死亡遊戯 38
「石壁に煙幕、更には雷撃地雷か。あの短時間で、見事な手際だ」
ベージュのスーツの男……アリリオ・ベンガンサは、床の各所に書き込まれた阿式雷紋を見下ろしながら、感心した様に続ける。
「私達が禁術使いであり、勝てない相手だと瞬時に見抜いて、即座にボスを逃がした判断力も良い」
「馬鹿か、テメェは? 敵の人間風情を褒めてんじゃねぇ!」
仕掛けられていた地雷を踏んだ、してやられた立場のエンリケは、アリリオを睨みつつ、言葉を吐き捨てる。雷撃の痛みを和らげる為、身体の各所を擦りつつ。
「腹を立てる程の事でもないだろう。あの程度の雷撃……魔力の鎧だけでも、余裕で防げるだろうし」
アリリオが言った通り、エンリケが雷撃魔術を身に受けても、着衣まで含めて無傷だったのは、体内に魔力を巡らせて防御能力を上げる、いわゆる魔力の鎧を使っている状態だったからだ。
「身体のダメージは防げても、魔力の鎧じゃ心のダメージは防げねぇんだよ! 痺れるし……痛ぇんだって!」
エンリケの文句は正しく、ある程度の威力以下の攻撃なら、魔力の鎧は身体的ダメージを防ぎ切れるのだが、精神的ダメージ……つまり苦痛を防げはしないのだ。それ故に、魔力の鎧で防ぎ切れる、銃撃程度の攻撃であっても、エンリケは防御殻を作り、身を守っていたのである。
「あのアズテック使い、ぜってー焼き殺す! 跡形も残さずにな!」
怒りを露にするエンリケを、アリリオは窘める。
「無駄に殺すなよ、特に有能な奴は。安易に人を殺そうとするのは、お前の悪い癖だ」
「香巴拉以外の連中なんざ、幾ら殺そうがどうでもいいだろうが!」
「無駄に殺せば、後で困るのは私達……香巴拉の方だと、何時も言っているだろう」
アリリオが呆れ顔で口にした、「私達……香巴拉」という言葉から分かる通り、アリリオもエンリケも香巴拉の者達だ。しかも、胸で完全記憶結晶を光らせて魔術を使う、八部衆でもある。
「どうせ殺すなら、宝珠を奪ってからとでも言う気か?」
エンリケは苛立ちを隠さず、アリリオに食ってかかる。
「人間なんざ腐る程いるし、暫く放っておけば勝手に増えやがる。幾ら殺そうが、煙水晶の調達に困りゃしねぇだろ」
まだ光を仄かに放ったままの、開かれた胸元から僅かに顔を覗かせている、夕陽の様な色合いの完全記憶結晶を、エンリケは一瞥する。
「まぁ、俺の宝珠は太陽石、煙水晶は肌に合わねぇから、別に構いやしねぇけどな……煙水晶の素材の人間が、滅んじまっても」
困ったもんだとでも言いたげに、軽く肩を竦めて見せてから、アリリオは口を開く。
「お前が良くても、これから復活する天と、香巴拉の者達が困る」
香巴拉の魔術師は、様々な色の記憶結晶を扱うが、その多くは最も調達が容易な、煙水晶だ。通常の香巴拉の魔術師達は、煙水晶を主とした様々な記憶結晶を燃料として、体外の法輪を使って魔術を発動する。
八部衆は胸に埋め込んだ、特定の完全記憶結晶を使う場合が殆どだが、普通の魔術師の様に、体外にある煙水晶などを使い、香巴拉の魔術を発動する事も出来る。ただし、エンリケが「肌に合わねぇ」と表現した通り、八部衆は煙水晶……というよりは、自分が胸に埋め込んでいるのと別の記憶結晶を使うのは、余り良い気分がしないらしく、滅多に使いはしない。
無論、胸に埋め込む完全記憶結晶が煙水晶である天は、煙水晶との相性が良い。そういう訳で、煙水晶の供給源である煙水晶界の人間が滅ぶと、天と普通の香巴拉の魔術師達が困るのだ、アリリオの言う様に。
「――それに、エリシオン政府を倒し、世界を香巴拉の手に取り戻すだけなら、私達……八部衆だけでも可能だが、国家としての香巴拉を復興する為には、私達の手足となり働く、有能な人材……魔術師が必要だ」
床のあちこちに記された、阿式雷紋を見下ろしつつ、アリリオは続ける。
「有能な魔術師達は香巴拉に帰依させ、僧伽に加える為に、なるべく生かしておかなければ……後で困るぞ」
香巴拉教と呼ばれる場合もある、宗教的性質が強い香巴拉式は、その魔術の恩恵を受ける者達に、香巴拉式にとっての神々への信仰と、戒律の厳守が求められる。この信仰と戒律を受け入れ信徒となる事を、香巴拉式では帰依という。
実質的には精神的な支配を受ける状態になる為、一度でも帰依すれば、死ぬまで香巴拉を信仰し、戒律に縛られて生きなければならなくなる。ただし、信仰と戒律に関係が無い事にまで、精神支配は及ばない為、個性や人格を失ったりはしない。
そして、僧伽というのは、香巴拉における高位の魔術師が従えた、香巴拉に帰依した者達……つまり香巴拉式の魔術師の集団である。僧伽に加わり配下となった魔術師は、指導者である高位の魔術師の支配を受ける代わりに、力や魔術を分け与えられる為、並の香巴拉式の魔術師を、遙かに越える力を持てるのだ。
魔術国家としての香巴拉が健在だった頃、八部衆も僧伽を従えていた。だが、香巴拉が浮遊大陸ごと封印された際、僧伽は八部衆とは違い、無常流転門からの脱出が出来なかった為、封印戦争には参戦出来なかった。
その後に復活した八部衆達は、僧伽を組織してはいない。組織したくとも、出来ないという方が正しい。