昇龍擾乱 63
(やばい! 右手が!)
朝霞は慌てて右手を止めようとするが、それだけでは間に合わないと察し、全力で地を蹴る。強引に身体ごと上に跳ばす事により、高速回転する盾型攻性防御殻ごとタイソン自体を跳び越し、何とか右手が削り取られるのを防ぎつつ、タイソンの背後に着地。
背後と言っても、タイソンの後ろを取ったという訳では無い。力任せに跳んだ為、タイソンから五十メートル近く離れた辺りに、朝霞は降り立ったのだ。
(あっぶねー! 回転するのかよあれ! 右手削り取られるかと思った!)
右手の無事を確認してから、朝霞はタイソンに目をやる。自分を飛び越した朝霞の方を振り向いて、盾型攻性防御殻を盾として身構えているタイソンの姿を、朝霞は目にする。
鑽形攻性防御殻に変えて追撃して来る様子も、他の魔術に切り替える様子もない。朝霞の出方を窺い、タイソンは様子見をしている状態。
「――取り合えず様子見ってとこか。それにしても、厄介な攻性防御殻だな……あれ」
傘の様に開いたままの盾型攻性防御殻を眺めながら、朝霞は呟く。鑽形となり金剛鑽攻による突進技にも、盾型となり盾にも使える上、盾の状態ですら強力な攻撃力を持つのだから、敵である朝霞からすれば、相当に厄介な存在と言える。
(出来れば魔術式を奪っておきたい所だが……後ろに回り込んで、裏から触れるしか無さそうだ。幾ら何でも、裏側には刃はついてないだろうし……自分の身体が危ないから)
使用中の攻性防御殻の魔術式を、タイソンから奪う場合だけでは無い。タイソンの本体に攻撃を仕掛けるにしても、盾型攻性防御殻で守っている正面側からより、後ろに回り込んでからの方が、当たり前の様に有利。
(こいつは相当に目が良い。普通にトップスピード出して回り込もうとしても、対処される可能性が高いな)
そう判断した朝霞の頭に、まだ実戦では試した経験が無い、牽制や撹乱用の戦法の存在が、浮かんで来る。
(あの戦法なら、上手く誤魔化せて、裏を取れるかも……試してみるか)
朝霞は早速、思い浮かんだ戦法を試すべく、タイソンに向かって突進し、瞬時に間合いを詰める。そして、十メートル程の間合いを開けて減速、朝霞は一度立ち止まる。
直後、朝霞の姿が……薄れ行く残像だけを残して、消え失せる。静止した状態から急激に加速状態に入った為、目に残ってしまった残像に邪魔され、タイソンは一瞬……朝霞の影すら見失ってしまう。
「絶影?」
姿を消す程の速さの朝霞を見て、タイソンは呟く。絶影とは、影が絶たれたかの如く、影すら残さぬ程の速さに達した、速さの極致を意味する、四華州の武術の言葉。
それだけの速さを出せる能力を身につけるには、体術や気の操作などにおいて、常人の域を超えた才覚に加え、人並み外れた不断の功夫の積み重ねが必須。しかも、縮時に入らなければ事実上、その速さを制御するのは不可能と言われている。
絶影と呼ばれる速さに達する者ですら、滅多に現れぬ上、それを制御し使いこなせる者など、長い四華州の武術の歴史においてすら、十人に満たない。その十人に数えられる一人が、現在……四華州の武術家において最強と言われ、死神の通り名を持つ、洪飛鴻。
「飛鴻……瀛州読みだと飛鴻って奴で、死神って通り名の奴だよ。あの異常に速い動きは、無影脚って言うらしい」
朝霞は神流に飛鴻と無影脚について、そう説明したのだが、朝霞は思い違いをしている。無影脚は、地に影が映らぬ程に速い蹴り技を意味する言葉でしかなく、異常に速い動き自体は、別に幾つかの呼び名がある。
その呼び名の中で、最も有名なものが、この絶影。瀛州読みでは、絶影となる。
交魔法を発動した透破猫之神のトップスピードは、絶影に近いレベルに達している。そして、タイソンは過去に絶影を目にした事があるので、あくまで絶影に近くとも、絶影では無いと、交魔法発動中の透破猫之神のトップスピードを認識していた。
縮時に入った経験があるタイソンは、トップスピードに入った交魔法状態の朝霞同様、本物の絶影も薄い影として、目で追える場合があった。だが、その影は朝霞より遥かに薄く、その薄い影すら消え去り、全く目で追えなくなる場合も多かったのだ。
そんなタイソンは、一度停止した上での急加速により、目に残った残像に惑わされ、超高速移動状態の朝霞の影すら、見失ってしまった。それ故、絶影に近いのではなく、絶影そのものではないのかと驚き、絶影の名を呟いたのである。




