大忘却と旅立ちの日 06
二色記憶者という、意味不明な言葉を口にしたアイシャに、朝霞は問いかける。
「二色記憶者? 何なの、それ?」
「記憶の一部を結晶化されて、強奪された人間は、無意識的に……その失った記憶を埋め合わせるべく、外部から記憶を掻き集め、その記憶を失った部分に、取り込もうとします」
二色記憶者についての質問が来るのを、予想していたかの様に、アイシャは切符を懐に戻すと、二色記憶者についての解説図が描かれたフリップを、アタッシュケースから取り出して、朝霞達に見せる。
その解説図には、青色で脳が描かれた、「蒼玉界人」と記されたイラストの周囲に、黒煙のイラストが描かれていた。
黒煙の中には、大きな黒い点が多数描かれ、「煙水晶界の記憶塵」という文字が表記されている。
「皆様方が記憶を強奪された際、蒼玉界と煙水晶界が、魔術的な通路によって繋がれました」
「魔術的な通路ってのは、あの穴の事だな」
大忘却の際、目にした校庭の大きな穴を思い浮かべつつ、朝霞は呟く。
「――だろうね」
幸手が、小声で同意する。
「世界間を繋ぐ魔術というのは、桁外れに大規模かつ高度な魔術であり、確実に膨大な量の煙水晶が消費された筈。そして、煙水晶を消費して魔術を発動すると、火を燃やした時に発生する様な、黒煙が発生するのですが……」
朝霞と神流、幸手の三人は大忘却の際、校庭の穴から大量の黒煙が噴き出していた光景を、思い出す。
「その黒煙の中には、魔術によって消費され損なった記憶結晶が、ごく微細な粒子レベルとなった……記憶塵となり、ある程度含まれています」
煙水晶は魔力に変換する際、変換され損なう比率が他の記憶結晶より高く、変換作業の際に分解されたものの、魔力に変換され損なった記憶結晶が記憶塵となり、黒煙に含まれている的な話を、アイシャは付け加える。
「そして、魔術により世界間の通路が開いた際、魔術に使用された煙水晶の煙が、通路を通って大量に、蒼玉界に流れ込みました」
アタッシュケースから別のフリップを取り出し、アイシャは朝霞達に見せる。
今度は、煙水晶界と蒼玉界にある川神市が、トンネルの様な通路で繋がれ、その通路を通って、川神市に大量の黒煙が、噴出するイラスト風の解説図が描かれていた。
「つまり、皆様方が大忘却と呼ぶ現象が発生した時、この川神市には煙水晶界の記憶塵を含んだ黒煙が、大量に散布されていた訳で、奪われた記憶の代わりに、外部から記憶を掻き集めようとしていた皆様方が無意識の内に、その記憶塵を取り込んだ結果、皆様方は煙水晶界の黒、そして蒼玉界の蒼という、二色の記憶を持つ二色記憶者となったのです」
完全に記憶を奪われてしまった人間は、失った記憶を埋め合わせる為、周囲から記憶塵を掻き集め、記憶を失った部分に取り込もうという機能を失ってしまうので、部分的に記憶を奪われた人間と違い、二色記憶者にはならないのだと、アイシャは付け加える。
「それで、その普通の人間じゃない、二色記憶者ってのになると、どうして私達が煙水晶界に行って、自力で記憶結晶を取り戻せる様になるの?」
部分健忘の発症者である、ブラウスにスカートという出で立ちの、仕事帰りの社会人風に見える若い女性が、アイシャに問いかける。
「二色記憶者は、取り込んだ記憶塵に記憶されていた、様々な情報を利用出来ます。それ故、煙水晶界で問題無く生活する能力だけでなく、様々な能力を得ているので、記憶結晶を強奪した者や、彼等から入手した違法所持者から、自力で回収する事が可能になるんですよ」
その質問を待っていたとばかりに、アイシャは別のフリップを取り出し、朝霞達に見せる。
そのフリップには二色記憶者の得る、大別して五つの能力が、箇条書きにされていた。
「まず、一つ目の能力ですが……それは言語能力です」
紙に記された五つの能力の中で、一番最初に記されていた、言語能力について、アイシャは語り始める。
「二色記憶者として、煙水晶界の記憶塵を取り込んだ者は、その時点で煙水晶界の言語を殆どの場合習得しているので、言語の問題は発生しません。二色記憶者が取り込んだ記憶塵の中には、煙水晶界の言語に関する記憶が大抵、大量に含まれているものなので」
