昇龍擾乱 08
不安定なリズムに不協和音、意味不明な歌詞を歌い上げる、不安定な女性歌手の歌声が、小さな地下空洞の中で流れている。ホテルの部屋の様に設えてある地価空洞の、壁にかけられている黒い箱型の音声再生魔術の魔術機構が、音楽を流しているのだ。
音楽を聴いているのは、部屋の中央にある応接セットの黒いソファーに、深く腰掛けている男。眼光鋭い細面の顔を飾る、先端が上向きに跳ねている黒々とした鼻髭が、胡散臭い印象を醸し出している。
顔には深い皺が刻まれているが、艶やかに固められている髪は、鼻髭同様に黒々としていて、壮年なのか初老なのかが、見た目では判別出来ない。
細身の身体を包んでいるのは、まともな人間なら間違っても着ないだろう、目に痛い程の真っ赤なダブルのスーツ。左足は白……右足は黒と、色違いの革靴を履いている辺りも、まともでないファッションセンスを感じさせる。
奇妙な音楽を聴いている、奇妙なファッションセンスの男は、音楽のメロディから外れた鼻歌を、気分良さ気に歌いつつ、手にしている書類に目を通している。タンロン鉱山跡の構造図や、流れ図の様な物が印刷されている書類だ。
ドアをノックする音がする。部屋の様になっているので、坑道に繋がる部分が、海老茶色の木製のドアで塞がれているのだ。
「――入り給え」
鼻髭の男は、ドアをノックした者に入室を許しつつ、付け加える。
「ただし……親の遺言を詩の様に、謳い上げながらね」
「――失礼します」
声と共にドアが開き、二十代中頃の青年が入って来る。フィールドグレーの野戦服を着て、肩に黒いケープを羽織った、真面目そうなブラウンの短髪の青年だ。
「各ケントゥリア、所定の位置への配置、終了しました」
要件を簡潔な言葉で伝える青年を、鼻髭の男は不満そうに一瞥しつつ声をかける。
「親の遺言は、どうしたね?」
「無茶言わないで下さい」
呆れ顔で、青年は言葉を続ける。
「私の両親は健在ですから、遺言など有りません!」
青年の返答を聞いた鼻髭の男は、つまらなそうに肩を竦めて見せる。
「こういう場合は御両親が健在でも、お亡くなりになったつもりで、心に思い浮かんだままに遺言をでっちあげ、謳い上げるのが人の世の礼儀というものだよ、ジェイソン君」
「ジェイソンじゃありません、ジェームズです!」
強い口調で、青年……ジェームズ・ジェームズは自分の名前を訂正する。
「それと、人の世の礼儀云々を言い出すなら、毎度誰かが部屋に入ろうとする度に、訳の分からないリクエストを付け加えないで下さい!」
「冗談の通じない男だねぇ、君は。そういう男は早死にするよ」
「これから戦争が始まるかもしれないって時に、縁起が悪い事言うの止めて下さい」
不愉快そうに半目で髭の男を見下ろしながら、ジェームズは言葉を続ける。
「とにかく、そろそろ御準備を。ポワカ様も既に星牢と共に、マットチョイに移動を始めておられるのですから」
鼻髭の男は、ポケットから金色の懐中時計を取り出すと、時間を確認する。
「――少し遅れ気味の様だな。まぁ、お陰で私も三曲程……余分に音楽を楽しめたのだから、良しとしておこうか」
懐中時計をポケットに仕舞うと、鼻髭の男は立ち上がる。別のポケットから左手で紙巻煙草の様な物を取り出すと、鼻髭の男は右手でライターを探すが、見付からないといった感じの素振りをする。
「火を貸して貰えんかね?」
頼まれたジェームズは、嫌な事でも思い出したかの様な、苦々しげな表情で答える。
「嫌ですよ、また煙草風のチョコレートでしょ」
ジェームズは以前、今と同じ様な感じで、鼻髭の男に火を貸して欲しいと頼まれた事があった。だが、その時に鼻髭の男が手にしていたのは、子供が悪戯などに使う、煙草に見せかけたチョコレート菓子だったのだ。
気付かずに火を点したジェームズの目の前で、チョコレートを包んでいた紙は燃え上がった。そんな悪戯に引っかかり、驚かされた記憶を思い出したので、ジェームズは不愉快そうに、火を貸すのを断ったのである。




