死亡遊戯 43
「まだ生きてるぜ。助けたきゃ勝手にしやがれ」
役目を終えた右腕の炎を消しながら、エンリケは言い返すと、停車したままのワゴンに向かって歩き出す。
「言われる迄も無い」
アリリオは左手で胸の紅玉に触れ、魔力をチャージすると、余り得意では無い冷気を放つ魔術を発動し、左掌から冷気を放射。アズテック使いの男の炎を、一瞬で吹き消す。
炎は消えたが、アズテック使いの男の身体は、焼け焦げた焼死体にしか見えない状態になっている。良く見れば胸が上下しているし、口元が僅かに動いているので、まだ何とか息があるのが分かる程度。
息があるとはいえ、常識的には死を免れ様が無い状態と言える。
「――息があるなら、治療だけで十分か」
アリリオは既に両手で胸の紅玉に触れ、赤い光を両手に移し、胸の前で密印を結んでいる。親指だけを立て、他の指は握る感じの密印の名は、薬師密印。
密印が結ばれた時点で、薬師法という、香巴拉の治療魔術が発動する。薬師法は香巴拉の崇める神の中で、傷や病を治す力においては最高と言われる、薬師如来の力を借り、あらゆる傷や病の治療が可能な、万能の治療魔術である。
発動と同時に、薬師如来の持つ神器である薬壺を償還し、その薬壺から放射される光の照射により、あらゆる病や傷を治してしまう。薬壺の色は瑠璃色であり、放たれる光も瑠璃色であるせいか、瑠璃玉との相性が良いらしく、摩睺羅伽……華麗の使う薬師法が、最も能力が高い。
密印を結ばなくても発動は可能だが、その場合は効果が落ち、完全記憶結晶の消耗が激しくなる。だが、戦闘中などは密印を結ぶ余裕が無かったりするので、効果や効率を無視して、密印を結ばずに発動する場合も多い。
薬師法の発動により、陽炎の様に揺らめきながら、アリリオの前に薬壺が出現した。完全に出現を終え、揺らめかなくなった薬壺は、掌に収まる程の大きさであり、瑠璃で出来た林檎の様な形の、目に鮮やかなデザインだ。
アリリオの手が触れた訳でもないのに、薬壺は蓋が勝手に開き、その口を燃え盛る男に向ける。そして、薬壺の口から瑠璃色の光が放たれ、仰向けに寝転がっている、焼け焦げた男の身体を照らす。
すると、まるで録画された映像を、逆回しで見ているかの様に、焼け焦げた男の身体の表面から、焦げた部分や火傷が消え去り、元の褐色気味の肌に戻ってしまう。表面の肌だけでなく、焼け落ちた筈の指先なども、骨から筋肉……皮膚といった流れで元通りになり、再生されてしまった。
しかも、それに費やされた時間は、ほんの一分程度。さすがに着衣は再生されず、半分以上が焼け焦げた状態のままだが、焼死寸前だったアズテック使いの男は、常識的には有り得ないレベルの魔術的治療を施され、僅かな時間で元の健全な身体を取り戻してしまったのだ。
再生が終わったので、アリリオは密印を解く。すると、薬壺は蓋を閉じて上向きとなり、現れた時と同じ様に、揺らめきながら消え去ってしまう……償還を終えたのである。
同時に、アリリオの胸の紅玉も発光を止める。
「――お、俺は……一体?」
苦しみが消え去ったアズテック使いの男は、呆気にとられた顔で、自分の身体の状態を、目だけでなく両手で擦るなどして確認する。火傷の痕一つ残っていない自分の肌を見て、信じられないとばかりに、男は呟く。
「幻覚を見せられたのか? いや、幻覚なら……着衣が焼け焦げる筈は無いか」
「何だ、もう治し終わったのか。速ぇな」
アリリオの方に歩いて来ながらの、エンリケの言葉だ。ラウンジでボスと呼ばれていた、五十前後に見える小太りの、クリーム色のスーツに身を包んだ男の襟首を掴み、ズルズルと地面を引き摺りながら歩いて来たエンリケは、自分が燃やした男が、既に健全な身体を取り戻してる姿を、目にしたのである。
「人間の治療に魔力を使うなんざ、無駄遣いしやがる」
「お前がやり過ぎたからだろ」
自分の胸元を確認し、アリリオは僅かに縮んだ紅玉を確認する。破壊の魔術に比べ、治療や身体の再生を行う魔術は、魔力の消耗度合いが高い……特に自分以外に施す場合は。
僅かではあるが、一度の魔術使用で目で見て分かる程に、紅玉は消耗してしまっていた。
「まぁ、これだけ有れば足りるだろう。もう今回の目的は果たした様なものだからな」
エンリケが引き摺って来た、意識を失っている男を見下ろしながら、アリリオは言葉を続ける。
「黒洞も解けよ。既に不要だし……見えない訳じゃないが、見辛い」
アリリオから三メートル程離れた所で立ち止まったエンリケは、引き摺って来た男を、放心状態に近いアズテック使いの男がいる方向に、左腕だけで放り投げる。そして、発光する太陽石に左手で軽く触れる。
すると、周囲を覆っていた黒いドームが、無数の黒い粒子群に分解したかと思うと、火の粉の如きオレンジ色の粒子群に変化。そのまま燃え尽きてしまったかの様に、オレンジ色の粒子群は空気に溶け込み、完全に消滅してしまう。
あっという間に黒洞による闇は晴れ、周囲の光景は元の木々に陽光が遮られるだけの、やや暗めの状態へと戻った。エンリケの胸の太陽石も、魔術の発動が止まった為、光を失っている。
脱ぎ捨てられたホプライトのパーツや、意識を失った男達の身体が、地面のあちこちに転がっている。その光景を目にしたアズテック使いの男は、這って逃げろという自分の指示に、部下達が返事をしなかったのは、その時点で部下達が二人の襲撃者に闇討ちされ、意識を失っていたせいだったせいだと悟る。
悟ったのは、それだけではない。自分がどれだけの魔術と策を駆使しても、二人の襲撃者相手には通用しない事を、アズテック使いの男は悟ったのだ。




