死亡遊戯 54
閔兄弟がバスやポワカと戦っていた時、トリグラフの三人に奪われた星牢には、三千程の紅玉が収納されていた。その三千の紅玉が手に入らずとも、二機の菩提薩埵を起動するのに必要な紅玉の数は、ギリギリではあるが足りていた。
タンロン荒野における、「既に数が足りている蒼玉と紅玉だけ」というタイソンの発言は、菩提薩埵の起動に必要な数が足りているという意味だったのだ。当時は数が足りていなかった完全記憶結晶も、タイソン達がタンロンから大量に持ち帰った事により、調達が終わった為、八部衆は菩提薩埵起動の準備に入った。
だが、菩提薩埵の起動に必要な分を除くと、紅玉の残りは僅かという状態。それでは、菩提薩埵の起動に成功しても、他の活動や戦闘に支障をきたす可能性がある。
故に、アリリオは紅玉を収集する為、エンリケと共に墨西哥州に向ったので、曼荼羅に完全記憶結晶を配置する作業に、二人は参加していないのだ。墨西哥州に向ったのは、墨西哥州の白酒屋同盟という組織が、まとまった数の紅玉を手に入れたという、不確かな情報を、麗華が少し前に亜米利加州で得ていたのを、耳にした為。
「まぁ、紅玉得る為に墨西哥に行ったのは仕方が無いにしても、帰るのが遅過ぎだろ。もう三日目だよ!」
華麗の言う通り、アリリオとエンリケが納米布の拠点を発ってから、既に三日目。予定の帰還日を、既に過ぎていたのだ。
帰還が遅れているのは、元から不確かで少ない情報を根拠としていた為、紅玉を得るまで時間がかかってしまったせいでもあるのだが、それだけならば既に帰還出来ていた。二人が戻って来ないのは、黒猫生存の情報を得て、越南州の城舗栄に向ったからである。
この場にいる五人の八部衆達は、その事を知らない。
「この作業が嫌で、二人して墨西哥で遊んでるに決まってる!」
「お前達と一緒にするな。エンリケだけならともかく、アリリオが一緒なんだ。あいつは真面目で有能、お前等と違って遊び惚けるタイプじゃないだろ」
「私達だけじゃなくて、何気にエンリケにまで酷い事言ってるね、タイソン」
「只の事実だ」
不満げな半目の麗華に、タイソンは当然だと言わんばかりの口調で言い放ってから、言葉を続ける。
「何かトラブルがあったのかも知れんな。幾らなんでも、またアナテマの罠という訳でも無いだろうが」
音が反響し易い空洞であり、タイソンや閔兄弟達の会話の声が大きかったせいで、アリリオやエンリケに関する会話は、東側の曼荼羅に完全記憶結晶を並べている、他の二人の耳にも届いた。
「――甘ちゃんのアリリオの事だから、無駄な人殺しはしないとか言って、また無駄な手間と時間をかけてンでしょ」
東側の曼荼羅の上にいる背の高い女が、右手で掴んでる瑠璃玉を、豊かな胸に近付けつつ、呆れ顔で言い放つ。胸元に青い完全記憶結晶が埋め込まれていて、仄かな光を放っている事から分かる通り、この女も八部衆の一人だ。
青い光を放つ完全記憶結晶といえば、蒼玉と瑠璃玉だが、瑠璃玉の八部衆は摩睺羅伽……華麗なので、この女は蒼玉の八部衆という事になる。近付けると分かり易いが、青空に例えられる蒼玉の色は、透明感の強い青さ、瑠璃玉は透明度が低い、深い海の様な濃い青さだ。
胸元の蒼玉の光が一瞬だけ強まり、瑠璃玉を包み込むが、すぐに光は元通りになる。瑠璃玉のチェックが、終わったのである。
女が着ている迷彩柄の半袖シャツのボタンは、全て外されていて、前が完全に開かれている。シャツの内側には、青いスポーツウェアを着ているのだが、デザインがセパレートの水着のトップスにしか見えない程に、露出度が高い。
露出度の高さ故に、胸元だけでなく、腹筋が割れた腹部も露になっている。鍛え上げられた筋肉質の身体を包む肌が、かなり濃い目の褐色なのは、阿弗利加大州の民族の血を、色濃く受け継いでいる為。
厚みがある唇や、かなり縮れているショートヘアーも、その血筋の影響だ。阿弗利加大州の民族の髪は、黒いのが普通なのだが、この女の髪は老婆の様に白い。
白髪が目立つ様な年齢ではなく、見た目は二十代後半から三十辺りと若く、顔立ちも艶っぽく整っている。殺されなければ死なず、制限はあれど若返りや老化の停止も可能な、香巴拉式の高位魔術師の場合、見た目の年齢は当てにならないが、この女の場合は見た目通りの年齢だ。
シャツだけでなく、カーゴパンツもオリーブ色を基調とした迷彩柄であり、頑強そうな黒いブーツを履いている。ラフ過ぎる着こなしとはいえ、野戦用の戦闘服を着ているのは、女が軍人上がりだからである。
「香巴拉らしくないんだよ、あの坊やは。人の命を食らって、栄耀の限りを尽くしてこその香巴拉だってのが、まだ分かって無いのさ」
女は前屈みになり、瑠璃玉を曼荼羅の上に置くと、瑠璃玉が僅かに光るのを確認。
「獲物に思い入れて、狩り殺せない獣は、飢えて死ぬしかないのにねぇ」
「人殺しが苦手な以外は、極めて有能な男ではあるのだが、奴は帰依してから、過ぎた時が長くは無い。まだ人として生きた年月の影響が強いのだろう」
女と同じ曼荼羅の上、十メートル程離れた辺りにいる、左手で翠玉を配置した直後の男が、右手に持つ図面を見ながら、言葉を続ける。
「時が過ぎ行き、香巴拉の力を使い続ければ、人であった時の感覚は薄れ行くものだ。奴とていずれは、食事の為に卵を割るかの様に、躊躇い無く人を殺める様になる」
色白の肌に彫りの深い顔立ち、鋭い眼光が印象的で、襟足が長めのオールバックの髪と、整えられた口髭は黒い。戦闘服姿の女よりも、やや低くはあるが長身の身体を、野戦用戦闘服に包んでいる。
野戦用の戦闘服といっても、男が着ているのはカーキ色であり、女の物とはデザインが異なる、違う州のモデルの戦闘服だ。着こなしもラフさとは程遠く、隙の無い感じ。




