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天橋暮らし 13

 芳しいコーヒーの匂いが、ダイニングキッチンの中を満たしている。

 壁にかけられた時計の針が指し示す時刻は、午後八時十二分。


 公園から住み処に戻った朝霞達は、共に準備を整えて夕食をとった。

 そして、夕食の片づけを終えた後、四人でテーブルを囲んでコーヒーを飲みつつ、寛いでいるのだ。


 もっとも、ただ寛ぐだけでは無い。

 オルガから貰ったカードから情報を引き出し、その情報を検討するつもりなので、テーブルの朝霞の前には、赤いカードが置かれている。


 コーヒーを飲み干した朝霞は、コーヒーカップをテーブルに置くと、ツナギのポケットから、煙水晶をペン先にした、小さな青いペンを取り出す。


「――じゃあ、カードの中身……確認するよ」


 そう言いながら、朝霞はカードに目線を落とす。

 燃え盛る炎の様な色合いのカードには、数字を書き込める三つの枠が、プリントされている。


 この枠の中に、それぞれ鍵番号という暗証番号を、煙水晶をペンとして書き込むと、封印が解除され、カード内に封印されている情報が引き出せる。

 人に知られたく無い情報をやり取りする用途に使用される、シンプルな魔術機構が仕掛けられたカードだ。


 聖盗専用のガジェットという訳ではなく、シールドカード(シールド……封印されたカードという意味合い)という名で一般販売されていて、割と広く煙水晶界中で使われている。

 単にカードと略されて呼ばれる場合が、殆どだが。


「確か、一番最近聞いた、蛇女のスリーサイズは……」


 記憶の扉を開きつつ、朝霞はオルガのスリーサイズを思い出す。

 オルガが口にするスリーサイズは、たまに変わるので、一番最近聞いた数字の……とりあえずバストサイズを思い出し、シールドカードに書き込む。


「え? そんなに?」


 朝霞の右斜め前に座っている神流が、朝霞の書き込んだオルガのバストサイズを目にして、驚きの声を上げる。

 ほぼ自分と同じ身長のオルガの、余りにも自分と違うサイズを知り、胸が貧しい神流はショックを受けたのだ。


 続いて、朝霞はオルガのウエストサイズを、シールドカードに書き込む。


「いや、あの身長で……あれくらいのスタイルだと、そのウエストサイズはおかしい。明らかに10センチは、過少申告してるね」


 今度は朝霞の左斜め前に座っている幸手が、朝霞が書き込んだウエストサイズを目にして、眼鏡を光らせつつ、オルガの誤魔化しを指摘する。


「ウエストを誤魔化してるって事は、バストの方の数字も信用は出来ないと考えた方が、いいのかな?」


 対面の席に座っているティナヤが問いかけ、神流と幸手が頷いて同意する様子を一瞥しつつ、朝霞は呆れ顔でヒップのサイズをシールドカードに書き込む。

 すると、鍵番号を全て書き込まれたシールドカードが、炭酸飲料の泡が弾けるかの様な音を立てながら、黒っぽい煙を噴き出し始める。


 シールドカードに接着されている、砂粒程に細かい煙水晶粒を燃料として、魔術機構が発動した為、煙が発生したのだ。

 ほんの数秒で音と煙の発生は止み、テーブルの上……三分の一程の空間に広がった煙は、ダイニングキッチンの空気に溶け込み、消え失せる。


 煙の中から姿を現したシールドカードを、朝霞は手に取る。

 封印が解除されたシールドカードの形状は、微妙に変わっていた……厚さが数倍になり、カードというよりはメモ帳の様な形状に、変化していたのである。


 朝霞はシールドカードを手に取ると、メモ帳の様に表紙をめくり、中身を確認する。

 封印を解除しなければ、決して目を通す事が出来ない、オルガの筆跡で書かれた文面を、朝霞は読み始める。


「――俺達も掴んでる情報も多いが、知らない情報も結構載ってるな。次の仕事に丁度良さ気な、記憶結晶の大規模な裏取引の情報とか……」


「大規模って……この前の那威州での奴みたいな?」


 神流が朝霞に、問いかける。


「いや、あんなもんじゃない。万単位の完全記憶結晶が取引される可能性がある、史上最大規模のブラックマーケットが、来週辺り……越南えつなん州のハノイで、開かれるらしい」


「万単位? そりゃ確かに、聞いた事が無いレベルの規模だな!」


 驚きの声を上げたのは神流だが、幸手やティナヤも、驚きの表情を浮かべている。

 それ程、一度に万単位の完全記憶結晶の裏取引というのは、桁違いの規模なのだ。


「――越南州って、まだ行った事無いよね? どんな所なんだろ?」


 神流の問いに答える為、ティナヤが口を開く。


「地理的な分類では、瀛州と同じ亜細亜大州あじあたいしゅうの東南にある州ね。赤道に近くて、かなり暑いとこだよ。州都のハノイは、一応……ギリギリで温帯だけど」


 大州とは、幾つもの州を一まとめにした分類である。


「私達の世界で言えば、あの辺りはアジアの東南……東南アジア相当だったな。そう言えば、ベトナムの漢字表記が越南だった気がする」


 幸手が思い出した通り、蒼玉界におけるベトナムの漢字表記は越南。

 煙水晶界における越南州は、地域……文化的には、ベトナムに相当するのだ。


 ちなみに、黒猫団は亜細亜大州を中心として、世界中に遠征して回っているのだが、あくまで蒼玉が存在するという情報を掴んだ場所に遠征しているので、その情報が無い場所には、亜細亜大州の州であっても、遠征の経験は無い。

 越南州は、その遠征経験が無い州の一つである。


「八つの世界全ての完全記憶結晶が、膨大な数取引されるらしいんで、トリグラフも紅玉狙いでハノイに向かうそうだ」


 シールドカードのページをめくりながら、朝霞は続ける。


「他に、蒼玉が関わってそうな情報は、無いみたいだな」


「蒼玉があるなら、見逃す訳には行かない。次の仕事は、越南のハノイで決まりか」


 神流の言葉に、朝霞と幸手が頷く。黒猫団の次のターゲット……遠征先は、この時点で決まったのだ。

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