煙る世界と聖なる泥棒 03
(ここは、行くしか無いッ!)
そう決意した少年は、一瞬で金庫室の床の状態を確認。
地雷魔術などが仕掛けられていないのを確認した上で、金庫室の中に足を踏み入れると、少年は人影に向かってダッシュしようとする。
(!)
だが、ダッシュする寸前、金庫室内にいる複数の人影を、はっきりと視認した少年は、踏み止まる。
何故なら、その複数の人影は、先程まで少年が気を失わせた警備員達とは、全く別の外見をした、別レベルの装備をした者達だったからだ。
金属板を組み合わせた重装甲で、全身を覆い隠した、銀鼠色のプレートアーマー(西洋風の板金鎧)を着込み、猛禽類の頭部の様な、矢張り金属製のヘルメットで頭部を完全に保護した警備員が四人、金庫室内にいたのである。
プレートアーマーの接続部分や間接分からは、白い光が漏れ出している。
漏れているのは、光だけでは無い。背中にある排気口からは、仄かな黒煙が立ち上っている。
「ほ……ホプライトじゃねーかッ!」
驚きの余り、思わず少年は声を漏らしてしまう。ホプライトとは、魔動重装歩兵の事だ。
並の刀剣や銃砲による攻撃なら、防げる程の強固な防御能力を持つ、重装甲の甲冑を、身に纏い戦うのが重装歩兵。
そして、ホプライトとは本来、遠い過去の国で使われていた、重厚な鎧で全身を守る、重装歩兵を意味する言葉。
この重装歩兵という言葉に「魔動」という言葉が付属しているのは、甲冑を動かす為に、魔術による動力を使用している、魔動甲冑を身にまとう歩兵だからである。
本来なら人間が動かすのが不可能な程の重量がある、刀剣どころか並の銃砲や攻撃魔術による攻撃すら防ぎ切る、超重装甲の甲冑を、魔術による動力支援を利用し、装備して動かしているのが魔動重装歩兵。
現在……ホプライトという言葉が使われる場合、その殆どは、かっての重装歩兵ではなく、この魔動重装歩兵の方を意味している。
本来の重装歩兵としてのホプライトに比べ、明らかに厚い……ガッシリした見た目。
関節部や接合部の隙間から漏れる光は、搭載している魔術機構が起動中である事を意味し、燃料として煙水晶を利用する魔動甲冑には、大抵背中辺りに排気口があり、起動中には無臭無害な黒煙を排気する。
魔動甲冑の全身には、搭載する魔術機構が発生させる動力を各所に伝える為、魔術式が全身に刻まれ、固定化されている。
固定化されている為、普通の人間にも見える魔術式は、装甲自体を破壊しない限り、その機能が維持される。
ホプライトが装備する魔動甲冑には、様々な物がある。
今……少年が対峙しているのは、口の部分が嘴の様になっているせいで、頭部が猛禽類風に見える、ホプライトの中では比較的細身であり、屋内でも運用可能な、動きの早いライト級と呼ばれるタイプ。
(ライト級と言っても相手はホプライト、この装備で相手するのは無理だな)
軽装といえるホプライトであっても、少年が操る素手での武術では、傷一つ付ける事が出来ない。
一応、リュックの中にはトマホークなどの武器も入っているのだが、それらの攻撃も、強固な防御能力を持つ魔動甲冑には、通用しない。
「――侵入者だ!」
少年の存在に気付いたホプライトの警備員達が、声を上げ始める。
「外の地雷魔術……解除されたのか!」
扉を開けて、その場に侵入者が現れた以上、ホプライトの警備員達が、そう判断するのも当り前。
(ここは逃げて、次の機会を狙うべきか?)
そんな考えが、少年の頭を過ぎるが、ホプライトの後方にある金属製のテーブルに置かれた、海賊の宝箱の様な見た目のトランクが目に入った為、その考えは消し飛ぶ。
そのチョコレートケーキの様な色をしたトランクに、狙っている物が収納されているのを、少年は知っていたからだ。
オークション会場や、そこから組織の車に載せられ、運び出される際などに、そのトランクを少年は目にしていた。
ターゲットを目の前にしていながら、それに背を向け逃げ去る気には、少年はなれなかった。
(――いや、次の機会を狙おうとしたら、確実に今回より警備体制が厳しくなる筈! ここで取り戻さなきゃ駄目だッ!)
この場で逃げて、次の機会を狙うとしたら、自分が今回、盗みに入った事を理由として、組織の警備は今回より確実に厳しくなる。
そうなれば当然、少年の盗みが成功する確率は、より低くなる。
(ストックが二個しか無いんだが、仕方が無い……仮面付けるか!)
