昇龍擾乱 76
「煙仙召還!」
続けて、妖風は両手を合わせて合掌、白と黒の光を混ぜ合わせて、灰色の光に変える。その上で合掌を解き、頭上で光り続ける太極図に両手を向けて、右手で「子」を、左手で「丑」の文字を、それぞれ太極図に書き込む。
「子丑!」
文字を書き込んだ後、妖風が叫ぶと、書き込まれた二字は灰色の光の粒子群となって、ハノイの周辺部に向かって飛び去って行く。妖風が保護対象として指定した範囲の端まで行くと、光の粒子群は停止、大気に溶け込む様に消滅する。
すると、まるで光の粒子群が煙にでも化けたかの如く、ハノイを取り囲む様に灰色の大量の煙が発生、巨大都市であるハノイが大量の煙に囲まれ始める。
ハノイの周囲で火山が噴火し、その噴煙に街ごと覆われてしまう光景を思わせる程の速さで、もくもくと沸いて来る灰色の煙が、ハノイごと覆い尽くす規模の巨大なドームを、作り出し始めたのだ。しかも、色のせいで分かり辛いが、二重の巨大な煙のドームが作られ始めたのである。
飛鴻はタンロン荒野の空に姿を現し始めていた、黄天城の様子を見守っていたが、黄天城が完成する直前に、その姿は滅魔煙陣による煙の結界に隠され、見えなくなってしまった。
「――間に合った様だな」
黄天城の完成直前に、その姿が煙の結界でハノイから見えなくなったという事は、黄天城が初撃を放つ前に、滅魔煙陣による煙の結界により、ハノイが守られたのを意味している。故に、飛鴻は安堵したのだ。
滅魔煙陣の初動による、二枚にして二重の煙の防御結界は、あれよあれよという間に完成してしまった、まるで嵐が訪れて空が暗雲に覆われる映像を、早回しで見ているかの様に。
ハノイが守られたのを確認してから、飛鴻は目線を妖風に移す。大量の汗を肌に浮かべ、肩で息をしている妖風の姿が、飛鴻の目に映る。
滅魔煙陣の太極球に溜め込んだ、膨大な気の一部を一気に消耗して、二重の防御結界を展開するのは、術者の身体にも酷い負荷をかけるのだ。
「大丈夫か?」
飛鴻の問いに、妖風は呼吸を整えつつ頷く。
「少し休めば、何とか。キツイのは丑までで、寅から先は楽なもんです」
実際、三つ目の防御結界……寅以降の展開は、初動の二つよりは負荷は軽いのだが、それでも術者である妖風の身体には、相当な負荷がかかる。故に、十二の防御結界全てを展開する場合、丑と寅の間に少しだけ間を置くのである。
タンロン荒野の方から、轟音が響いて来る。ジェット噴射に似た音だが、飛鴻や妖風はジェット噴射の音を知らないので、普通に光線魔術の音だと判断する、しかも膨大な数が同時に放たれた、通常なら有り得ない程に大きな音を。
直後、響き渡る爆発音……となれば、防御結界の外で何が起こったのかは、外が見えない二人にも分かる。黄天城が完全に出現し、攻撃が開始された音が、響いて来ているのだ。
やや間を置いて、二度目の発射音と爆発音が響き渡る。
「――二撃目があるという事は、黄天城の初撃をかわしたか。相当な手錬を相手にしている様だな。まぁ、そうでなければ金剛杵を使う訳も無いが」
外部の様子が気になる飛鴻は、言葉を続ける。
「外の様子を確認したいな」
「もう少し待って下さい、防御結界を展開し終えないと、外の様子は確認出来ませんから」
妖風は飛鴻に、そう告げる。滅魔煙陣の術者は、結界外部の様子を確認出来るのだが、防御結界を展開する段階が終らなければ、確認は出来ない。
今現在、外の様子を確認出来る様にしてしまうと、三枚目以降の防御結界が展開出来ず、滅魔煙陣は二枚だけ、二重の防御結界のままになってしまう。故に、十二枚全ての防御結界を展開し終えて、十二層の守りを固めるまで待てと言うのが、妖風の発言の意味である。
僅かな休みを取り終えた妖風は、三枚目以降の防御結界の展開に入る。灰色の光を纏ったままの両手で、太極図に「寅」と「卯」の二文字を書き込み、妖風は叫ぶ。
「寅卯!」
すると、子と丑の時と同様に、書き込まれた二文字は灰色の光の粒子群となり、ハノイ周辺部に向かって飛び去って消滅。代わりに膨大な量の灰色の煙が発生し、煙の防御結界を作り出す。
新たに作り出された、二枚で二層の防御結界により、最初の二枚は外側に押し出され……膨張する。その際、防御結界同士の衝突や摩擦が発生し、それが原因となって激しい稲妻が、防御結界のあちこちで発生し、雷鳴を轟かせながら天に向かって伸びて行く為、煙の防御結界は雷雲の如き姿に見える。
稲妻は通常、上と下の両方に向かって伸びるのだが、地上から見えるのは下の方だけ。滅魔煙陣の発動時に発生する稲妻の場合、下に向けて伸びる分は、防御結界自体に防がれ、止まってしまう為、上に伸びてる方が目立つので、地上で樹雷が見えるのだ。
滅魔煙陣の発動により、稲妻が発生するのは三枚目以降。つまり、タイソンが見たハノイを覆う雲の様な何かは、滅魔煙陣が作り出した防御結界であり、稲妻が発生するのは寅以降なので、タイソンが気付いたのは寅以降の段階という訳である。




