暗躍疆域 21
「ま、仮面者になろうが交魔法を使おうが、お前さん程度じゃ、俺には勝てやしないんだが、仮面者相手となると、流石に俺も本気を出さざるを得なくなるし……」
眼下の街並を見下ろしながら、飛鴻は言葉を続ける。
「俺が本気を出すと、ハノイの皆さんに迷惑かけちまうからね。まともに生きてる皆さんの生活ぶっ壊すのは、俺の趣味じゃないんだ」
飛鴻は目線を一時的に、朝霞から妖風に移す。
「お前にアレ使わせて街を守れば、俺も多少は本気を出せるが、あれは極力……使う訳にはいかないからな」
「――分かってるなら、遊んでいないで……さっさと片付けて下さいよ、この鼠が仮面者となる前に」
仲間としては、明らかに手を抜いているとしか思えないのだろう、不満気な口調の妖風の言葉に、飛鴻は少し面倒臭げに頷くと、朝霞に語りかける。
「もう一度言う、明日のマーケットからは手を引け。手を引くなら、ここは見逃してやる」
語りかけながら、飛鴻は再び両手の人差し指と親指で、長方形を形作り、その中に朝霞の姿を捉える。死相算命を始めたのだ。
「――分かった、今回のブラックマーケットからは手を引く、ここは見逃してくれ」
肩を竦めながら、朝霞は敗北宣言ともとれる言葉を口にする。
「いやー、嘘はいかんね。お前さん……手を引く気なんて、これっぽっちも無いだろう?」
飛鴻は呆れ顔で、言葉を続ける。
「口では『手を引く』と言っていても、お前さんの死相は消えていない。『手を引く』というのは、この場を切り抜ける為の、ただの嘘だな」
(――参ったな、片っ端から読まれてる。ここまで厄介な奴には、会った事が無い)
朝霞は心の中で呟きつつ、舌を巻く。飛鴻の言う通り、手を引くというのは嘘だった。
「手を引く気が無いなら、仕方が無い……片脚折っておくか。そうすりゃ、お前さんみたいな無鉄砲な奴でも、暫くは大人しくしてるだろ」
死相算命を行っていた両手を、飛鴻はポケットに突っ込む。
(冗談じゃない! 折られてたまるか!)
胸元に手を突っ込み、蒼玉粒を一粒取り出そうとする。だが、胸元に右手を突っ込んだ直後、ミニボトルの蓋を開ける前に、強烈な衝撃を右腕に受ける。
シャツのボタンが千切れ飛び、右腕はシャツの中から弾き飛ばされる。
(な、何だ? 今の攻撃は?)
警戒はしていた。だが、目には何も映らなかったので、自分が何の攻撃を受けたのか、朝霞には分からなかったのだ。
敵は朝霞が乗矯術を発動する前に、煙水晶粒を取り出す為、胸元に手を突っ込んだのを見ている。朝霞が仮面者に変身するのを警戒した敵は、記憶結晶粒を取り出す為に、胸元に突っ込んだ右腕を狙ったのだろうという事は、朝霞には分かっていた。
(初撃で右腕を狙われた理由は分かるが、どんな攻撃だか分からないんじゃ、対処しようがない!)
朝霞は即座に、警戒レベルを最高に引き上げ、全ての感覚器官を動員し、次の攻撃に備える。すると、薄い影の様な何かが右脚に迫るのを、朝霞の視覚は捉えた。
その影が何なのか、朝霞には分からないが、それが脚を狙う攻撃だろう事を、朝霞は即座に理解する。「片脚折っておくか」という飛鴻の言葉が記憶に残っていたので、初撃は仮面者になるのを止める為、二撃目は脚を狙ったものだろうと、朝霞は察したのだ。
だが、瞬延のレベルには遠いとはいえ、神経を集中して、動体視力を徹底的に引き上げているからこそ、薄い影として何とか見えているだけの状態。その薄い影の本来の速度は、乗矯術発動中の朝霞が、空中でかわせる様な速さでは無い。
(速過ぎるから、ちゃんと見えないんだ! 俺の動体視力でも!)
避けられぬ程に異常に速い攻撃を、自分が受けているのを察した朝霞は、避ける選択肢を捨て、攻撃が迫る方向とは逆側に飛ぼうと思う。即座に背中の翼が反応し、灰色に光る粒子を右側に噴出する。
要するに、攻撃と同じ方向への運動エネルギーを得て、おそらくは打撃技だろう右脚への攻撃の威力を、少しでも殺ごうとしたのだ。そして、その判断と策は、功を奏した。
右太腿に、朝霞は強烈な衝撃を受ける。身体ごと左方向に弾き飛ばされる程の強い衝撃を、朝霞は左太腿に食らってしまった。
激痛が全身を駆け巡り、左太腿の骨が嫌な軋み方をするが、骨が折れたり皹入ったりは、しないで済む。当たる寸前に左側に体を流せたので、かなり威力を殺げたお陰だ。
(――こりゃ、地上に降りた方がいいな。今のは何とか威力を殺せたが、不慣れな空中戦で、どうにか出来る相手じゃない! 変身する暇も与えちゃくれないだろう!)
地上に身体が叩きつけられるのすら厭わないとばかりに、朝霞は全速力で急降下を始める。大量の光の粒子を上に噴出し、一瞬で地上スレスレまで降下すると、即座に噴出方向を下に切り替え、勢いを殺して着地する。
かなり強引な急降下と急制動を行ったので、身体に酷い負荷がかかり、全身の骨が軋むが、気にしている場合では無い。
(変身しないと!)
まだ少し痺れている右手を、朝霞は開いた胸元に、突っ込もうとする。だが、動体視力を引き上げたままの視覚が、右腕に迫る薄い影を捉えたので、今度は避けるべく後方に飛び退く。
空中よりは慣れている地上、蹴れる足場もあるので、空中よりは素早く回避出来ると思った朝霞は、威力を殺ぐだけでなく、回避を狙ったのだ。だが、それは甘かった。
(痛ッ!)
飛び退いても回避し切れず、朝霞は右腕を弾かれてしまう。蒼玉粒を取り出すのを止めるだけが目的なのか、蒼玉粒を取り出すのには失敗するが、朝霞は後に残る様な深刻なダメージは負わない。
(また、脚を狙って来る筈!)
脚の周囲に意識を集中、全ての感覚を総動員し、朝霞は自らに迫り来る攻撃を察知しようとする。だが、攻撃は察知出来ず、正面……五メートル程の辺りに、いきなり出現した飛鴻の姿を捉える。
ポケットに両手を突っ込み、以前からそこにいたとしか思えない程に、飛鴻の佇まいは自然だ。




