きていた頃の感覚を失い続け、平気で人を殺せるようになる。その事を、八部衆として長く生き続けて来たが故に、男は知っていたのである。
法輪と共に受け継いだ、過去の八部衆の記憶は、受け継がせるべきものを過去の八部衆が選別した、限定的な範囲のもの。八部衆個別の、「殺人」に対するスタンスの変遷の様な、細かい記憶までは受け継いでいない。
あくまで、自分が八部衆となって以降、他の八部衆と過ごした結果、そういう認識に男が至ったというだけだ。
「新兵の内から、人を平気で殺せる奴の方が少ないと言った方が、君には分かり易いだろう。年月と経験の積み重ねがなければ、本質までは変わり難いものだ」
女同様に男も元々が軍人である為、新兵に例えた話を選んだ。元軍人という共通点はあっても、ラフな服装と態度の女と違い、男の方は戦闘服の着こなしも言動も、きっちりとした感じであり、年齢も一回り上に見える。
ただ、きっちりと着こなしているとはいえ、胸元のボタンだけは開いている。完全記憶結晶のチェックに必要な、仄かな光を放つ紫水晶を露出させる為に。
「変わるのを待てとでも? アナテマが本格的に動き始めたっていうのに、そんな悠長な事、言ってられる状況でもないでしょ!」
女は肩をすくめ、言葉を続ける。
「今のアナテマは八部衆と一対一で勝負して、金剛杵使わせる程に強いって言うじゃない! 殺しを躊躇う様な甘ちゃん放っておいたら、あたし達の急所になりかねない!」
女と男の会話が聞こえていた華麗が、作業の手を止めて声を上げる。
「あの程度の連中、金剛杵を使わなくても倒せてたよ! 使った方が楽だから、使っただけだって!」
「どうだかねぇ?」
肩を竦めてみせてから、女は続ける。
「麗華の話だと、身体の殆どを爺に吹っ飛ばされた挙句の、金剛杵頼りだって言うじゃないか。金剛杵無しでも倒せたかどうか、怪しいもんさ」
女の口から出て来た麗華の名前を耳にした華麗は、麗華を睨み付ける。「余計な事を言いやがって」とでも、言わんばかりの表情で。
しれっとした表情で、華麗の目線を受け流しつつ、麗華も口を開く。
「前にも話した事だけど、私達が戦った至高魔術師達は、受け継いだ記憶の中に出て来る至高魔術師達とでは、次元が違う程に強かったよ」
偽らざる至高魔術師戦の感想を、麗華は語る。
「私が戦ったマニトゥ使いも、相当に強かった。ナジャの巣を歌舞天恵で封じた後でなければ、私の方が華麗より先に、金剛杵を使っていたかもしれない」
麗華とポワカの戦いは、当初は五分と言えるレベルだったが、途中からは麗華優勢で進んでいた。麗華が与えた大きなダメージは、ポワカのワパハで打ち消され、ポワカが麗華に与えた大きなダメージは、膨大な魔力と強力な治療魔術を駆使した再生能力により、無かった事にされる形で、お互い決め手には欠けていた。
しかし、ワパパの枚数が限られるポワカより、膨大な魔力残量任せの再生が可能な麗華の方が、ワパパの消耗が進むにつれて、押し気味となった。麗華が優勢のまま、華麗が発動した金剛杵の攻撃に、ポワカが巻き込まれて姿を消す形で、麗華とポワカの戦いは終わっていたのだ。
優勢ではあったのだが、それはあくまでタイソンが防御を固めている間に、歌舞天恵でナジャの巣を封じた上での戦いであった。その為、厄介過ぎる魔術である、ナジャの巣を使える状態のポワカとの戦いであれば、負けはしないまでも華麗より先に、切札である金剛杵を使わざるを得ない状況に、追い込まれていただろうと、麗華は思っていた。
「あのレベルの連中が、残り十一人。しかも、タイソンや教授の推測通り、例の死神達……崑崙の残党が合流しているのだとしたら、舐めてかかったら痛い目に遭うと思うよ、今のアナテマは」
麗華の言うところの死神達……崑崙の残党とは、飛鴻と妖風の事だ。アナテマが大規模な作戦をタンロン鉱山跡で仕掛けた際、滅魔煙陣がハノイの街を守ったのを、タイソンと閔兄弟は目にしていた(滅魔煙陣を知っていたのはタイソンだけだが)。




