死亡遊戯 33
「治療用の灰色膜を、変装に応用したんだ」
幸手の言う灰色膜とは、身体のパーツを灰色の薄い膜で覆い、ダメージからの回復を行う、ソロモン式の治療用魔術である。覆った部分は灰色に変色するのだが、使用した煙水晶粒の色に比例して、膜の色が変化する特徴がある。
黒に近い煙水晶を選んで、幸手は灰色膜をティナヤの髪と瞳に施し、その色を黒くしたのだ。瞳に使うとカラーコンタクト風の効果があり、瞳の色が変わるだけでなく、視界に仄かに灰色のフィルターがかかった感じになったりもする。
煙水晶界には事実上、コンタクトレンズは存在しないも同然なので(蒼玉界の人間が持ち込んではいるが、かなりレア)、カラーコンタクトの様に目の色を変える手段の存在は、殆どの人は知らない。禁忌魔術扱いのソロモン式の魔術である灰色膜も、存在自体が警察などにすら、知られてはいない。
故に、染髪料でも色が変えられる髪はともかく、瞳の色を変える変装は、煙水晶界では相当に有効な変装法だと言えるのだ。温州市からハノイに来る途中、何度か検問に引っかかったのだが、瞳の色が手配書の写真と違うのを理由に、無事に通過するのにティナヤは成功していた。
「――で、何で窓から?」
ばれ難い変装をしているのなら、普通にホテルの入り口から入っても良さそうなものだろうと考えた神流は、二人に理由を問う。
「ハノイに入ろうとしたら、アナテマの連中を見かけたんだ」
答えたのは、幸手だった。
「アナテマらしい連中が残ってるのは、あたしも知ってる。例のアパッチらしいホプライトを、ハノイから出る時に見かけたからな」
ハノイから出て周辺まで、朝霞を探しに出向く際、神流もハノイの周囲に展開しているアナテマと思われる者達の姿を、見かけたのだ。事実、ハノイまでティナヤの手配書が回った時期辺りから、アナテマがハノイに残した部隊は、警察が行うハノイの出入口で検問や、ハノイ周囲の警備などへの協力を、行い始めたのである。
神流も最初は、アナテマとは気付かなかった。だが、警察が検問を布いていた道路の近くに、色を越南警察の警察用車両風に、白と青に塗り替え擬装していたが、アパッチとしか思えないホプライトがいるのを、神流は見かけたのだ。
故に、アナテマがハノイに残っているのに、神流は気付いていた。ちなみに、主な通りの検問だけでなく、ハノイ周囲の各所にアパッチと思われるホプライトを配置し、ハノイに入ろうとする者達に、アナテマは警戒の目を光らせていた。
「アナテマは禁術に詳しい連中が多いから、灰色膜を見抜かれる可能性があるんで、検問通るのは避けて、飛んで来たんだ。韋駄天は荒野に隠してね」
幸手は右手の人差し指を、上……夜空の方向に向ける。
「――で、ホテルの屋根の上に降りたんだけど、一階まで下りてチェックインするのが面倒だったから、壁を伝って部屋の窓の外まで下りて、窓から入ったって訳」
聖盗である幸手が身軽なのは当然、ティナヤも朝霞達のトレーニングに参加し、身体を鍛えている。ロッククライミング風に、突起物の多い壁を伝い、屋上から部屋の窓に移動する程度の荒事は、今のティナヤは余裕でこなせるのだ。
「飛んで来たって……空を飛ぶのは目立って、見付かり易いんじゃない? 乗矯術だと、夜の飛行は」
神流の言う通り、空を飛ぶのは目立つし、アナテマは空の警戒も怠ってはいない。しかも、乗矯術など殆どの飛行魔術は、光の粒子を放出する為、昼間でも目立つが、夜間はより目立つ為、空を飛んで検問や警備を突破しようとすれば、見付かり易いだろうと、神流は考えたのだ。
「乗矯術じゃなくて、天岩戸で飛んで来たのよ。あれはスピードは遅いけど、光らないし、ティナヤっち運ぶのにも便利だし」
幸手の言葉を聞いて、神流は頷いて納得する。とりあえず、二人が窓から訪れた事と、ティナヤの外見の変化に対する驚きは、疑問の解消と共に収まる。
そして、窓から入って来た事や、ティナヤの外見の変化に驚いたせいで、肝心な事を訊きそびれていたのを思い出し、神流は焦り気味の口調で、ティナヤに問いかける。
「――それで、魂の羅針盤は? 朝霞が何処にいるかは、分かったの?」
本来の予定では、幸手が魂の羅針盤をティナヤから借りて戻って来る筈だった。だが、ティナヤも同行している以上、魂の羅針盤などのミルム・アンティクウスについては、幸手より詳しいティナヤに訊いた方が良いと考え、神流はティナヤに問いかけたのだ。
「朝霞なら生きてるから、安心して」
問いかけに対する答では無いのだが、まず神流が最も気にしているだろう事を、ティナヤは神流に知らせる。
「朝霞が生きてる? 本当なら嬉しいけど、魂の羅針盤って……生死までは分からないんじゃなかった?」
朝霞の生存を信じていた……いや、信じたかった神流としては、喜びたいのだが、まだ本当に喜んで良いのかどうか疑わしいとばかりの口調で、ティナヤに訊ねる。魂の羅針盤が、「その者が死せる時は、魂が最後に在った場所を、この羅針盤の本針は示し続ける」性質の物で、針が触れた相手が死んでいた場合でも、効果が失せないのを、神流は覚えていたのだ。
「朝霞が生きているのは、魂の羅針盤じゃなくて……ソウル・リンクのせいで分かるの」
右手の人差し指で額を指差しつつ、ティナヤは続ける。
「朝霞が死んだら、ソウル・リンクは機能停止する筈だけど、まだ機能し続けてるから、朝霞は生きている筈なんだ」
ソウル・リンクにより朝霞の生存が確認出来る事に、幸手同様に気付いていなかった神流は、驚きの表情を浮かべつつ、幸手に確認するかの様な目線を送る。
「ちゃんと確認したよ、確かに朝霞っちが施したソウル・リンクが機能してるから、生きてるのは間違いない」
幸手の言葉を聞いて、ようやく朝霞の生存を信じても大丈夫だと考えた神流は、安堵の余り身体から力が抜けてしまったのか、ベッドに倒れ込む様に腰掛ける。
「――良かった、生きてたんだ……」
搾り出す様な口調で、神流は呟く。
「生きてるって、信じてはいたんだけど……新聞には死んだって記事が出るし、足取りも何もつかめないから、本当に死んだのかもしれないって、ずっと不安で……」
そんな神流の姿を、幸手とティナヤは温かい目で見詰める。自分達も一度は同じ不安に苛まれた後に、生存を確信した為、神流の今の感情が自分の事の様に理解出来るのだ。




