昇龍擾乱 36
「――タイソンも麗華も、敵の前で内輪揉めは止めなよ、みっともない」
口論するタイソンと緊那羅……麗華を一瞥し、摩睺羅伽は呆れ顔で窘める。
「何を言っていやがる、華麗! お前が一番、役に立っていないだろうが!」
文句の矛先を摩睺羅伽……華麗に変えたタイソンの言葉に、麗華も頷いて同意を示す。
「僕だって金剛念珠飛ばしたじゃないか!」
そう華麗は主張するが、麗華はにべも無く言い返す。
「私達に比べて楽過ぎでしょ、たかが空飛ばすくらい」
「楽じゃないって! たぶん重力操作系の魔術なんだろうけど、あの妙な黒い球が当たってからは、急に無茶苦茶金剛念珠が重たくなって、飛ばすの大変だったんだし!」
華麗の言う妙な黒い球とは、バズの放った重力弾の事だ。
「球といえば……」
口論しつつも、さり気なく辺りに目をやり状況を確認していた麗華が、巨大でカラフルな球体……放置されている星牢を視認しつつ、言葉を続ける。
「蒼玉が入ってる球が見当たらないんだけど、黒猫団が盗み出そうとしてた奴」
ナジャの巣が展開される前、蒼玉の星牢に目をやった時、タイソンは透破猫之神姿の朝霞の存在を視認していた。麗華と華麗も、聖盗が蒼玉を盗み出そうとしているのには気付いていたが、黒猫団だと知ったのは、金剛念珠の中でタイソンに教えられてからである。
「黒猫団が持ち去ったんだろう。天井が崩れた時、黒猫団は飛んで逃げていたからな」
そう言い放ちつつ、タイソンは八部衆同様、何かを話している様子のバズとポワカを指差す。
「――連中の相手は、お前等に任せる。俺は蒼玉の方を追う」
「構わないけど、どちらかと言えばタイソンの狙いは、蒼玉よりも黒猫の方なんでしょ?」
華麗の問いかけを、タイソンは否定しない。
「黒猫は香巴拉にとって凶兆、禍根は芽の内に摘んでおくに限る」
前に言ったのと似た様な言葉を口にすると、タイソンは胸元から露になっている、明らかに小さくなっている琥珀玉に右手で触れる。琥珀玉は光を放ち始め、魔術が発動する。
直後、タイソンの身体は上昇気流に吹き上げられる様に、宙に舞ったかと思うと、そのまま急上昇して行く。急上昇は強烈な空気の流れを巻き起こし、辺りに土煙を立てる。
「荼枳尼法か! 飛んで追いかけるなら、もう少し地味な奴使えよ!」
突風の如き空気の流れに髪を乱され、土煙を浴びた華麗は、迷惑そうに空に向かって怒鳴りつける。だが、既にかなりの高さまで上昇しているタイソンに、その声は届きはしない。
香巴拉式には複数の飛行魔術が存在するが、その一つが荼枳尼法。宗教的性質が強く、多数の神を奉る香巴拉式の神の一柱で、強風を巻き起こして、その風に乗り空を飛ぶ女神……荼枳尼の名を冠した飛行魔術。
スピードは速いのだが、周囲に乱気流の如き空気の流れや風を発生させるので、傍迷惑な魔術でもある。故に、華麗は荼枳尼法以外の地味な飛行魔術を使えと、タイソンに文句を言ったのだ。
「黒き翼の者……バヤック!」
空水晶粒で左手の甲にトーテムを描きつつ、ポワカは魔術の名を口にする。魔術の名を口にせずとも魔術の発動は可能だが、口に出した方が発動ミスする確率が下がるので、口にする場合が多いのは、マニトゥに限った話では無い。
ポワカが魔術を発動すると、緑がかった空色の光の粒子が、ポワカの周囲で大量に発生。光の粒子群はポワカの背中に一瞬で集まると、黒く変色しつつ黒い翼を形作る。
乗矯術使用時に出現する翼とは違い、見た目は本物の黒い鳥……鴉の翼を思わせる形状。とは言っても、本物の鴉の翼とは違って羽ばたきはせず、空色の光を放ち始める。
光の放射が始まるのと同時に、ポワカの身体は重力から切り離されたかの如く宙に浮き、急上昇を始める。乗矯術と似たマニトゥの飛行魔術バヤックを、ポワカは発動させたのである。
ハノイを戦いに巻き込まない為の策を、アナテマは事前に講じてはいるのだが、ポワカは可能な限り、タンロン鉱山跡近辺以外に戦場を拡大したくはなかった。故に、ハノイ方面に向った朝霞達を、追撃しようとしているらしいタイソンを、ポワカは止めたかったのだ。
「追わせないよ!」
華麗は急上昇して行くポワカを見上げながら、開いた旗袍の胸元で露になっている瑠璃玉を右手の指先で撫でる。蒼玉よりも深く青い光を、華麗の瑠璃玉は放ち始める。
バズは華麗が何かを仕掛けようとしているのを察知、杖の先端で華麗を狙う。だが、攻撃を放つ前に……バズの視界から華麗は姿を消してしまう。




