表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
175/344

暗躍疆域 43

「――どうして貴方は、飲むと窓から入ろうとするんですかね?」

 窓を開けて飛鴻を部屋に迎え入れたのは、同じ部屋を借りている妖風だった。

「ちゃんと玄関から入って下さいよ」

 呆れ顔で文句を言いながら、妖風はすぐに窓を閉める。天井を這い回る配管を流れる水に、程良く冷やされた部屋の空気を、外に逃がさない為に。

「まーた着てんのか、その長袍ちょうほうみたいな妙なガウン」

 角瓶を窓の近くの机に置きつつ、飛鴻が発した言葉を、妖風は不愉快そうに訂正する。

長袍ちょうほうじゃなくて長袍チャンパオですから」

 妖風が着ているのは、身体の正面ではなく右横に合わせがある、亜細亜襟のガウン。四華州に伝わる、長袍という伝統服に似せて作られた物で、妖風の私物。

 四華州風なのは、妖風のガウンだけでは無い。部屋の設えは全体的に、四華州の伝統的な意匠が多く取り入れられている。

 元々は西欧風の部屋だったのだが、薬幇が入手してから、部屋の多くに四華州風のアレンジが施されたのだ。家具は当然、蓮を象ったランプシェードに、赤い布に金糸で「福」や「寿」などの、縁起の良い東方表意文字による文言が刺繍された壁掛けなどが、四華州風の雰囲気を醸し出している。

 ベッドやソファー……冷蔵庫などは、一般的な物。どうやら四華州風の物が、手に入らなかったらしい。

 イー・ホフ通りは地下街がメインであり、地上の建物は飾りの様な物。地下街への通路を偽装する為に使われていたり、薬幇の者が泊まる為の宿泊所として、その一部が利用されているに過ぎない。

 飛鴻と妖風も、その宿泊所の一室を借りているのだ。四華州風に設えてある部屋が多いのは、薬幇が華南州から流れて来た者達が作った組織であるが故。

「――今夜も酒臭いですね」

 脱いだストローハットとジャケットを、壁際に置かれた枯れ木の様な黒檀製のポールハンガーにかけていた飛鴻に、二つ並んでいるベッドの、窓から遠い方に腰掛けながら、妖風が声をかけた。

「大して飲んじゃいねぇよ、ボトル三本も空けてない」

「十分に飲み過ぎですよ、それ」

 妖風は半目の呆れ顔で、言葉を続ける。

「酒臭い男を相手にしなきゃならない、私の身にもなって下さい」

「酒の臭いくらい我慢しろ。俺は男抱く趣味なんざねぇんだから、素面じゃ出来ねぇって」

 げんなりとした口調で愚痴りつつ、飛鴻はベッドから少し離れたソファーに腰掛ける。

「酔って仕事とか、不謹慎でしょう」

「だったら、酔ってない誰か……不謹慎じゃない奴と代わってくれ」

「それは駄目ですよ。滅魔煙陣は気の味に五月蝿い美食家なんで、貴方くらいの気の持ち主のでないと、ちゃんと動かないんですから」

 当然だと言わんばかりの口調で言い放つ妖風に、飛鴻は疑惑の目を向け問いかける。

「お前……前からそんな事言ってるけど、気に味なんてあるのかよ? 聞いた事ねぇぞ?」

「そりゃまぁ、他人の気を味わう様な宝貝の使い手なんて、殆どいませんし。疑うのでしたら、飛鴻も滅魔煙陣使ってみれば分かると思いますよ」

「滅魔煙陣……お前以外に使える奴いないだろ。仮に俺が使えたとしても、死んでも使わないが」

 自分が滅魔煙陣使う場面を、想像するだけでも恐ろしいとばかりの、飛鴻の口調。

「――まぁ、とにかく日付が変わる前に、滅魔煙陣に気を補充しないといけないんで……」

 壁にかかっている時計を一瞥して時刻を確認してから、妖風は言葉を続ける。

「さっさと服、脱いでください」

 そう妖風に催促されても、気が進まない飛鴻は苦虫を噛み潰したかの様な渋い表情で、背もたれにもたれかかったまま、服を脱ぐ様子もソファーから動き出す様子も見せない。

「早くしないと、明日……滅魔煙陣がツーしか使えなくなりますよ。そうなると、私達本来の役目を果たし難くなると思うんですが、良いんですかね?」

 その問いに、良いなどと答えられる訳が無いのは、問うた妖風も問われた飛鴻も分かっている。答が最初から分かり切っている、問いかけなのだ。

 ハノイに滞在している本来の目的を、果たせる確率が著しく下がる真似など、飛鴻には出来る訳も無い。諦め顔で溜息を吐いてから、覚悟を決めたのだろう、飛鴻はシャツのボタンを外し始める。

 妖風は満足げな笑みを浮かべつつ、楽しげに飛鴻に語りかける。

「最初から素直に、そうすればいいんですよ。選択の余地なんて無いんですから」

「――お前、時々凄く性格悪くなるね」

 立ち上がり、半目で妖風を睨みつつ嫌味を言うと、飛鴻は壁際に移動し照明のスイッチを切る。天井の照明は消えるが、窓から月明かりは射し込むし、宮付きのベッド(ベッドボードが棚の様になっている物)の棚には、華南の壺を象った、白く曇ったガラス製のベッドサイドランプが置かれて、淡い光で室内を照らしている。

 服を脱ぐには程良い暗さとなった部屋の中で、飛鴻は白いシャツを脱ぎ捨て、ソファーの上に放る。

「時々なんですから、我慢して下さい」

 しれっとした顔で、妖風は飛鴻に言い返す。

「それに、貴方が毎度毎度、気の補充の際……無駄に抗いさえしなければ、その時々の我慢すらせずに済むんですし」

 不愉快そうな顔のまま妖風の話を聞きつつ、飛鴻は靴を脱いでベルトを外し、ズボンとトランクス型の下着を脱ぎ捨てると、ソファーの上に放る。シャツ同様に、畳んだりはしない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