少年は後方に飛び退き、迫り来る一体のホプライトが手にしている、片手斧による攻撃をかわす。
斧が金属製の床を斬り付け、激しい金属音を響かせ、穴を穿つ。
(当ったら死体も残らないな、ありゃ)
ホプライトが振るう斧の威力に慄きながら、少年はタートルネックの襟元に右手を突っ込み、ペンダントを引き抜く。
ペンダントのチャームは、銀色のミニボトルになっている。
少年はマジシャンを思わせる様な素早い手捌きで、そのメタル製のミニボトルの中から豆粒程の大きさの、青い宝石風の結晶を取り出す。
そして、かぶっていたキャスケットのひさしを左手で掴んで脱ぐと、右手の指先で摘んだ結晶を石筆として、キャスケットの内側に六芒星を描く。
すると、その六芒星が描かれた部分から、青い炎が噴出し、あっと言う間にキャスケットを包み込む。
炎は一瞬で消え失せるが、その後……まるで手品か何かの様に姿を現したのは、キャスケットではなく、黒い仮面。
仮面のデザインは、上の方から飛び出してる耳の様な部分や、石筆として用いた結晶と似た質感の、青い目の形などから、黒猫を思わせる。
額の部分には、青い六芒星が描かれている。
この黒猫の仮面を、少年は追って来たホプライトの繰り出す、斧の斬撃をかわしながら、素早く顔に被る。
すると、仮面の六芒星から、先程と同じ様な青い炎が噴出し、少年の全身を包み込む。
炎は一瞬で消え去り、少年が姿を現す。
だが、少年の姿格好は、炎に包まれる前とは、明らかに異なっている……まるで、変身でもしたかの様に。
黒猫の仮面は元のままだが、タートルネックの黒いシャツにカーゴパンツという服装が、黒い忍者装束の様な服装に変わっている。
肩や肘……膝や手の甲など、身体のあちこちに、防護用のプロテクターも装備している。
基本のカラーリングは黒なのだが、左腕全体など、身体の各所に青い部分がある。
左の手甲には黒い六芒星が、右の手甲には青い六芒星が、それぞれ刻まれている。
そんな姿に変身した少年を目にして、一番近くまで近付いていたホプライトが、若い男性の声で、驚きの声を上げる。
「仮面者に変身しやがった! こいつ……聖盗だ!」
更に、後に続くホプライト達からも、声が上がる。
「黒猫の仮面かぶった聖盗って、あの黒猫団の黒猫か?」
(へぇ……、那威州でも結構広まってるのね、俺の聖盗としての名前。ここいらじゃ、余り活動して来なかった筈なんだけど)
聖盗という種類の泥棒として活動する場合の名……黒猫が、ホプライトの警備員達の口から出たのを耳にして、少年……黒猫は仮面の下で、やや意外そうな顔をする。
聖盗と呼ばれる種類の盗みを、この辺り……那威州において、黒猫は余り行っては来なかった為、那威州で活動する組織の人間にまで、自分の聖盗としての名が知られているのが、少し意外だったのだ。
(ま、変身後の……仮面者姿の名前は、正確には黒猫じゃないんだが、そこまでは知られて無いか)
黒猫というのは、あくまで聖盗という種類に分類される泥棒としての名であり、変身後の姿は、また別の名で呼ばれる場合が多いのだ。
黒猫として活動する事が多い、良く名の知れた地域などでは。
「聖盗だろうが、こいつはどう見ても戦闘タイプじゃねえだろ! 怖がる事はねぇ! ぶった斬ってやる!」
目の前で黒猫に変身され、やや戸惑い気味だったホプライトの後ろから、別のホプライトが姿を現し、黒猫を威圧するかの様に、斧を振り上げて身構える。
二枚の扉の間にある、部屋の様になっている場所で、ホプライトが黒猫に上段から斬りかかる。
当れば、防御能力が高くは無い黒猫の身体は、両断されるだろう、勢いのある斧の一撃。
だが、黒猫は冷静に斧の一撃を見切り、左側に飛び退く。
金属音を当りに響かせながら、斧は床を打って穴を穿ち、火花と金属片を辺りに飛び散らせる。
飛び散った金属片が、まだスイッチがオンになっている地雷魔術の純魔術式の上に降り注ぐが、起爆しないのは、純魔術式に設定された重さには届かないせいだろう。
まるで姿を消したかの様な、人間離れした素早さで、左側に飛び退いた黒猫は、一度の跳躍で十メートル程離れた左側の壁まで辿り着く。
そのまま壁を蹴り、今度は斬りかかってきたホプライトに向かって、右拳を突き出しながら、跳躍する。
名の示す通りの身軽さと素早さで、突撃する黒猫の攻撃を、斧による攻撃を放ったままの体勢のホプライトは、かわせない。
黒猫が突き出した右拳は、ホプライトの右脇腹を直撃、鐘を打つ様な金属音が鳴り響く。
その際、右の手甲に刻まれた青い六芒星が、六芒星と同じ色の閃光を放ち、ホプライトの全身表面を、稲妻の様に駆け巡る。
閃光自体は、すぐに消え去ってしまうが、黒猫はホプライトの身体を足場として跳躍し、三メートル程の距離を取った上で、ホプライトの正面に降り立つ。
黒猫の青く光るパンチを受けたホプライトの甲冑は、少し凹んでいるものの、大したダメージがある様には見えない。
変身したとはいえ、黒猫のパンチ自体の威力に、厚い装甲を打ち破る程の威力は無い。