聞いていた者達の中から、アイシャの話を疑うかの様な、ざわめき声が上がる。
「皆様方、私の話をお疑いの様ですね。既に、皆様方は煙水晶界の言語を聴き取っていらっしゃるのに、お気付きでは無いんですか?」
話を聞いて、呆気に取られた様な顔をする朝霞達を眺めつつ、楽しげな口調で、アイシャは話を続ける。
「この場で私は、ずっと日本語では無く、煙水晶界の標準言語……エリシオン語で話していたんですよ」
驚きの声を上げる朝霞達の前で、アイシャは手にしているフリップに書かれた文章を指差す。
「先程から皆様方に見せている、これらの文章も全てエリシオン語ですが、読めますよね? 余りにも自然に、母語の様に読めてしまったから、気付かなかっただけの話で」
「――そんな、バカな!」
朝霞はアイシャが手にしているフリップを、良く見直してみる。
そして気付く、書かれた文章を自然に読み、理解は出来るが、良く文章や文字を確認してみると、普通の日本語の文章では無い事に。
欧州系言語や中国語、日本語や他のアジア圏の言語、その他様々な言語が混ざり合った感じの文章。
日本語や英語風で、意味が理解出来てもおかしくない部分も有るが、全体としては意味が通じる訳が無い筈の文章……にも関わらず、朝霞には当たり前の様に、読めてしまうのだ。
文章を確認したのは、朝霞だけでは無い。
部分健忘の発症者達はフリップの文章を、意識を集中して確認し、ようやく自分達が、気付かぬ程に余りにも自然に、別世界の言語を理解していた現実を自覚し、呆気にとられてしまう。
朝霞自身、自分が気付かぬ間に、そんな変化をしていたと気付き、微妙に背筋が寒くなる。
アイシャが語る、どことなくフィクション染みた話が、現実の話として迫って来る様な圧迫感を、朝霞は覚える。
「どうやら、ご理解頂けた様ですね」
笑みを浮かべて、アイシャは続ける。
「そもそも、エリシオン語の文章を読める皆様方以外、この場に辿り着けない筈ですから。夜空に出した告知も、街や駅の各所に出した告知も全て、エリシオン語で書かれていたのですし」
笑顔のアイシャに対し、朝霞達には反論の余地は無かった。
「そして、それらの告知は……実は、普通の人間には、見る事すら出来ない様に、細工されていたんですが、お気付きでしたか?」
アイシャに問われた朝霞は、コンビニの駐車場で、自分以外には夜空の告知が、見えてすらいなそうだった事を、思い出す。
「我々が出した告知は全て、この二つ目の能力である、魔術能力を持つ人間にしか見えない様な細工が、施されていたんですよ」
アイシャはフリップに記された二番目の能力、魔術能力の部分を指差しつつ、解説を続ける。
「告知が見えたという事は、皆様方が取り込んだ記憶塵の中に、魔術に関する情報が、ある程度以上含まれていた事。そして、その結果として、本来なら長期間の学習と修練により身に付ける魔術的能力を、既に身に付けている事の証明となります」
「じゃあ、俺達……もう魔術が使えるのか?」
朝霞の問いに、アイシャは首を横に振る。
「皆様方の頭の中には、確かに魔術の情報が既に存在し、それは皆様方の魔術的能力を開花させつつあります。ですが、皆様自身が自分の頭の何処に、どんな魔術の情報があるのかを、正確に把握していない為、使えないと考えておいた方がいいですね」
(要するに、本に書かれた文字は読めるけど、どんな本が何処にあるのかが分からないから、自分で本を探し出して読む事は出来ない……みたいな状態なのかな)
そんな風に、朝霞は理解する。その例えは、割と的を射ていた。
「皆様方が、煙水晶界に旅立つ決意をなされたのなら、世界間鉄道への乗車後……煙水晶界に向かうまでに、皆様方が習得なされた魔術を調べ、使用法を教えて差し上げます。車内サービスとして」
アイシャはフリップに記された、三番目の能力に、指先を移動させる。
