昇龍擾乱 70
(防御殻は生きてる、今奇襲をかけても、仕留め切れる気がしないな)
朝霞の推測では、既に法輪相手に奪う蒼を使えるだけの魔力は、残されていない。その推測は正鵠を射ていて、事実……朝霞には奪う蒼を法輪相手に使い、機能停止に追い込めるだけの魔力は、既に残されてはいなかった。
個別の魔術式だけなら奪えるだろうが、それでタイソンを倒すのは無理だろうと、朝霞は判断する。
(法輪相手に奪う蒼を使って、法輪を機能停止に追い込んだ状態で、あの気鎧みたいな魔力防御をどうにかしないと、あいつは倒せない! どうやら今回、俺に出来るのは……ここまでだ)
この戦いには勝てないと、朝霞は判断した。無論、元から勝利が目的なのではなく、朝霞の目的は時間稼ぎなので、勝てない事自体は朝霞にとって、大した問題では無い。
(星牢を積んだ状態のスピードとはいえ、そろそろ逃げ遂せられただろう。時間稼ぎは十分の筈、俺も逃げよう)
朝霞は撤退を決意、乗矯術を使って、青い光の粒子群を翼から放出しつつ、止みつつある風の中を、宙に舞い上がり始める。そして、イダテンが逃げ去った方向から、右に九十度程ずれた方向に向かって高速飛行を開始。
既に仲間は逃げ去るのに成功しただろうと、朝霞は考えてはいる。それでもタイソンを惑わせる為に、仲間とは別方向に逃げた方が良いと、朝霞は判断したのだ。
タイソンの発言から、既に蒼玉よりも朝霞自身の方が、ターゲットとしての重要性が高いのは明白。ある程度タイソンを引き付けつつ逃げ回れば、仲間から完全に引き離せるだろうし、その上で速度に自身がある朝霞は、タイソンから逃げ切れると考えた。
魔力残力が不安要素だが、逃げに徹すれば魔力切れ前に、タイソンの追跡を撒けるだろうというのが、朝霞の判断。戦闘中に目にした、強力かつ長射程の光線魔術をタイソンが使っても、朝霞には回避出来る自信もあった。
朝霞はタイソンを振り切れる程のスピードではなく、タイソンが荼枳尼法で追跡可能だと思える程度のスピードで、飛行を続ける。荼枳尼法という魔術の名を知らない朝霞にとっては、風を巻き起こしながら飛ぶ、高速移動用の香巴拉の飛行魔術という認識。
(あの速い方の飛行魔術で追ってくるか? それとも、さっきの光線を撃ってくるか?)
高速飛行を続けながら、朝霞は背後を振り返り、タイソンの様子を窺う。だが、タイソンには追いかけて来る様子も、先程の光線魔術……黄殲洪流を撃って来る様子も無い。
(何やってんだ、あの野郎?)
朝霞の目線の先で、タイソンは朝霞ではなく、先程凄まじい爆発が発生した、タンロン地下鉱山の方を振り返っていた。天まで届く爆煙を眺めながら、タイソンは呟く。
「――金剛杵を使ったという事は、華麗もアナテマ相手に苦戦した様だな」
爆煙を目にして、華麗が金剛杵を使ったのをタイソンが察したのは、先程の巨大な爆発が、華麗の金剛杵によるものだという事を、タイソンが知っているから。そして、タイソンの独白が「苦戦した」と過去形なのは、金剛杵を使った以上、既に華麗が「苦戦する」段階を終えている……つまりアナテマを仕留めたのを、確信しているからである。
タイソンは振り返るのを止めて、飛び去る朝霞に目線を移すと、仁王立ちの姿勢を取る。
「――ここで黒猫を確実に仕留める為には、俺も金剛杵を使わざるを得んか」
かなり小さくなってしまった、胸元の琥珀玉を見下ろしつつ、タイソンは独白を続ける。
「魔力残量的に、全力で使うのは無理だとしても、今の黒猫なら仕留めるのに全力は不要!」
まるで祈りでも捧げるかの様に、タイソンは胸の前で両手を組む。人差し指と中指を立てた上で、中指を人差し指に引っ掛ける。香巴拉式の密印……金剛密印を、タイソンは結んだのだ。
タイソンが金剛密印を結ぶと、眩いばかりの凄まじい光を、琥珀玉が放ち始める。タイソンの場合、通常の黄色い光と微妙に見分け辛いのだが、金色の光を。
金色の光の放射が始まるのを確認してから、タイソンは金剛密印を解く。すると、密印を解いても、金色の光を放ち続ける琥珀玉の中から、光と同じ色をした短い棒状の物体……金剛杵が、迫り出し始める。
金剛杵の凹んだ中央部分を左手で握ると、タイソンは琥珀玉の中から引き抜く。金剛杵が完全に抜けると、琥珀玉からの光の放射は止む。
タイソンは自分の金剛杵を、出現させたのだ。金剛杵の形状は基本的には、華麗の物と殆ど差は無いが、柄の両端にある小宝珠が、瑠璃玉だった華麗のとは違い、タイソンのは琥珀玉となっているし、装飾には微妙な違いがある。




