暗躍疆域 32
(これは……どうしょうもないな、流石に)
朝霞は一目見て、その封印魔術を突破するのは、自分には無理であるのを悟った。どんな魔術だか分からない魔術式が多過ぎる以上、通常の魔術スキルでの解除や無効化は、朝霞には不可能、透破猫之神となって、奪う蒼と与える黒に頼らざるを得ない。
だが、今回は仕掛けられている魔術式の数が、余りにも多過ぎる。奪う蒼で魔術式を奪ったり、与える黒で魔術式を上書きして誤動作させても、魔術式の数が多過ぎて、完全記憶結晶に辿り着くまでに、時間がかかり過ぎてしまう。
サオトー内部も、数名のホプライトが警備しているが、警備警報用の魔術式や魔術機構も、大量に仕掛けられているだろう。時間をかければ確実に薬幇の者達に気付かれるし、気付かれてしまえば、少し前に目にしたばかりの、これまた得体の知れない能力を持っていそうな、禁術や禁忌魔術を使用しまくっている多数のホプライトが、押し寄せて来るに違いない。
交魔法を習得した黒猫団が三人がかりでなら、それらのホプライトを撃退出来るかもしれない。だが、交魔法を使った戦闘の攻撃力は、これまでの比では無いので、激しい破壊を伴う事になる。
地下三百五十メートルの深さの地下空洞で、そんな激しい戦闘を行えば、落盤などが発生する可能性が高い。そうなれば、仮面者となっている自分達は無事で済んでも、地下鉱山跡にいる薬幇の者達に、犠牲者が出る可能性は高い。
(マットチョイだったか、上の馬鹿でかい空洞ならまだしも、ここは戦場にするには狭過ぎるし、深過ぎる)
サオトー内部の広さや、天井の状態を確認しながら、朝霞は心の中で呟き続ける。
(ここで戦って落盤起こせば、連鎖的に他所の坑道や空洞を巻き込んで、犠牲者が出る可能性が高過ぎるな……)
犯罪組織の相手であれ、犠牲者を出すのは朝霞達の流儀に反する。故に、朝霞はサオトーで保管されている間、完全記憶結晶に手を出すのを諦める。
無論、サオトーに保管されている間に、手を出すのを諦めただけで、サオトーから運び出された後に、朝霞は盗み出すつもりなのだ。
(幾ら何でも、ここで取引は出来ないだろうし、たぶん取引の場はマットチョイの筈だ)
朝霞の頭に、地下鉱山跡に侵入してからすぐに目にした、マットチョイの光景が甦る。蒼玉界でいうところのコンベンションセンターなどで開かれる見本市の様に、多数の取引用のブースが設置されていた、マットチョイ内部の光景が。
(それにマーケット当日には、商品チェックしたがる客に応じる必要もあるし、商品の引渡しの必要がある。ここまで異常な数の封印魔術で、守り続けるのは無理な筈)
客に商品のチェックをさせたり、引き渡す必要が無い段階だからこそ、異常な数の封印結界で守る事が出来る。マーケット本番となれば、客の手に商品の現物を渡さなければならない場面も多いので、仕掛けた側ですら解除に膨大な時間と手間がかかる、膨大な数の魔術を駆使したサオトーの様な防御は、不可能だろうと朝霞は考えた。
(つまり、事前に盗み出すのは無理。明日、マーケット本番のマットチョイを襲撃して、盗み出すしかないだろう。あそこなら、相当な戦闘に耐えられる広さがあるし)
サオトー内部の様子を目にした朝霞は、結局タチアナと同じ結論に達した。マーケット当日、本番を狙うしかないという結論に。
朝霞は改めて、アドバルーンの様に宙に浮いている、完全記憶結晶が詰め込まれた球体に目をやる。自然と朝霞の目は、青い球体に吸い寄せられる。
先程、妙な懐かしさを感じた、多数の蒼玉が詰め込まれている球体だ。
(最低でも二千以上……いや、三千以上は余裕か。こんなに沢山の蒼玉を、一度に見るのは初めて……いや、二度目か)
煙水晶界を訪れてから、一度に三千もの蒼玉を目にするのは、朝霞にとって初めての経験だった。それ故、初めてだと思ったのだが、すぐに朝霞は二度目なのに気付いた。
蒼玉界にいる時、二万もの川神市の人々の記憶が完全記憶結晶に変えられて盗まれた際、朝霞は今目にしている以上の蒼玉が、巨大な穴に飛び込んで行くのを目にしていたのを、思い出したのだ。
膨大な数の蒼玉を目にした時の光景が、朝霞の脳裏に甦る。ひょっとしたら、妹の美里の物も含まれていたかもしれない膨大な数の蒼玉が、無数の流れ星の様に飛来して来て、奈落の如き巨大な穴に吸い込まれて行った時の光景が。
(あれだけの数が有るなら、あの時奪われた蒼玉も、含まれている可能性が高いな)
そんな考えが浮かんだ直後、朝霞はふと……美里の顔を思い出す。思い出したのは、朝霞が最期に蒼玉界で目にした、美里の顔。朝霞を含めた家族どころか、自分が誰なのかすら覚えていない、虚ろな目をしていた美里の顔だ。
(美里の蒼玉、ひょっとしたら……あの中に?)
そんな考えが、朝霞の脳裏に浮かぶ。
(だからこそ、あの青い球体を見て、俺は妙な懐かしさを感じているんじゃないのか?)
具体的な根拠など、有りはしない。ただ、目線の先にある多数の蒼玉の中に、美里の物が含まれているかもしれないという考えは、この時朝霞の心に染み付いてしまったのだ……まるで白いシャツに染み付いた、血痕の様に。
そう朝霞が考えたのは、多数の蒼玉を目にして、蒼玉界での事を思い出した結果としての、単なる偶然のせいなのかも知れないし、肉親故の直感なのかも知れない。だが、事実……美里の蒼玉は、朝霞の目線の先にある青い球体の中にある、多数の蒼玉の中に含まれていたのだ。