「車内サービスといえば、三つ目の能力も、車内で調査の上、教えて差し上げる事になります。三つ目の能力とは、魔術同様に煙水晶界の記憶塵を取り込んだ事により習得した、様々な技能や能力です」
記憶塵を取り込んで、魔術的能力を身に付けたのと同様、魔術以外の能力を、同じ方法で身に付けている可能性が高いのだと、アイシャは簡単に説明する。
「――そして、最も重要なのが、二色記憶者のみが身に付けられる、四つ目の能力……仮面者に変身する能力」
五つの能力の内、まだ一つを紹介し終えていないのだが、アイシャは別のフリップを用意し、そちらを朝霞達に見せる。
「記憶結晶を力に換えて、人間を遙かに越える能力を手にした超人……それが仮面者!」
やや芝居がかった調子で語るアイシャは、手にしているフリップに印刷されている、奇妙な仮面を被り、奇妙なコスチュームに身を包んだ者達を、指差す。
それらの写真には、「過去に実在した仮面者達」という文字が添えられている。
「桁外れの身体能力を持っていたり、高度な魔術師ですら実現不可能な、得体の知れない特殊能力を持っていたり、その能力は様々ですが……その戦闘能力は絶大! 記憶警察ですら手を焼く、記憶結晶の強奪に関わる非合法組織を敵に回しても、記憶を取り戻せる可能性は、十分に有るんですよ!」
少し持ち上げ過ぎたと思ったのか、アイシャは強まっていた声のトーンを元に戻し、言葉を付け加える。
「無論、立ち回り次第ですけどね」
仮面者の戦闘能力が幾ら高くても、それが役に立つのは、非合法組織との戦闘の際だけ。
実際に記憶結晶を取り戻すには、その前段階での準備……立ち回りも重要なのだと、アイシャは説明する。
「仮面者に変身する方法や、皆様方の仮面者の能力なども、車内サービスとして、皆様方に教えて差し上げます」
そう言いながら、アイシャは紙芝居の様に手にしているフリップの順序を入れ替え、二色記憶者の得る五つの能力が、箇条書きにされているフリップを、再び朝霞達に見せる。
「そして、五つ目の能力が……引き出された潜在能力。人間というのは本来、その能力の殆どが、様々な理由により制限されているのですが、二色記憶者となった影響として、その制限が身体に危険を及ぼさない限界レベルまで、弛められる様になるんですよ」
本来持ち得る筋力を、全て発揮してしまうと、身体の方が壊れてしまう危険性がある為、人間は普段、出せる上限の筋力をリミッターで抑えている。
普段は、かなり余裕を持ったレベルに設定されているリミッターを、限界ギリギリのラインの設定にする事により、通常の人間では出し得ないパワーや走力、跳躍力などを、二色記憶者は得られるのだと、アイシャは説明する。
リミッターのレベルを限界まで引き上げ、能力が向上するのは、筋肉に関わる事だけでは無い。
五感などの感覚器官も、リミッターのレベルの変更で、能力が著しく向上する。
聴力でいえば、音は聞こえ過ぎると生活するのに不便なくらい、色々な音が聞こえてしまう為、リミッターをかけて、聞こえる音の範囲を、ある程度に絞っている。
このリミッターの設定を変えて、聞こえる音の範囲を広げる事が、二色記憶者には可能になる。
そして、利用出来る潜在能力の種類や程度は、人によって様々なのだと説明した後、アイシャは朝霞達に問いかける。
「この潜在能力を引き出す能力に関しては、皆様方の中にも、既にお気付きの方もいらっしゃるのでは?」
アイシャに問われ、朝霞は思い出す。
大忘却の際、十数メートル離れた場所から、青年達の胸に埋め込まれた球体に記された、小さなマークを視認出来る程に、視力が向上していた事や、オンラインゲームで無敵になる程、視覚や聴覚……反射速度や勘が研ぎ澄まされた事、前は自転車で上がるのがきつかった坂を、楽に上れる様になっている事などを。
(成る程、ああいうのは、二色記憶者になって、潜在能力を引き出せる様になっていたからだったのか)
大忘却の際、黒煙に包まれて以降、様々な能力が向上していた自覚が、朝霞にはあった。
朝霞の近くにいる神流や幸手にも自覚があったらしく、納得するかの様に頷いている。




