昇龍擾乱 33
空色の光の粒子群が変化し、糸となっていた部分が、元の光の粒子群に戻ったのだ。ナジャの巣発動時よりも、空色に煌く光の粒子群の数は少なくなっているが、すぐに空気中に溶け込んで、消え失せてしまったのである。
ポワカは即座に、右手に空水晶粒を手にしたまま、左手の甲を確認。左手の甲からは何時の間にか、トーテムが消え去っている。
ナジャの巣が崩壊を始め、左手の甲からトーテムが消え去っているのは、明らかにナジャの巣を発生させた魔術が、その機能を停止したのを示している。瞬時に左手の甲に、ポワカはトーテムを描き込み、ナジャの巣を再発動しようとする。
だが、左手の甲に描き込まれたトーテムは、魔術を発動する事も、空水晶粒を魔力に換える事も無く、消え失せてしまう。ポワカは焦りの表情を浮かべ、何度もトーテムを描き込んではみるのだが、何度繰り返してもトーテムは消失してしまう。
「ナジャの巣が、封じられた」
焦りと悔しさが入り混じった表情で、ポワカはナジャの巣を構成していた糸に目線を移す。空色の光の粒子が変化していた糸は既に消え去り、残されているのはストールだった糸だけだ。
ナジャの巣を構成していたストールだった糸は、蜘蛛の巣の形状を維持出来ず、引力に引かれて落下し始めていた。その多くが落下の途中で、擬似太陽砲に撃たれて燃え尽きたり、溶岩状態となっている底からの熱放射により、燃え上がってしまっていた。
ポワカが自ら解除したり、魔術が限界を迎えて自動解除となった場合、ナジャの巣の発動時に使われた糸(空色の光の粒子群が変化した糸ではなく、術の発動時にポワカが手にしていた糸)は、魔術の発動前の状態に戻る。糸は元の状態に戻るまでは、事実上破壊不可能な状態に、魔術によって保護されている(攻撃能力は既に失っているが)。
本来、ナジャの巣は解除されても、発動に使用した糸は燃え尽きたりはしない。ナジャの巣の使用を止めるなら、糸はポワカの手元に戻ってストールの状態に戻るし、ナジャの巣を即座に再発動するなら、糸は手元に戻らずに再びナジャの巣を作り出すが、どちらの場合でも糸が破壊される事は無い。
つまり、糸が熱により燃え尽きている光景は、ナジャの巣が限界を迎えて自動解除したのではなく、魔術自体が封じられ、ナジャの巣が強制的に解除された事を示しているのだ。ナジャの巣の魔術自体が封じられているからこそ、ナジャの巣を再び発動すべく、ポワカが左手の甲に描いたトーテムが、消え失せてしまうのである。
左手の杖で金剛念珠を狙うかの様に、身構えていたバズは、ポワカの「ナジャの巣が、封じられた」という言葉を聞いて、その構えを解く。ナジャの巣が解除され、再発動する迄の間、僅かに発生する隙を、八部衆に突かれぬ為に、バズは八部衆を魔術攻撃しようとしていたのだ。
「――緊那羅か。奴がいなければ、もう暫く八部衆を焼き続けられたんだがな」
参ったなと言わんばかりの渋い表情で、バズは愚痴を吐く。あと何度かナジャの巣を切り替え続けて、八部衆をマットチョイの底に捕えたまま、三百体のアパッチ達による集中砲火で、八部衆の魔力の元を削り取れるだけ削り取るというのが、アナテマ側……バズの立案した作戦であった。
ナジャの巣はポワカしか使えず、ポワカであっても同時に二つは作り出せない。それ故、ナジャの巣が限界を迎えて自動解除されてから、新しいナジャの巣を展開するまでの間、最速でも二秒近くの隙が出来る。
当然、その隙を狙って八部衆は逃れようとする筈。殆どの八部衆にとってですら、ナジャの巣の拘束から逃れる為には、その隙を突くしか無いのだから。
八部衆は虚空門という、虚空(エリシオン式魔術が亜空間と呼んでいるもの)という空間を通り抜け、遠距離を転移する事が出来る。だが、バズは八部衆が虚空門を使えなくなる、亜空間が荒れる時期を、罠を仕掛ける時期として選んでいた。
その上、ナジャの巣には雑に展開された場合のみ、展開範囲近辺の空間を乱してしまう、特殊な効果が発生する(時間をかけて丁寧に展開した場合は、空間を乱さない)。空水晶という特殊な記憶結晶使用した超ハイレベルの魔術を、広範囲に雑に展開した事による、一種の副作用的な害であり、ナジャの巣が雑に展開された近辺の空間では、敵味方共に空間に通路を開く系統の魔術が、まともに発動出来ない状態になってしまうのだ(強引に発動する事は可能だが、繋げた先が狙い通りの空間とは限らず、とても危険)。
元から虚空門が使えない時期を選んで罠を仕掛け、尚且つ雑に展開されたナジャの巣自体にも、虚空門を事実上封じる副作用がある。故に虚空門が使える八部衆であっても、ナジャの巣が切り替えられる僅かな隙を突くしか、逃れられはしないのだ。
そんなナジャの巣を封じたと思われるのが、翠玉を胸に持つ八部衆……緊那羅。ナジャの巣を切り替える僅かな隙を突かずとも、ナジャの巣による拘束から逃れ得る、唯一の八部衆。




