暗躍疆域 33
香巴拉八部衆の二人は、膨大な数の異世界人の記憶を、完全記憶結晶へと変えて、煙水晶界に送り込む事が出来る。だが、可能なのは送り込むだけであり、狙った場所に送り込む事が出来る訳では無く、送り込まれた完全記憶結晶は、煙水晶界の様々な場所に散らばってしまう。
故に世界中を巡って、自分達が煙水晶界に送り込んだ沢山の完全記憶結晶を、八部衆は探し出し、回収し続けている。記憶警察の保管庫を襲撃し、沢山の完全記憶結晶を強奪したのも、その回収作業の一環だった。
朝霞の目の前にある膨大な完全記憶結晶の多くも、様々な世界から香巴拉八部衆が煙水晶界に送り込んだ物。美里の蒼玉も、その一つなのである。
(――明日……絶対に盗み出してみせる)
多数の蒼玉を収納している青い球体を見詰めながら、朝霞は決意をより強くする。元から盗み出す決意は固かったのだが、美里の蒼玉が含まれている様に思えたせいで、決意はより強固となったのだ。
だが、これ以上この場にいても、取り敢えずは意味が無さそうなので、一度イダテンに戻ろうかと朝霞は考え、坑道を移動し始める。直後、頭に一つの考えが浮かび、朝霞は立ち止まる。
(いや、戻る前に……あの魔術が仕掛けられてる糸を、少し調べてみたいな)
見た事が無い魔術の使い方に、好奇心を刺激されたせいもあるが、盗みの本番となる明日のブラックマーケットで、魔術が仕掛けられた糸と相対する可能性もある。故に、一応は情報を得ておいた方がいいだろうとも、朝霞は考えたのだ。
これから此処を去るので、仮に発見されたとしても、全力で迷路の様な坑道を逃げれば、逃げ切れるだろうと、朝霞は考えた。サオトーとサオモック以外には、大した警備体制は敷かれていないので、逃げるのは容易と踏んだ上で。
(石を投げるくらいなら、侵入者だと思われずに落石だと判断されて、騒ぎにはならないだろうし)
鉄鉱石を掘った際、削られたままの岩壁が剥き出しになっている、サオトーの岩壁や天井を見ながら、朝霞は心の中で呟く。朝霞の推測では、糸はおそらく侵入者を検地するセンサーの様なもの。
石を投げれば反応をするだろうが、その上で魔術を仕掛けて利用している側は、落石だと判断するのではないかと、朝霞は思ったのだ。事実、朝霞は地下鉱山跡を巡っている間に、何度か落石を見かけていた。
(――これが良さそうだ)
朝霞は足元に落ちていた、野球ボール大の石を拾い上げる。そして、糸が張り巡らされている範囲の外にいる五名のホプライトが、自分に背中を向けてたタイミングを見計らい、糸が張り巡らされてる辺りを狙って、石を放り投げた。
雲の巣の様に張り巡らされている糸の一部に、朝霞が投げた石が触れる。すると、糸全体が一瞬、閃光を放ったかと思うと、石は粉微塵となり消滅してしまった。
石が触れた辺りの糸は、一際強い光を放ったせいか、まだ仄かに光が残っている。
(何だ、今の?)
一瞬の出来事だったので、朝霞には何が起こったのか分からなかった。だが、何が起こったのかは、警備のホプライトの口から、朝霞は知る事が出来た。
「光ったぞ! 何か引っかかったみたいだ!」
糸全体が光った為、閃光に気付いた警備中のホプライトが、仲間のホプライトに声をかけつつ、糸全体を見渡す。そして、まだ仄かに光っている部分に気付く。
「あそこか! 何が引っかかったのか、調べて来る」
「どうせ、ただの落石か何かだろうし、危ないから止めとけ! ナジャの巣に触ったら、幾ら禁術で防御力上げてるアパッチでも、装甲ごと切り刻まれるぞ!」
声をかけられた仲間のホプライトが、光っている部分に歩み寄って行くホプライトに、警告を発する。
「触りゃしないって! 俺だって死にたくない、ちゃんと巣の外から調べるさ」
魔術式が見えるのだろう、ホプライトは言葉を返しながら、ナジャの巣と呼んだ雲の巣状の糸の、まだ光が残っている辺りに近付き、その下の地面を確認する。地面の上には、砂礫程のサイズに切刻まれた、朝霞が投げた石の残骸が散らばっていた。
「――石だったみたいだな。ただの落石か」
調べ終えたホプライトは踵を返すと、元居た場所に向って歩き出す。
「だから言っただろ、ただの落石だって」
仲間のホプライトが、当然だと言わんばかりの口調で言い放つ。
(ナジャの巣とか言ってたが、触れた物を一瞬で切り刻む糸の結界か。うっかり触れてたら、俺も粉微塵に切り刻まれてたな……危ない危ない)
安易にサオトーに足を踏み込み、ナジャの巣と呼ばれていた糸の結界に触れなかった事に、朝霞は今更になって安堵する。触れていたら、既に朝霞は死んでいただろう。
ホプライト達の会話内容から、糸による結界の名はナジャの巣であり、触れた物を切り刻む物らしいと、朝霞は理解した。
(アパッチってのは、あのネイティブアメリカンの羽根飾りみたいなのを頭につけてる、ホプライトの機種名ってとこか)
サオトーにいるホプライトは、サオモックで朝霞が目にしたのと同じ、頭にウォーボンネットみたいなパーツを装備している、禁術による強化がなされている代物。アパッチという言葉が、蒼玉界におけるネイティブアメリカン関連の言葉と同じ発音である事からも、朝霞はウォーボンネット風のパーツを付けたホプライトが、アパッチだと判断した。
(とりあえず明日、マーケット会場で完全記憶結晶に近付く際は、このナジャの巣とかいうのが有るかどうか確認してからにしないと、まずそうだな)
心の中で呟きながら、今度こそ朝霞は本当にイダテンに戻る為に、坑道を移動し始めた。既に陽は沈んでいるだろう、地上に向って……。




