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天橋暮らし 01

 瞼を閉じていても、微妙な眩しさを感じる程に、窓から射し込んで来る陽射しが強い。

 既に朝の陽射しでは無い、昼に近い初夏の太陽が、遠慮無く陽光で朝霞を照らしている。


(――カーテン……閉めておいた筈なんだけど、勘違いかな?)


 ベッドの上で仰向けになったまま、朝霞は昨夜、自分が寝入る前にカーテンを閉めたかどうか、思いだそうとする。

 だが、記憶は曖昧で、カーテンについては何も思い出せない。


(見ていた夢なら、思い出せるんだけどねぇ……)


 つい先程まで、十ヶ月程前に実際に経験した事を、そのまま追体験するかの様な夢を見ていたのを、目覚めたばかりで鈍り切った頭でも、朝霞は覚えていた。

 大忘却が起こった時と、煙水晶界に旅立つ羽目になった時の夢を見る切っ掛けとなった切符は、眠っている間に無意識に戻したのだろう、左手の中に在る事が、朝霞には感覚として分かる。


(懐かしい夢見たもんだ。確か、あの後……ベルルさんに、身に付けた魔術や他の技術を、調べて貰ったんだよな)


 夢で見たのは、世界間鉄道に乗って蒼玉界を発ち、神流や幸手と客車の中で雑談を交わしていた所までだった。

 その後、朝霞達はベルルに、様々な車内サービスを受けたのだ。


(もう少し、夢の続きを見たかった気もするが、そんなに長々と夢見てたら、昼を過ぎちまうな)


 眩しげに薄目を開けて、陽射しの角度と強さから、朝霞は大雑把に時間を推測する。


(陽の高さからして、もう昼に近いんだろうし、そろそろ起きないと)


 幾ら疲れ果てた状態で、寝入るのが遅かったとはいえ、昼前にもなって寝続ける気は、朝霞にはしなかった。

 腹も程好く空いているし、朝霞は起きて、遅い朝食を摂る事にした。


 眩しさを堪えて目を見開き、朝霞は起き上がろうとする。

 だが、上体を起こすまでは問題無かったのだが、ベッドの上で膝立ちになろうと、脚を動かそうとした段階で、問題が起こる。


「ん?」


 朝霞の右脚は何かに押さえつけられている様で、上手く動かない。寝起きで身体の動きが鈍っていたせいもあり、起き上がろうとする左側が、それを妨げようとする右側に巻き込まれる形で、朝霞の上体は右側に、うつ伏せになる様に倒れ込む。


 揺れるベッドのスプリングが、激しく軋む。だが、朝霞は自分の身体が、ベッドのマットレスでは無い、別の何かに受け止められたのを、感触で察する。


(むにゅん?)


 顔が埋まった、マットレスや枕とは違う柔らかな感触を、朝霞は頭の中で擬音に変換しつつ、その感触が何なのか、考えてみる。

 それは、覚えの有る感触だった。


(こ、これは……まさか?)


 その感触の正体に気付き、朝霞は驚き、慌てる。


「起きたばかりで、いきなり女に伸し掛かるなんて、今日は積極的だねぇ」


 頭上から、ハスキーな女の声がする。声と共に口から漏れる息に、耳元をくすぐられ、こそばゆさに朝霞は身を震わせる。


 聞き覚えのある声なので、声の主が誰なのか、朝霞にはすぐに分かった。

 腕立て伏せの様に手を突っ張って上体を起こし、声の主の姿を、朝霞は確認する。


 朝霞が倒れ込んだ下には、女の身体があった。

 神流に匹敵する程に背が高く、紅い瞳と同じ色の長い髪が印象的な、二十歳過ぎに見える女の身体が。


 褐色の肌に派手な顔立ち、鍛え上げられた身体ではあるが、薄い着衣越しに朝霞の顔を受け止めている胸は、程好く膨らんでいる。

 女としての柔らかさが、筋肉質の身体と見事に馴染んでいる感じ。


 そんな女が、脚を朝霞の右脚に絡め、抱き着いていたのだ。そのせいで、朝霞は右脚をとられ、倒れ込んだのである。


 身長差のせいもあるが、女の身体の位置が上にずれていた為、倒れ込んだ朝霞の顔は胸に埋まり、女の声を頭上から聞く形になった。


 一見すると下着に見えなくは無いが、一応はアウターである、黒いビスチェ風のキャミソールに、太腿の付け根辺りでカットオフした、デニムのショートパンツという、扇情的な出で立ち。

 そんな女が仰向けになったまま、誘うような微笑を浮かべて、朝霞を見詰めている。


「――この蛇女! また勝手に人のベッドに……んッ!」


 強い口調で、文句を言い始めた朝霞の声が、途切れる。

 蛇女と朝霞が呼んだ赤い髪の女に、強引に抱き締められて、また身体が倒れ込み、顔が女の胸に埋まってしまったせいだ。


(いや、だから……この状態はマズイでしょ!)


