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大忘却と旅立ちの日 05

 零番ホームの列車の最後尾がある方から、その人間……女性は歩いて来た。

 身体のラインがはっきりと出る、濃紺のタイトな制服に身を包んだ、エキゾチックな顔立ちをした褐色肌の女性で、大きめの黒いアタッシュケースを手にしている。


 その女性の後ろには、台車を押しながら、紺色の制服に身を包んだ若い男女が十名、ついて来ている。

 台車の上には、黒いスーツケースが幾つも積まれている。


 制服姿の者達は、朝霞達から五メートル程離れた辺りで立ち止まり、姿勢を正す。

 代表者だろう、三十路に見える褐色肌の女性が、朝霞達に向かって、良く通る声で語りかけ始める。


「――世界間鉄道運営機構の告知に応え、お集まり頂き、有難う御座います……記憶強奪事件の被害者の皆様方。私は世界間鉄道運営機構……蒼玉界支部に所属し、川神駅駅長を務める、アイシャ・バルレオラと申します」


 褐色肌の女性……アイシャ・バルレオラは、朝霞達に向かって礼儀正しく一礼する。

 台車を押して来た者達も、アイシャの背後に二列となって整列し、一礼する。


 朝霞を初めとする、部分健忘発症者達も、アイシャ達の礼に応える様に、頭を下げる。

 だが、アイシャ達とは違い、タイミングも頭の下げ方も不揃いで。


「我等……世界間鉄道運営機構とは、正当な理由があり、別の世界に移動する必要性を有する者を、世界間鉄道によって、別の世界に移動させる為の組織であります」


 アイシャは毅然とした口調で、話を続ける。


「先日、この世界……蒼玉界において、大忘却と呼ばれている大規模記憶喪失者発生現象が発生したのは、その当事者である皆様なら、御存知でしょう」


 朝霞達は、アイシャの話に頷く。


「あれは、偶然発生した現象などでは有りません。蒼玉界とは別の世界……煙水晶界の者達が起こした、大規模記憶強奪事件なのです」


 集まっていた部分健忘の発症者達は、アイシャの話を聞いて、ざわつき始める。

 かなり荒唐無稽な話になってきたので、そうなるのも無理は無い。


「そういえば、夜空のメッセージにも書いてあったな、この世界における記憶強奪事件の被害者……みたいな事が」


 夜空に表示されたメッセージの文面を思い出しながら、朝霞は呟く。


「まず、この写真を御覧下さい」


 アイシャはアタッシュケースの中から、タブロイド版程の大きさのフリップを数枚取り出して、その中の一枚を皆に見せる。

 透明感のある素材で出来た、それぞれ別の色を帯びている、八種類の球体が映し出された写真が、フリップにはプリントされていた。


 赤に青、橙に黄、緑に藍、そして紫という虹の七色に、黒を加えた合計八色、八種類の球体。

 その中の青い球体を目にして、朝霞達は驚きの声を上げる。


「その青いのは、大忘却の時の!」


 最もアイシャに近い場所にいて、声を上げた朝霞に応える様に、アイシャは大きく頷く。


「この写真に写っているのは、完全記憶結晶。人間の記憶を結晶化した記憶結晶の中で、人一人分の記憶全てを結晶化した物が完全記憶結晶であり、単純にぎょくと呼ばれる場合もあります」


 アイシャは左手で持つ写真に映った、青い完全記憶結晶を、右手の人差し指で指し示す。


「そして、皆様方……蒼玉界の人間の記憶を、完全記憶結晶化した物が、この青い完全記憶結晶……蒼玉。我々が皆様方の世界を蒼玉界と呼ぶのは、住んでいる人々の完全記憶結晶が、蒼玉だからなのです」


 説明を聞いている者達の頭に、大忘却の際、自分の回りにいた者達の体が青く光り始め、その光が集まって蒼玉となった光景が、甦る。

 その場にいた部分健忘発症者達は皆、自分以外の人間から、蒼玉が発生する場面を、目にしていたのだ。


「記憶結晶は、人間の精神エネルギーや生命エネルギー……そして情報が程好く混ざり合った存在で、魔術や魔法と呼ばれる技術において、とても良い燃料となり……」


 アイシャは写真に映し出された、黒っぽい完全記憶結晶を指差しつつ、続ける。


「住民達の完全記憶結晶が煙水晶(玉を付ける場合もあるが、煙水晶の場合は語呂が悪く、略される場合が多い)である事から、煙水晶界と呼ばれる、魔術文明を発展させた世界において、記憶結晶は主な燃料として利用されています」


