昇龍擾乱 09
「馬鹿を言わないで欲しいね。煙草風のチョコレートで騙す様な安易な悪戯を、この私が二度もやる訳が無いだろう」
鼻髭の男は肩を竦めて、馬鹿にしないくれと言わんばかりの口調で、言葉を続ける。
「そんな安易な手に、君が二度も引っかかる訳が無いだろう事くらいは、私も分かっている。どうせやるなら、君が引っかかる様な……別の手を使うさ」
ジェームズは鼻髭の男の言葉を聞いて、流石に同じ悪戯を二度もやらないだろうと考えを変え、懐に右手を突っ込む。そして、銀色のオイルライターを取り出すと、鼻髭の男が手にしている、紙巻煙草の様な物の前に差し出す。
「――どうぞ」
軽い金属音を響かせつつ、ジェームズがオイルライターにオレンジ色の火を点けると、その火が紙巻煙草風の物に引火する。直後、炭酸飲料が泡立つ様な音を立てながら。紙巻煙草風の物の先端から、カラフルな火花が噴出し始める。
ジェームズは驚きの声を上げながら、瞬時に後ろに飛び退く。その動きは素早く、身体に一切、火花を浴びる事は無い。
「あ、危ないじゃないですかッ!」
表情を引き攣らせながら、ジェームズは声を上擦らせつつ、鼻髭の男に抗議の声を上げる。
「危ない訳が無いだろう。この程度の火花を避けられなかったり、防げなかったりする様な鈍い者など、私の部下にはいる筈が無いのだから」
鼻髭の男は火花を噴出し終わった、紙巻煙草風の花火を、ソファーの前にあるテーブルの上の灰皿に捨てながら、楽しげに言葉を続ける。
「――まぁ、避けられたのは良いとしても、チョコレートを花火に変えたとはいえ、二度も同じ様な手に引っかかるとは、ジェイコブ君……君は相変わらず騙され易い男だね」
「ジェイコブじゃありません、ジェームズです」
苛々を隠さぬ不愉快そうな口調で、言葉を吐き捨てたジェームスに、鼻髭の男は真顔で言い聞かせる。
「戦争という物は、正義だの理想だの綺麗事を掲げたところで、所詮は殺し合いにして騙し合い。騙すのが上手い奴が勝ち、騙され易い奴は負けて死ぬ」
そして鼻髭の男は、ジェームズを指差して言い切る。
「そういう意味では、今の君は負けて死ぬ側の人間だ」
不愉快そうに、顰められていたジェームズの顔も、真顔になる。
「死にたくなければ、全ての思考と感覚を動員し、君を騙そうとする者の謀を見抜き、決して騙されるな! そして可能なら、騙す側に回り給え!」
花火の悪戯の是非はともかく、アドバイス自体は真っ当な物なので、ジェームズは素直に聞き入る。
「――心に留めておきます」
ジェームズが納得したのを見て、満足気に頷いてから、鼻髭の男は周囲を見回す。また何か探しているかの様に。
「おや? 杖が無い……何処へやったかな?」
そして、壁際まで飛び退いたジェームズの近く、岩壁に立て掛けられた黒い杖に気付く素振りを見せると、ジェームズに声をかける。
「そこの杖を取ってくれ給え」
「あ、はい」
ジェームズは素直に鼻髭の男の頼みに応じ、近くの壁に立て掛けてあった、黒い杖に右手を伸ばす。金槌風の形をした、銀色のグリップ部分を握ったジェームズは、右の掌に嫌な感触を覚える。
ねちゃっ……とした、粘り気のある気持ちの悪い何かが、杖のグリップに塗られていたのだ。
「――こ、これは一体? 何かベタベタする物が?」
顔を引き攣らせながらのジェームズの問いかけに、鼻髭の男はしれっとした表情で答える。
「バターだよ、嗅いでみ給え」
楽しげな鼻髭の男の言葉を聞いて、ジェームズは杖から離した右掌の匂いを嗅ぐ。甘い乳臭さのある匂いを、ジェームズは嗅ぎ取る。
「――確かにバターですね……っていうか、何でバターが杖にベタベタと塗ってあるんですか? 杖はパンじゃないんですよ!」
「それは勿論、花火の火花を後ろに飛び退いて避けるだろう君に、杖を取る様に頼んで、君の掌をベタベタのバター塗れにする為に、決まっているじゃないか」
楽しげに言い放ってから、鼻髭の男は真顔になる。




