昇龍擾乱 32
黒猫団の遥か前方に、多数の土煙が立ち上っているのに、飛行中の朝霞は気付く。目を凝らして見てみると、それらは全て荒野を疾走する自動車が立ち上らせている土煙。
「ハノイに向ってるみたいだが、タンロン鉱山跡から退避した連中か?」
朝霞が自問した通り、強化されている朝霞の視力であっても、胡麻粒程の大きさに見える自動車達は、タンロン鉱山跡から退避中だった。アナテマに協力した薬幇の者達や、黒猫団同様に罠だと気付かずにブラックマーケットを訪れた客達、八部衆との実戦を担当しないアナテマの構成員達が、ポワカの部下達に護衛された上で、ハノイに退避中なのである。
前方の大雑把な状況を視認し終えた朝霞は、飛行したまま身体を裏返すと、後ろ向きに飛び始める。背泳ぎと後ろ歩きの丁度中間くらいの角度での、一種の背面飛行とでも言うべきか。
朝霞の視界の中で、次第に小さくなって行くタンロン鉱山跡なのだが、その存在感は増していた。まるで地上に太陽でも落ちたかの如く、赤味が強いオレンジ色の光に、タンロン鉱山跡の辺りの景色は染まっていたのだ。
辺りの光景が陽炎の様に揺らめいて見える事から、赤味が強いオレンジの光を作り出している、アパッチ達の擬似太陽砲が、高熱で攻撃する武器であるのは、朝霞には察せられる。擬似太陽砲という名称自体は、朝霞は知らないのだが。
「熱線の一斉照射で、八部衆を焼き尽くそうって算段みたいだな」
マットチョイの光景を想像しつつ、朝霞は言葉を続ける。
「火山の火口みたいになってそうだ……」
朝霞の想像した通り、巨大な穴となったマットチョイ内部は、まさに火山の火口の様な状況となっていた。ほんの少し前まで頑強な岩盤だった底の部分は、高熱によりドロドロに溶かされ、文字通り溶岩となっている。
赤やオレンジ色に焼けている溶岩からは、赤味の強い光と高熱が放射され、溶岩状態にはなっていない壁面までも、赤々と染め上げていた。足を踏み入れたら死を免れ得ない、活火山の火口の如き光景。
だが、そんな地獄絵図の様な光景と化したマットチョイの中でも、変わらぬ物があった。それは南側に張り巡らされた巨大な蜘蛛の糸……ナジャの巣と、それに捕らわれた金剛念珠。
ナジャの巣と金剛念珠だけは、擬似太陽砲の一斉砲撃が始まる前と変わらぬ状態を、維持していたのだ。どちらも岩をも溶かす超高熱に、耐え切っていたのである。
「――この高熱に耐え切るとは、さすがは八部衆……化物だねぇ」
大穴の縁に立ち、マットチョイの中を見下ろしていたバズは、サングラスのせいで表情が確認し辛いが、呆れ顔で続ける。
「八部衆の中でも夜叉は代々、防御能力に優れた魔術師が多い。夜叉がいなければ、ここで一気に大ダメージを与えられたかも知れんというのに」
バズとポワカがサングラスをしているのは、擬似太陽砲の熱線の光や、熱線で焼かれるだろうマットチョイ内部の眩さへの対策の為。ちなみに、マットチョイから熱気が上がって来ているのだが、バズが杖で地面に書き込んだ魔術式により、バズとポワカの周囲の温度は「酷暑程度の暑さ」に抑えられている。
「――とはいえ、幾ら夜叉の金剛念珠だろうが、これだけの数の擬似太陽砲で焼かれ続ければ、長くはもたない筈。可能な限り、このままナジャの巣で捕え続けて、奴等にダメージを与え続けたい所だが……」
右手で髭を弄りながら、バズは苦々しげな口調で続ける。
「緊那羅がいる以上、それも難しい。何気に嫌な組み合わせの連中が、送り込まれて来ているな」
「緊那羅……歌舞天恵という奴か」
ポワカの言葉に、バズは頷く。
「奴がいる以上、鍋の中で焼き殺して終りという訳には、いかないだろうねぇ。面倒な事だ」
「それは予定通り、何を今更?」
右手に空水晶を握り込みながらの、ポワカの問いかけ。バズやポワカも、ナジャの巣で捕えた上でのアパッチによる総攻撃程度で、八部衆が倒せるなどとは思ってはいない。
無論、倒せれば御の字とはいえ、基本的には膨大な魔力の源である、胸に装備している完全記憶結晶を消耗させる事が、アパッチによる総攻撃の目的。幾ら数を揃えた新型機であっても、ホプライト程度に倒せる相手などと、アナテマは八部衆を舐めてはいない。
「いや何、年寄りは体力が無いんでね、なるべく面倒は避けて、楽に勝ちたいのさ。まだ若い君には、分からんだろうが」
バズの言葉が終った直後、マットチョイの大穴の中で、変化が起こり始める。全く動きを見せていなかったナジャの巣が、崩れ始めたのだ。




