死亡遊戯 04
淡く青い水面が、陽光に煌いている。白い尾を曳く大きな船が、海のあちらこちらに見えるのは、大きな港街である廈門が近いからだ。
廈門に通じる湾岸の幹線道路を、トレーラーを牽いたイダテンは、法定速度を明らかに超えたスピードで走り続けている。街に入る前の郊外なら、取りしまられる可能性は低いと、神流が考えている為である。
ハノイを発ってから、既に一日以上が過ぎた十七日の午前十時頃。トレーラーのせいで行き程のスピードは出せないイダテンなのだが、神流が夜を徹して走り続けた為、十七日中には辿り着けそうなハイペースで、天橋市に近付きつつあった。
食事は道路沿いにある店で、車内でも食べられそうな物を買っては、運転しながら走るという感じで済ませている。飲食物の調達や、ついでに店でトイレを借りる場合を除き、殆ど止まらずに走り続ける強行軍を、幸手は続けて来たのだ。
車中にある食料は、既に夜食や早目の朝食で尽きていた。長時間の徹夜運転のせいで、相当なカロリーを消耗した為、予定より食べ過ぎたせいなのだが、朝霞が行方不明なせいで、感じている不安やストレスが原因となり、食欲を増しているのも、食べ過ぎの原因である。
空腹を覚えた幸手の目に、路站という赤い看板に黄色い文字という、派手な看板を掲げた、倉庫を店舗に改造した感じの建物が映る。建物の大きさは、街中の店舗でいえば数店分だが、牌楼風の門が出入口を飾る駐車場は、ちょっとした運動場程の広さがある。
「――駅だ、そろそろ食べ物……仕入れておかないと」
その建物の存在に気付いた幸手は、ぼそりと呟く。煙水晶界の日本で言えば、ガスステーションに相当するのが、道駅やロードステーションと呼ばれるもので、単純に駅と呼ばれる場合もある。
ガスステーション同様に、燃料である煙水晶粒なども売っているが、基本的には長距離ドライブ中の人が、ちょっとした買い物をしたり食事をとったり、トイレを借りたりする為の商業施設だ。路站というのは、道の駅的な意味合いの、華南の古い言葉である。
幸手はイダテンを減速させると、ハンドルを左に切って、所々が色褪せている牌楼風の門を潜り抜けると、三割程が埋まっている駐車場にイダテンを停める。運転席から降りた幸手は、トレーラーに仕掛けてある防犯用の魔術が機能しているのを確認してから、看板や柱などに赤を多用している、いかにも四華州風な設えの、道駅の建物に速足で向う。
ドアを開けて中に入ると、目に入る店内の光景は、食料品や日用雑貨などを商う、食料雑貨店と大差無い。だが、替えタイヤなどの自動車用品までもが売られていたり、飲食コーナーが充実していたりする部分は、道駅ならではといったところ。
運転しながらでも食べ易い、パンの類と飲み物だけを買うつもりだったのだが、飲食コーナーから漂って来る、香ばしい匂いに負けた幸手は、飲食コーナーに吸い寄せられてしまう。
「葱油餅? 葱焼きみたいなものかな?」
葱を主な具としたお好み焼き風の食べ物……葱焼きと、ピザを合わせた様な、四華州風のジャンクフードが葱油餅。その食欲をそそる匂いに負け、幸手は飲食コーナーのカウンターで、鉄板を前に焼いている店員に葱油餅を注文、葱油餅の会計を済ます。
食べ易くする為、クレープの様に巻いて出された葱油餅を受け取った幸手は、そのまま会計用のカウンターへと移動。パンを五つと瓶入りの牛乳をカウンターに並べる。
(新聞も買っておくか。煙水晶界は情報伝達が遅いけど、この辺りでもハノイの事とか、もう報道されているかも知れないし)
カウンターでは新聞も売られていたので、幸手は新聞を手に取り、パンや牛乳と共に会計を済ます。右手にはパンや新聞、牛乳が入った紙袋を、左手には紙で巻かれた葱油餅を持ち、ドアを肩で押し開けて店外に出ると、イダテンに向かって歩いて行く。
