昇龍擾乱 57
魔術の名こそ知らないが、自分が使用不能にした飛行魔術は、空戦に向いた一つだけで、タイソンがもう一つの、高速移動に向いた飛行魔術を持っているのを、朝霞は知っている。しかも、その魔術は美翼鳥法とは違い、魔術式の一部を含む翼の様な物を形作らない為、魔術式を奪ったり上書きしたりするのは、難しい種類の魔術。
(ここから俺が逃げれば、あの風を巻き起こす方の飛行魔術で、イダテンを追跡されるだろう)
空中を飛び回りながら、どうすべきか考え続ける朝霞の視界に、程無く消え始める筈の、最初に作り出した煙幕の球体が目に入る。
(さっきみたいに煙幕を逆に利用される可能性もあるし、煙玉も使い辛いな)
朝霞の頭に浮かんで来るのは、タイソンが煙幕に身を隠したまま、イダテンを黄殲洪流で大雑把に狙い撃った際の光景。
(あれだけ長射程で高威力の攻撃魔術が使えるとなると、姫や巫女が完全に逃げ切るまで、俺にだけ集中させておかないと駄目だ)
心の中で朝霞が呟いた直後、僅かに光線が止んだかと思うと、一気に百を超える数の黄色い光の槍が、朝霞に向かって押し寄せて来る。光の間欠泉が、空に吹き上がったかの様な光景。
僅かに光線が止んだのは、タイソンが両手を琥珀玉に移動させ、両手に大量の魔力をチャージした為。魔力の鎧の為に体内を巡らせていた魔力の一部……つまり少量の魔力ではなく、琥珀玉から直接両手に移した膨大な魔力を使い、多数の三只眼光槍を一斉に放ったのである。
百以上の光線がシャワー状に広がるので、拡散三只眼光槍と名付けられている光線魔術。発射前には魔力のチャージの為、僅かな隙があるが、発射後の隙は三只眼光槍同様に、殆ど存在しない。
三只眼光槍を連射に近い形で狙い撃っても、朝霞にかわされ続けたタイソンは、朝霞の回避能力を光線の数と攻撃範囲で圧倒すべく、拡散三只眼光槍による飽和攻撃を行ったのだ。そして、その狙いは功を奏した。
光線を回避する為に、タイソンを見下ろしながら、高度二百メートル程を飛び回っていた朝霞の視界が、金色に近い黄色い光に染まる。朝霞は即座に回避運動を取ろうとするが、光速には遠いとはいえ、飛行魔術の最高速度より遥かに速く、広範囲に放たれた多数の光線は、現時点での朝霞の飛行能力で、回避し切れるものではなかった。
(かわし……切れないッ!)
そう悟った朝霞の視界で、寸前まで迫って来ていた光線の移動速度が、まるで急ブレーキでもかかったかの様に遅くなる。野球のピッチャーが投げた剛速球が、微風に流されるシャボン玉にでも変わったかの如き、朝霞の意識と感覚の中だけで起こった、スピードの変化。
まるで時間の流れ自体が、遅くなったかの様な、朝霞には何度も覚えがある感覚。
(瞬延か!)
複数の光線が、五十センチも離れていない辺りまで近付いて来ている、危機的な状況。朝霞は危機に瀕した自分が、瞬延に入ったのを悟る。
瞬延に入れた為、朝霞には自らに迫り来る光線が、全て視認出来る。人差し指程の太さの細い光線が、朝霞のいる辺りに七条、襲い掛かって来ていた。
(このままだと直撃が三条、周囲に四条!)
続いて、朝霞は光線同士の間隔をチェック、光線を回避可能な隙間があるかどうかを調べる。すると、身体を後ろに逸らしつつ、右側に身体一つ半程移動させると、七条の光線全てを紙一重で回避出来そうな事に、朝霞は気付く。
朝霞は即座に、身体を後ろに逸らしつつ、右側に身体一つ半程移動。身体を光線の隙間に、逃がそうとする。朝霞の身体は殆ど狙い通りに動いたので、光線の殆どはゆっくりと、朝霞の身体を紙一重の間合いで掠めるだけだった。
だが、「殆ど」であって「完全」ではなかった為、一条の光線だけ、朝霞はかわし切れずに、食らってしまう。食らったのは、身体に密着させるのが遅れた左腕の、前腕部分。
激痛と衝撃に、朝霞は悲鳴を上げる。バットのフルスイングを受け止めたかの如き衝撃を、光線が直撃した左腕前腕に受けたのだから、悲鳴を上げる程の激痛を感じるのも、当然と言える。
衝撃と激痛で精神集中は途切れ、瞬延が終り……通常のスピードに意識と感覚が戻った朝霞は、光線を食らった衝撃と反動のせいでバランスを失う。まるで猟銃に撃ち落された野鳥の様に、朝霞は錐揉み状に回転しながら、墜落して行く。
激痛に意識を失いそうになりながらも、何とか堪え切り、朝霞は墜落しながら必死で姿勢制御を開始。背中の翼から大量の青い光の粒子群を噴射して落下速度を落とし、身体にダメージを負わない程度まで減速した状態で、地上へと降り立った。
朝霞は即座に周囲に目を配り、タイソンの姿を探す。だが、大きな岩があちらこちらに散在する場所に、朝霞が降りたせいか、岩が邪魔でタイソンの姿は確認出来ない。
とりあえずタイソンの姿が見当たらない為、朝霞は左前腕の状態を確かめる事にする。
(左腕……持っていかれたか?)
左前腕を失っても、おかしくは無い程の衝撃を、朝霞は受けていた。激痛を感じる段階を通り越し、前腕の感覚が無かった為、朝霞は不安感を覚えつつも、左前腕に目をやる。