 ここで、アイシャは記憶結晶が魔術式により、魔力というエネルギーに変換されてから、魔術に使われる事を付け加えてから、紙芝居でもしているかの様に、フリップを次のフリップと入れ替える。


「――しかしながら、結晶化された記憶は、人間から失われてしまう為……」


 次のフリップには、玉となっている煙水晶と、煙水晶を数個に砕いた感じの結晶体、そして豆粒や胡麻粒の様に小さい煙水晶の欠片などが写った写真が、プリントされていた。

 アイシャは煙水晶を数個に砕いた感じの結晶体を指差しつつ、話を続ける。


「完全記憶結晶である玉や、かなりの量の記憶を結晶化した欠片である記憶結晶片きおくけっしょうへん……皆様方の蒼玉の場合は蒼玉片、煙水晶の場合なら煙水晶片けむりすいしょうへんと呼ばれる様な物は、魔術の燃料としての利用は当然、作り出す事すら禁じられています。記憶を結晶化され、失う人間のダメージが大き過ぎるので」


(成る程、記憶を全て結晶化されて、蒼玉として盗まれた連中が、全健忘を発症し、俺みたいに部分的に結晶化されて、蒼玉片として盗まれた連中が、部分健忘を発症した訳か)


 大忘却の際に全健忘を発症した、蒼玉を出現させた他の生徒達とは違い、自分からは欠片……蒼玉片が出現していたのを、朝霞は思い出す。


「――ですが通常、煙水晶界においては、魔術の燃料には事欠きません」


 アイシャは、豆粒や胡麻粒の様に小さい煙水晶の欠片に、指先を移す。


「理由は、この記憶結晶粒きおくけっしょうりゅう、蒼玉の場合は蒼玉粒、煙水晶の場合は煙水晶粒けむりすいしょうりゅうが存在するからです」


「その記憶結晶粒っていうのは、記憶を結晶化された人間に、ダメージを与えないの?」


 そう問いかけた幸手に、アイシャは答える。


「人間の脳には、眠っている間に不要な記憶を選択し、消去する機能が有ります。この眠っている間に不要だと選択された記憶を、消去される前に結晶化した物が、この記憶結晶粒」


「つまり、無駄に消える筈の記憶を結晶化させたのが、その記憶結晶粒って奴だから、人間の方にはダメージが無いという訳ね?」


「ええ、人が眠っている間に、無駄に消去される記憶が結晶化され、記憶結晶粒が生み出される世界なのです、煙水晶界は。そして……人々が日常的に生み出す記憶結晶粒だけで、煙水晶界で必要とされる魔術の燃料は、十分に賄う事が可能なのです」


 更に、人間が死んだ場合などに、遺される記憶結晶粒の合法利用について、アイシャは付け加える。

 煙水晶界で人が死んだ場合に、煙水晶が遺されるのだが、完全記憶結晶や記憶結晶片などは、遺族が保存しておく場合が多い。


 だが、記憶結晶粒状態の煙水晶粒は、大抵市場で売買されるなどして、結果として魔術の燃料として合法的に利用される場合が多い……といった内容の事を。


「ところが、それでも法を破って他者の記憶を強奪し、完全記憶結晶や記憶結晶片を作り出し、手に入れようとする犯罪者は、後を絶たないのが現実でして……」


「その犯罪者に記憶を奪われた被害者が、俺達って訳か」


 朝霞の言葉に、アイシャは頷く。


「煙水晶界の政府は、記憶強奪事件の解決を目的とした組織、記憶警察きおくけいさつを設立し、犯人の逮捕と、強奪した記憶結晶を回収して結晶化を解き、記憶を被害者の方々に返還する事を目指し、捜査活動を行っています」


