昇龍擾乱 72
黄天城の外郭に配置された、夜叉像による一斉攻撃が千臂殲撃。攻撃に使用する夜叉像の選択は、タイソンの思考により行われるが、主に光線魔術で行われる、夜叉像が行う攻撃魔術の指定は、タイソン自身の動きにより行われる。
タイソンは今回、朝霞側を向いている夜叉像の半分を使用し、黄殲洪流を選んで千臂殲撃を行ったのだ。ちなみに千臂とは、そのまま解釈すれば千本の腕という意味だが、千臂殲撃の場合は、数が多い程度の意味合いで使われている。
千臂殲撃という攻撃方法の宣言の前に、タイソンが口にした「天魔」とは、香巴拉にとっての強敵や難敵を意味する言葉。使用にはリスクがあり、八部衆の切札といえる、金剛杵による攻撃を使ってでも、この場で撃ち滅ぼさなければならない対象だと、タイソンが朝霞を認識しているが故の表現だ。
タイソンより遥かに大きい夜叉像が二百五十基、一斉に黄殲洪流を放つ事により発生する光は、タイソンが一人で黄殲洪流を放った時とは、比較にならない程に強い。地上に黄色い恒星でも落下して来たかの様に、黄天城の周囲と黄殲洪流の発射方向の荒野は、黄色い光により完全に塗り潰されてしまう。
(じ、冗談だろ! 避けられるのか、こんなもん?)
視界の全てが黄色に染まるかの如き光景を目にして、朝霞は即座に回避運動を取る。幾ら朝霞の飛行速度が速くとも、光線魔術のスピードの方が速いので、直進を続ければ背後から迫る光線に、確実に飲み込まれる。
つまり、射線から外れる上下左右や斜めなどに、コースを曲げて回避するしかないのだが、回避する方向を考え続ける時間も無い。
(正確に俺を狙ってるんだから、どの方向にかわしても変わりないか!)
その上で、朝霞は下に回避するのを選び、強引に飛行コースを下向けに捻じ曲げる。下を選んだのは、重力があるので僅かではあるが、速く射線から逃れられるかもしれないと考えたので。
全身の骨が軋む程の負荷に苛まれつつも、朝霞は鋭いフォークボールの様に高度を落す。朝霞は黄天城の中央にいるタイソンと同程度の、地表から百メートル辺りを飛んでいたのだが、一気に六十メートル辺りまで高度を下げるのに成功。
直後、朝霞が通り過ぎた辺りの空間を、ジェット機が通り過ぎるかの如き轟音を響かせ、大気すらも激しく震わせながら、空を埋め尽くすかの様に見える光線の束が通過する。直撃すれば、今の朝霞では跡形も無くなるだろう、凄まじい威力の光線の直撃を、何とか朝霞は回避出来た。
だが、朝霞が回避出来たのは直撃だけ。黄殲洪流の太い光線の周りには、光線として収束し切れなかった僅かな飛沫……魔力で作り出された粒子群も飛んでいるのだが、その粒子を数十発、朝霞は両脚に食らってしまったのだ。
高速で飛来する粒子は、収束された光線程の威力は無いが、砲弾程の威力がある。言わば朝霞は両脚を、機関砲で数十発も撃たれたに等しい状態。
朝霞は激しい痛みと衝撃を覚えはしたが、交魔法により強化された透破猫之神の防御力は、その程度の攻撃力には耐え切れる。特にプロテクターに守られた部分は、ノーダメージに近い。
プロテクターに守られていない部分ですら、コスチュームに穴は開いてしまったが、打ち身程度のダメージで済んでいた。無意識に行っている気による防御力が、交魔法状態の透破猫之神の防御力に加算され、朝霞の両脚を守り通したのだ。
身体自体は大したダメージを負わなかったのだが、元々が急降下に近い形で降下中だった上、脚部に砲撃を食らったも同然の目に遭った為、朝霞は飛行姿勢を崩される。錐揉み状に身体を回転させながら、猟師に撃たれた鳥の様に、朝霞は墜落してしまう。
そのまま朝霞の身体は、勢い良く地表に叩きつけられる。既に高度を落としていた為、交魔法状態の朝霞であれば、死ぬ程ではないとはいえ、高層ビルの天辺から身を投げたに等しい墜落が、ノーダメージという訳にはいかない。
息が出来なくなる程の衝撃を、全身で受けた朝霞は、必死で呼吸を整えつつも、起き上がろうとする。全身の骨が軋み、体中から激痛を覚えるが、特に左足首からの痛みが強い事に、朝霞は気付く。
(左側から落ちたからな、左脚……やっちまったか? 走って逃げるのは無理だ!)
スタートしたばかりの段階では、地を駈ける方が乗矯術による飛行より速い為、地上を走って逃げ続ける選択肢も、策に入れていたのだが、その策を朝霞は即座に破棄。この場は飛んで逃げるしかないと、即座に乗矯術で飛ぼうと、背中の翼から青い光の粒子群を噴出しながら、身体を宙に舞わせる。
だが、呼吸が止まりかける程の衝撃の余波と、左足首の激痛のせいで、朝霞の精神集中が乱れているのか、飛行速度が普段よりも上がり難い。乗矯術などの高度な魔術は、精神集中が乱れると、機能が低下したり、場合によっては発動しない場合もあるのだ。
(あの黄色い雲丹は?)
飛行速度が上がらないのに焦りつつ、タイソン……というより黄天城の様子を確認すべく、朝霞は周囲の空を見回す。そして、朝霞は絶望する。
朝霞の目に映ったのは、おそらくは一キロ程離れた空中に浮いている黄天城と、既に腕をL字に組んで光らせている、多数の夜叉像の姿。
しかも、動き出した夜叉像の数は、初撃よりも明らかに多い。
「――まさか千臂殲撃から逃れるとはな。魔力残量を気にして、夜叉像の数を抑え過ぎてしまったのが、拙かったか」
黄天城の中心で、既に千臂殲撃の宣言を終え、黄殲洪流の構えを取っているタイソンは、照外鏡に映し出されている、地表から飛び上がった直後の朝霞を狙いつつ、強い口調で言葉を続ける。
「夜叉像二百五十基の夜叉像で足りぬなら、次は五百基! 逃げ切れるものなら、逃げてみせろッ!」
直後、朝霞の方を向ける全ての夜叉像……総数五百基が、一斉に黄殲洪流を発射。目も眩むばかりの強烈な光に、荒野が黄色く染め上げられる。
まだ低空にいた朝霞は、迫り来る多数の光線を目にして、呆然と心の中で呟く。
(これは、無理だ……かわせない)
明らかに光線の数が前回より多く、攻撃範囲が広い。乗矯術が完全な状態であっても。回避するのは難しいだろう、広範囲かつ高速高威力の攻撃。
しかも、乗矯術が本調子では無いのだから、千臂殲撃の二撃目をかわせないという朝霞の判断は、妥当であった。迫り来る五百条の黄殲洪流から逃げ切る能力は、今の朝霞にはない……無論、黄殲洪流の光線に耐え切る能力も。




