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天橋暮らし 12

 朝霞と向かい合う様に立ったティナヤは、オレンジアイスのコーンを掴んでいる朝霞の右手に、左手を伸ばす。

 そして、細長い指先を絡める様に、ティナヤは朝霞の右手を掴んで、引き寄せる。


 コーンを掴んでいる朝霞の右手ごと、オレンジアイスを自分の口元に移動させたのだ。


(――? 今、何かチクッとした様な?)


 ティナヤに右手を引き寄せられた際、右手に何かが刺さった様な感覚を、朝霞は覚えた。

 だが、微かな感覚だった上、目の前で自分が舐めたばかりのオレンジアイスに、舌を這わせ始めたティナヤが目に入った為、そちらに気を取られて、その刺さった様な感覚が何かという疑問は、すぐに朝霞の頭の中から消え失せてしまった。


 オレンジ色の粘液を、何度か舌で舐め取ってから、ティナヤは顔を上げ、左手を朝霞の右手から離す。

 そして、右手に持っていたバニラアイスを、朝霞の眼前に突き出す。


「バニラ嫌いだから、味見は……遠慮しとく」


 無駄だと分かった上で、一応は断りの言葉を、朝霞は口にしてみる。


「――いくらバニラ味のアイスが嫌いでも、幸手や神流のは味見しておいて、私のだけ出来ないとか、朝霞は許されると思ってるのかな?」


 微笑んではいるが、目だけは笑っていない表情で、ティナヤは朝霞に問いかける。

 味見をしないと、機嫌を悪くするという雰囲気を漂わせながらの問いなので、事実上の脅しというべきだろう。


 そういう態度にティナヤが出るのは、毎度の事といえる。

 幸手や神流同様に、互いのアイスを舐め合える程度に、朝霞と自分が親しい相手だと確認したい欲望を、ティナヤは満たしたいのだから、朝霞がティナヤのアイスを舐めなければ、その欲望は満たされない。


 故にティナヤは欲求不満となり、せっかくティナヤの機嫌を取る為に買ったアイスで、朝霞は機嫌を損ねてしまう羽目になる。

 それは朝霞にとっては避けたい事態なので、朝霞は断りの言葉が無駄だと、分かっていたのだ。


(ま、結局……こうなる訳か)


 朝霞は心の中で愚痴りつつ、意を決する。

 そして、インタビュアーに突きつけられたマイクの様に、眼前に突きつけられている、ティナヤのバニラアイスに目をやる。


 普段は古びた紙の様に、やや黄色を帯びた白という感じの色合いのバニラアイスは、夕陽でオレンジ色に染まっている。


(夕陽のせいで……色の素っ気無さが何とかなってる分、普段より食べ易くはあるか。オレンジアイスに近い色になってるし)


 心の中で呟きながら、朝霞は顔をバニラアイスに寄せ、舐め始める。

 甘さと冷たさが口の中に広がり、鼻腔にバニラエッセンスの匂いが抜けて行く。


「――私のバニラ、どうかな?」


 照れを隠すかの様な、ややおどけた感じの口振りで、ティナヤは朝霞に問いかける。


「ん……不味くは無いんだけど、つまらない味なんだよな。素っ気無いというか……なんというか」


 率直な感想を、朝霞は述べる。その感想を聞いたティナヤの目付きが、険しくなったのに気付き、朝霞はフォローの言葉を口にする。


「あ、つまらないとか素っ気無いというのは、あくまでアイスのバニラの味についての感想で、君についての感想じゃないから、勘違いするなよ!」


「――そんな勘違いしないけど、私を普段からバニラって呼んでる朝霞に、アイスとはいえバニラをつまらないとか素っ気無いとか言われるのは、それはそれで良い気分はしないのよね」