 記憶結晶が写った写真のフリップを後ろに回したアイシャは、今度は折れ線グラフがプリントされているフリップを、朝霞達に見せる。


「ですが、煙水晶界の組織である記憶警察は必然的に、煙水晶界の人間が被害に遭った事件の解決を優先する為、蒼玉界などの別世界で行われた記憶強奪事件の捜査を、疎かにしてしまう傾向がありまして……」


 折れ線グラフは、煙水晶界での記憶強奪事件と、煙水晶界の人間が他の世界で起こした記憶強奪事件を、記憶警察による犯人検挙率や記憶結晶の回収率において、比べた物だった。

 一目見て、煙水晶界での事件の方が、検挙率も回収率なのが分かる程度に、両者には明確な差が見て取れた。


「犯人検挙率は三割以下、記憶警察による記憶結晶の回収率は二割以下、比較的価値の低い記憶結晶片に限れば、一割程度というのが現実ですね、別世界からの記憶強奪事件の過去のデータを、分析した結果では」


 アイシャの話を聞いて、その場にいる者達は騒然となる。

 自分達や、自分達と関わる全健忘の発症者達の記憶は、戻らない可能性の方が圧倒的に高いと言われた様なものなのだから、騒然とするのは当たり前だ。


「煙水晶界の者が起こした犯罪なのに、他世界の者の救済が疎かにされるというのは、著しく不公正であるというのが、世界間鉄道運営機構は認識です」


 騒然とする部分健忘の発症者達に、アイシャは話を続ける。


「故に、あらゆる世界及び組織に対し、中立的立場をとっている我々が、例外的な措置として、他の世界の被害者を救済する為に行動を起こしました。今回が初めてという訳ではなく、以前……大規模な他世界からの記憶強奪事件が、発生した際に」


「救済する為の行動って、記憶警察の代わりに、世界間鉄道運営機構が記憶結晶を回収してくれるのか?」


 後ろの方にいた、部分健忘の発症者の男が、アイシャに問う。


「いえ、我々に出来るのは、基本的には世界間を移動する必要が有る者に、その力を与える事だけですから」


 アイシャの答えを聞いて、朝霞の頭の中に、夜空に浮かんだメッセージの文面の一部が甦る。

 その一部とは、「この世界における記憶強奪事件の被害者となった皆様方の中で、自力で自分や……大事な人の記憶を取り戻そうという意志のある皆様方は、川神駅零番ホームにおいで下さい。世界間鉄道運営機構は、皆様方に協力を惜しまぬ所存です」という部分。


「夜空の告知に、『自力で自分や……大事な人の記憶を取り戻そうという意志のある皆様方』って、書いてあったな。要するに、俺達が自分で煙水晶界に行って、自分や……自分以外の誰かの記憶を取り戻す気があるのなら……」


 朝霞は、零番ホームに停車したまま、煙突から仄かに黒煙を吐き出している、蒸気機関車風の汽車が牽引する列車を指差しつつ、話を続ける。


「世界間鉄道運営機構は俺達を、そいつで煙水晶界まで、連れて行ってくれるって訳だろ?」


「その通り、察しが良い方がいて、助かります」


 問いかけた朝霞に向けて、アイシャは微笑む。


「世界間機構は、自らの……そして自分と同じ世界の者達の記憶を取り戻す為、煙水晶界に向かうという目的を、世界間を移動する正当な理由と認定し、煙水晶界までの往復切符を、記憶強奪事件の被害者に対して、発行する事を決定しました」


 懐から取り出した、何の変哲も無い感じの二枚綴りの切符を、アイシャは朝霞達に見せる。

 二枚の片道切符の組み合わせで、往復切符となっているのだ。


「――でも、煙水晶界の専門組織である記憶警察ですら、回収するのが難しいのに、俺達みたいな普通の人間が、煙水晶界に行けたとしても、取り戻すのなんて無理だろ? 違う世界なら、使ってる言葉だって違うだろうし」


 誰かの問いに、その場にいる部分健忘の発症者達は皆、同意するかの様な声を上げたり、頷いたりする。


「いいえ、可能です」


 自信を持った口調で、アイシャは言い切る。


「何故なら、皆様方は既に、普通の人間では無い……二色記憶者バイカラーなのですから」

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