 胸に顔を押し付けられている恥ずかしさに、朝霞は顔を赤らめる。

 離れようと両手でマットレスを押さえて突っ張るが、抱き締める女の力の方が強く、朝霞の顔は女の胸に、埋もれた状態のままである。


「オーリャと呼ぶのを許してやってるのに、蛇女呼ばわりする様な奴は、こうしてやる!」


 女は朝霞の頭を抱き締めたまま、強く締め上げる。

 別に締め技をかけている訳では無いのだが、神流に匹敵する怪力の女に、強く抱き締められるのは、それだけで十分に苦しい。


 苦しげな声と、ベッドが激しく軋む音が、部屋の中に響き渡る。

 倉庫を居住スペースに改造した部屋なので、壁や戸の防音能力が低い為、部屋の中どころか、部屋の外である共有スペースに、足を踏み入れたばかりの者の耳にも、音は届いてしまう。


 鍵が開く音がしてから、朝霞の部屋のドアが、勢い良く開く。


「どうしたの、朝霞?」


 苦しげな声と物音を聞き付け、朝霞の身を案じたのだろう。

 慌てた様に部屋に飛び込んで来たのは、陽光に煌めく金糸の如き髪が印象的な、磁器の様に白い肌の少女。


 長いストレートの金髪を、後頭部で馬の尾の様に結っている、清楚な白いワンピース姿の少女は、声と物音の発生源である、ベッドの上の光景を目にして、青い瞳を激怒の炎で燃え上がらせる。


「な、な……何をしてるのかなッ?」


 悲鳴と怒声が半々といった感じの声で、金髪の少女はベッド上の二人を怒鳴りつける。

 優しげに整った顔立ちの少女なのだが、怒っている時の顔には、威嚇する猛獣の如き迫力がある。


 そんな怒れる少女の目に映っているのは、赤髪の少女とベッドで抱き合い、絡み合っているかの様な、朝霞の姿。

 一見、淫らな行為に及んでいる様に、見えなくも無い状況。


「――記憶結晶を盗みまくってる聖盗黒猫に、いたいけな生娘のオルガが、女の初めてを盗まれてるのさ! 邪魔しないでね!」


 からかう様な口調で、赤髪の女……オルガ・アヴェリナは、金髪の少女に答える(オーリャはオルガのニックネーム)。


「誰が生娘で、女の初めてを盗まれてるって? 冗談は止めてくれないかな、痴女の分際でッ!」


 金髪の少女はオルガに食って掛かりつつ、左手に提げていた籠の中から、夕陽の様な色合いの、ソフトボール程の大きさがある柑橘類の果実を、右手で取り出す。

 そして見事なフォームで、金髪の少女は果実をオルガに投げつける。


 三メートルも離れていない、至近距離と言える間合いで、強く投げ付けられた果実を、オルガは左掌だけで受け止める。

 普通の人間なら、対応が間に合わないだろうし、グローブが無ければ相当に痛い筈なのだが、余裕を持って。


「ちょっと、危ないじゃないのさ! 至近距離からロック・オレンジみたいな硬い物、投げ付けないでよ!」


 オルガが左手で、受け止めたロック・オレンジの果実を弄びながら、金髪の少女に文句を言う。

 岩程に硬いオレンジである事が名の由来である、ロック・オレンジの果実を投げつけるのは、小振りな岩を投げ付ける様な物なので、オルガの言う様に危ないのは事実。


 だが金髪の少女は、オルガがロック・オレンジの果実を受け止める能力が有るのを知っていたからこそ、投げ付けたのだ。

 ロック・オレンジをオルガが受け止めようとすれば、片手を使わざるを得ない状況になる為に。


 左手をロック・オレンジへの対処に回した為、朝霞の頭を抱き締め、締め上げるオルガの腕は、右腕だけになる。

 怪力のオルガであっても、流石に片腕だけで、朝霞の動きを封じるのは難しい。


 拘束が弛んだ隙を見逃さず、朝霞は両手を使ってオルガの右腕の関節を押さえ、梃子の原理を使って隙間を作る。

 その隙間から素早く頭を抜いて、朝霞はオルガの拘束から逃れる。


「あ痛たた……助かったよ、バニラ」


 ベッドから下りた朝霞は、ベッドの近くにある椅子に腰掛ける。

 ソファーの様なゆったり座る奴では無く、事務用の机とセットになっている、素っ気無い椅子に座りつつ、オルガに締め付けられていた頭の各所を、朝霞は摩る。


「せっかく助けてあげたのに、そんな時までバニラとか呼ぶの、止めてくれるかな?」


 そういうと、バニラと呼ばれた金髪の少女は、不愉快そうに頬を膨らませる。


「バニラアイスばかり食べてる、バニラ好きな奴を、バニラと呼んで何が悪い?」


「確かにバニラアイスは好きだけど、バニラ嫌いな人に、バニラって徒名つけられて呼ばれたら、自分が嫌われてるみたいな気がするから、悪いに決まってるでしょ! そんな事も分からないかな?」


「アイスのバニラはともかく、散々……世話になりまくってる女の子のバニラを、俺が嫌ってる訳が無いじゃん」


「だから、バニラじゃなくて、ちゃんとティナヤって名前で呼んでよね!」


 嫌ってる訳が無いと言われて、多少は気が晴れたのか、金髪の少女……ティナヤ・ララルの抗議の言葉は、先程よりは口調が甘い。

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