イダテンの運転席に乗り込んだ幸手は、助手席に置いた紙袋の中から新聞を取り出すと、膝の上に置いて読み始める。本格的に読み込むというより、葱油餅を食べ終わる迄、自分達も関わりがある、ハノイの事件についての記事を探して、ざっと目を通しておこうと思ったのである。
左手で葱油餅を食べ、膝に置いた新聞を右手で捲るという感じで、幸手は新聞を読み進める。
(クリスピーで美味しいな。温かいのも嬉しい)
幸手は丸一日、冷めた物ばかり食べていたので、出来立ての葱油餅の温かさが、身体と心に伝わっていくようで、嬉しかった。華南は暖かいとはいえ、冷めた物ばかり食べ続けるのは、気分の良いものではなかったのだ。
葱油餅の味を楽しみながら、紙面を捲り続ける幸手の右手が止まる。他州の事件を扱う紙面に掲載された、巨大な穴や黄天城の写真が、目に留まったのである。
「これは、朝霞っちが戦ってた奴?」
幸手は驚きの余り、朝霞を仇名で呼ぶのを忘れてしまう。イダテンで逃げ去りながらも、何度か背後を振り返り、遠くの空に浮かぶ黄天城の姿を、幸手は目にしていたので、写真に写っている物が、朝霞が戦っていた物だと分かったのだ。
驚きながら、記事を読み進めた幸手の表情が、記事中の一文に目を通した直後、硬直する。左手から力が抜け、まだ少し残っていた葱油餅を、幸手は新聞の上に落としてしまう。
「――黒猫と思われる聖盗が、死亡?」
写真も記事もハノイの地元紙から、華南の地元紙が権利を得て掲載したものなので、神流が昨日の朝、目にしたものと殆ど変わりは無い(掲載スペースのせいで、三割程が端折られてはいるが)。黒猫と思われる聖盗の姿が、正体不明の相手の光線により消滅したので、死んだと思われる的な記事が、華南の新聞にも掲載されていた。
神流同様、朝霞の死を伝える新聞を目にして、幸手は呼吸や鼓動が乱れるだけでなく、眩暈がする程の衝撃を受けた。椅子に座っていなければ、その場に崩れ落ちていたかもしれない程の。
幸手は深呼吸をして、心を落ち着かせようとする。神流程では無いが、煙水晶界を訪れて以降、武術の修練は積んでいるので、幸手は呼吸法で呼吸や心拍を整え、それにより心を落ちつかせる事にも、ある程度は成功した。
(写真の感じからして、カメラマンや記者は、相当に離れた場所から見ている)
背景の画角の広さなどから、写真が明らかに望遠レンズを使用し、撮影されているのは明らか。その上で、写真に写る朝霞や黄天城の大きさから、相当に離れた所から写真が撮影されただろうと、幸手は推測出来たのだ。
(この距離だと魔術師でも何が起こってるのか、正確に把握するのは無理な筈。新聞記者なんかに、何が起こったのかを見切れる訳がないよね……)
神流同様に、朝霞の死を伝える記事を、幸手は信じようとはしなかった。
「――そもそも、こんなに簡単に、朝霞っちが死ぬ訳がないじゃん!」
自分に言い聞かせる様に独白すると、幸手は新聞の上に落ちた葱油餅を拾って、口の中に放り込む。そして、葱油餅の包み紙と新聞を、助手席に置いた紙袋にしまい込む。
(絶対に生き延びて、身を隠しているだけの筈だよ! 朝霞っちを探し出して合流する為に、早くアジトに戻って、ティナヤっちから魂の羅針盤を借りないと!)
葱油餅を咀嚼しながら、ハンカチで手に付いた油を拭うと、幸手はキーを挿し込んで回し、エンジンをかける。エンジンが唸りを上げ始め、排気口から灰色と黒が入り混じった煙が噴出し始める。
ハンドルを右に切りつつアクセルを踏み込み、幸手はイダテンを駐車場の門に向かって徐行させる。牌楼型の門を潜ると、トレーラーを牽いたイダテンは、道路に出て左折。
そのまま急加速を始め、イダテンは湾岸道路を走り去って行く。華南州の廈門から、華東州の温州市にある、福温縮地橋を目指して。




