暗躍疆域 46
窓の外から繁華街の喧騒が、微かに聞こえて来る。深夜が近付く時間帯、不夜城という訳でも無いのだが、ハノイの繁華街には未だ眠りに就く気配は無い。
ホテルの部屋の中を照らすのは、窓から射し込む月明かりだけ。ダブルベッドの上で川の字になっている少年少女の裸身を、朧気な光が浮き上がらせている。
心地良さ気に寝息を立てている二人の少女……神流と幸手に挟まれている朝霞は、まだ眠れずにいた。眠くはあるのだが、明日の事や他の色々な事柄が頭に浮かんで来て、妙に昂ぶってしまい、寝付けないのだ。
(早く寝ないとまずいのに、何やってんだか)
心の中で自嘲しつつ、喉の渇きを覚えた朝霞は、身体に絡み付いている神流と幸手の腕と脚を、二人を起こさぬ様に身体から外しつつ身体を起こす。その際、神流と幸手の魅力的な肢体が目に映り、少し前までその肢体相手に自分がした行為が、頭に甦ってしまう。
(――あんな事したのも、妙に昂ぶってる原因の一つなのかも。やっぱり、やるんじゃなかった)
思い出すだけでも、より興奮の度合いが高まりそうな記憶を、頭の中から無理矢理追い出しながら、朝霞はベッドから下りる。朝霞は音を立てぬ様に部屋の隅にある冷蔵庫まで歩いて行き、中からオレンジジュースの瓶を取り出す。
程良く冷えた瓶を、朝霞は額に当てる。そうすれば、様々な事を考えてしまうせいで、熱くなっている頭が冷却され、興奮が少しは収まる様な気がしたのだ。
気の持ち様なのか、それとも頭を冷やす事に、頭の興奮を抑える効果が本当にあるのか、それは分からない。だが朝霞自身は、眠りを妨げる昂ぶりが、冷たいガラス瓶に頭を冷やされたお陰で、収まった様な気分にはなっていた。
頭を冷やし終えた朝霞は、冷蔵庫の上に置いてあった栓抜きで栓を抜くと、そのまま瓶に口をつけて飲み始める。爽やかな香りと共に、甘く冷たい液体が舌を楽しませ、喉を潤して行く。
喉の乾きが解消されるのは心地良いし、味も悪くは無い。だが、ロックオレンジをベースにしていはいるが、他の柑橘類や糖類などを混ぜた、微妙に濁りのある味が、朝霞には少し気になってしまう。
(美味いけど、バニラが作ってくれるの程じゃないな。まぁ、瓶詰めのジュースをフレッシュジュースと比べたら駄目か)
ロックオレンジの味がするジュースを飲んだせいか、朝霞はティナヤの事を思い浮かべてしまう。
(今頃、どうしてるんだろう? まだ寝てはいないか……)
遠い天橋市で夜を過ごしているだろう、ティナヤに思いを馳せながら、朝霞はジュースを飲む。
「オレンジジュースのせいで、あのバニラの匂いのする娘の事でも思い出してた?」
突然、そう問いかけられた朝霞は、ジュースを噴出しそうになる程に驚く。声をかけられただけでも驚いただろうが、ティナヤを思い出していたのが図星だったからだ。
声の主は、ベッドに肩肘を突いて横になり、朝霞の方を見ていた神流。
「――あ、悪い。起こしちまった?」
気まずさを誤魔化す様に、朝霞は神流に問いかける。
「人が動いた気配がしたんで、起きちゃった。黒猫だったんだね」
幼い頃よりの修行の賜物なのか、人の気配に敏感な神流は、朝霞の動きを察して目覚めてしまったのだ。
「黒猫は何で起きたの? ジュース飲んでるって事は、喉が渇いたから?」
神流の問いに、朝霞は首を横に振る。
「起きたというより、まだ眠れてないんだ。何か興奮して……目が冴えちゃったみたいで」
「興奮? 黒猫はまだ……し足りなかったの?」
月明かりの下なので分かり難いが、神流は頬を染めつつ上体を起こし、言葉を続ける。
「だったら……してあげようか? 巫女みたいに胸でするのは無理だけど、手か口でなら……」