 不愉快そうな口調で、ティナヤは続ける。


「まるで、自分の事を言われてるみたいでさ」


「つまらないとか素っ気無いとか思ってる相手と、一緒に住む訳無いじゃん。アイスのバニラと違って、バニラって徒名の女の子は気に入ってるから、同居続けてる訳だし」


 朝霞の「気に入っている」という言葉を聞いて、機嫌を直したのか、ティナヤの表情は緩む。


「――バニラじゃなくて、ティナヤだってば」


 何処と無く甘い口調で、そう言うと、ティナヤは手元に戻したバニラアイスを、美味しそうに舐める。

 朝霞が舐めたばかりの、唾液に塗れたバニラアイスを、舌で舐め取る。


 普段は清楚なティナヤが、妙に艶っぽく朝霞の視界に映る。


「ティナヤっちだけでなく、私達とも一緒に住み続けてるんだけどねぇ、朝霞っちは」


 幸手の言葉を、神流が受け継ぐ。


「あたし達の事も、気に入ってると受け取って、良いんだよな?」


 その問いに、朝霞が頷くのを目にして、安堵と喜びの入り混じった様な笑みを、幸手と神流は浮かべる。

 そして、朝霞越しに顔を見合わせ、微笑みあう。


 気に入っているからこそ、三人と同居を続けている……といった内容の事を口にしたせいだろうか、昼食時に聞いた八潮の言葉が、朝霞の頭に甦って来る。


「金銭的な必要性も無いのに、ずっと同居続けてるって事は、程度の差はあっても、恋愛感情自体はあるに決まってると考えるのが、普通だよ」


 そして、朝霞の頭に……疑問が浮かぶ。

 金銭的な必要性も無いのに、同居を続けている三人相手に、程度の差こそあれ、自分が恋愛感情を抱いているのだろうかという疑問が。


 だが、その疑問を朝霞はすぐに、頭から打ち消してしまう。


(――好きだの愛してるだのより、気に入ってる……くらいの方が相応しいんだよ、今の俺には。この世界にいる間は、誰かと恋愛関係になるつもり、無いんだからさ)


 自分に言い聞かせる様に、心の中で呟いてから、朝霞は周りを見回す。

 気に入っている三人の同居人の姿と、夕陽に染められた景色が、目に映る。


 夕暮れ時は、人を感傷的にさせる。

 幸手とティナヤ……そして神流がいるオレンジ色の光景が、心のフィルムに焼き付けられたかの様な気が、朝霞にはしていた。


 同じ光景を、朝霞は何度も、目にしている。

 朝霞達は夕暮れ時の公園で、夕陽に映える景色を眺めながら、何度も似たようなやり取りをして来たからだ。


 だからこそ朝霞は、「心のフィルムに焼き付けられた」様な感覚を覚えたのである。


(それでも、元の世界に戻ったら、忘れちまうんだろうな。みんなと過ごした思い出も、心に焼き付けた筈の景色も、このバニラアイスの味も……)


 朝霞の口の中には、まだティナヤのバニラアイスの味が残っていた。


(ま、好きでも無いアイスの味の記憶なら、消えてくれた方がいいか)


 心の中で呟きつつ、その好きでは無いアイスの味を口の中から消す為に、自分のオレンジアイスを舐める。

 冷たさと好みの味が、口の中に広がり……朝霞の心を癒す。


 そのまま、取り留めの無い話を続けつつ、四人がアイスを食べ終えた頃合。

 潮の匂いがする海風が、公園を吹き抜け、公園の木々をざわめかせる。


 心地良い風に、心を洗われた様な気分を味わいつつ、朝霞は三人に声をかける。


「そろそろ帰ろうか、風が吹くと……流石に少し寒いし」


 冷たいアイスを楽しめる程度の気温なのだが、風が吹くと、少し肌寒い。

 長袖のツナギを着ている朝霞と違い、三人の同居人達は薄着なので、そろそろ帰る頃合だと、朝霞は判断したのだ。


 夜の色に染まりつつある、東側の空に目をやりつつ、幸手が応える。


「そうだね、もうすぐ陽も落ちるだろうし」


 この会話が切っ掛けとなり、四人はその場を後にして、来た時より少しだけ涼しくなった公園の中を歩き始める。

 雨音に似た噴水の音を聞きながら、公園の門に向かって。


「また……アイス食べに来ような、みんなで」


 歩きながらの、そんな気楽な朝霞の言葉に、神流と幸手……そしてティナヤは頷く。

 また何時か四人で公園を訪れ、夕陽に染まる景色の中、好みのアイスを食べながら、じゃれ合う様なやり取りをする機会があるのだろうと、四人は思っている。


 そんな機会が四人に訪れる事は、もう無いのだが……。


    ×    ×    ×





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