昇龍擾乱 75
「お、そろそろ最後の車が入って来るぞ。準備しとけ」
飛鴻の言う通り、既に殆どの自動車はゲートを通り抜け、ハノイに逃げ込み終えている。最後の一台が、程無くゲートを通り抜けようとしている段階。
他の車より少し離れてハノイに辿り着いた、黒い車が牽引しているトレーラーには、車体の横幅に近い直径の、青い球体が積まれていた。
「ん? あれ……星牢じゃないのか?」
球体を目にした飛鴻は、驚きの声を上げる。
「――ですね。瑠璃玉……いや、蒼玉の星牢でしょう」
妖風も球体を確認し、言葉を続ける。
「星牢ごと運んでいるという事は、聖盗に盗まれたんですかね?」
「だろうな。マーケットで取引する前に、星牢は解除される手筈だったから、買った客が運んでるって訳でもないだろう」
蒼玉の星牢を運ぶ黒い自動車を目にした二人は、昨日出会った聖盗の事を思い出す。
「昨日の奴が、噂に聞く黒猫なのかどうかは知らないが、蒼玉粒で変身していた以上、蒼玉界の聖盗ではあったんだろう」
朝霞が変身した際の光景を、思い浮かべながらの飛鴻の言葉。
「あの黒い車に乗ってるのは、奴や奴の仲間なのかねぇ?」
「違うといいですけど。貴方が死相を確認した奴が、警告を無視してタンロン鉱山跡に盗みに入ったのなら、出来ればハノイに入れたくはないですし」
飛鴻が死相を見た上で警告したのに、その警告を無視して蒼玉を盗み出した者は、警告を守らずに行った事を原因として、近い内に確実に死ぬと、妖風は確信している。本人が死ぬのは自業自得だが、その死を引き起こすトラブルに、ハノイの人間が巻き込まれるのは避けたいと考えた上での、妖風の発言だ。
そんな妖風の言葉の直後、タンロン荒野の方で、黄色い輝きが発生。ハノイからは数キロ離れているので、辺りを黄色く塗り潰す……という程ではないが、強烈な光であるのは、ハノイからでも分かる。
「夜叉らしいのが誰かと戦っていたな、あの辺りは」
光を視認した飛鴻は、その光が何かを見定めようと注視。先程から、黄色い光線らしき光が、タンロン鉱山跡とハノイの中間辺りから、様々な方向に放たれているのは、飛鴻や妖風にも視認されていた。
黄色い光線は夜叉……つまりタイソンによる光線魔術である可能性が高い。つまり、その辺りには黄天城を作り出せる、タイソンがいる可能性が高いのだ。
故に、飛鴻は強烈な光が、黄天城の出現を意味するのではないかと、警戒したのである。そんな飛鴻の視界の中で、光は巨大化しながら上昇を続けた。
光の正体が何であるのか確信した飛鴻は、これまでとは違い、真顔で妖風に命ずる。
「黄天城だ! 滅魔煙陣を展開しろ!」
「滅魔煙陣、展開します!」
妖風は素早く胸元を開き、白と黒で色分けされた掌に収まる程の球体、滅魔煙陣という名の太極球を露出させる。その上で、右手で太極球の白い部分に、左手で黒い部分に触れると、太極球の白い部分から右手に白い光が、黒い部分から左手に黒い光が、それぞれ移る。
その間、飛鴻は捲った左腕の前腕に、何時の間にか右手に握っていた煙水晶粒で、素早く略式で太極図を書き込む。太極図は灰色の光を放ち(微妙に光は黒い部分と白い部分に分かれるのだが、混ざって灰色になっている感じ)、乗矯術が発動。
飛鴻は背中に分離型の翼を出現させると、その翼から灰色の光の粒子を放出させつつ、妖風の腰を抱いて宙に舞う。そのまま一気に三百メートル程の高度まで飛ぶと、ゆっくりと時計回りに回り始める……妖風がハノイ全域を見渡せる様に。
「開眼!」
妖風が宣言すると、触れたままの太極球の中央に、一つの目が出現する。その一つの目は妖風の両目と連動して動き、妖風と共にハノイ全域を見渡す。
一切瞬きをせずに、ハノイ全ての景色を目に焼き付ける様に見渡した後、妖風は目を閉じる。すると、太極球に姿を現していた一つ目も、姿を消してしまう。
数秒間目を閉じていた妖風は、目を開いて飛鴻に伝える。
「保護対象の設定、終了しました」
術者の目と連動する太極球を開眼させ、保護対象となる範囲を直接目にした上で、心の中で保護範囲の指定は行われる。故に、煙幕などで保護対象が隠されてしまうと、保護対象が煙幕の方になってしまう可能性が高いので、昨日朝霞相手には使わなかったのだ。
妖風の言葉を聞いた飛鴻は、滞空して回転するのを止めると、降下を始めて給水塔の上に降り立つ。そして、腰を抱いていた腕を解き、妖風から離れる。
妖風は一瞬だけ、残念そうな目で飛鴻を一瞥してから、万歳をするかの様に両腕を空に伸ばし、太極球に触れて光を移した両手を動かし、宙に太極図を素早く描く。両腕を筆として、手が纏う光を絵の具として、白と黒に光り輝く太極図を、頭上の空中に描いたのだ。




