暗躍疆域 17
(さっきの技か! あれはやばかったが……最初の脚払いを、安易に跳ばずにかわさなければ、大丈夫な筈!)
脚力任せの強引な形であれ、一度は破った技ではあるし、鋭い連携技ではあるが、技の流れを知っていれば、今の朝霞には対処法はある。朝霞は怯む事無く、出入口に立ちはだかる男との間合いを、詰めて行く。
そして、朝霞が間合いに入った直後、男は後掃腿を放ち、朝霞の両脚を刈ろうとする。階段よりも平たい足場で放つ後掃腿は、鋭く速い。
朝霞は今度も、後掃腿の脚払いを、跳んでかわず。だが、階段の時とは違い、軽くでは無く……三メートル程の高さがある天井に届く勢いで、跳躍したのだ。
「!?」
後掃腿から旋風脚に切り替える際、頭を後ろに向け朝霞の位置を確認した男は、天井に貼り付いているかの様な朝霞の姿を視界に捉え、驚きの表情を浮かべた。その上で、想定以上に高く跳んで避けた朝霞を、旋風脚で叩き落す為に、軸足である左脚に全力を込めて、回転しながら跳躍する。
時計回りに回転しつつ、急上昇する男と、天井を蹴って急降下して来る朝霞が、空中で激突。朝霞の左の肘打ちが、男の右脇腹辺りに、ヒットする形で。
男の旋風脚が回り切り、蹴り脚が朝霞の方を向く前に、朝霞が天井を足場にして跳び、放った肘打ちが当たったのだ。今回は強引な力任せではなく、読みで上回る形で、朝霞は男に競り勝ったのである。
強烈な肘打ちを食らった男は、出入口のドアに向って、弾き飛ばされる。木製のドアは砕け散りはせず、蝶番が壊れる形で、店の外に男と共に、吹っ飛ばされてしまう。
男は何とか受け身を取り、深刻なダメージを受けるのを防いだものの、流石に限界を迎えたのだろう、路上に仰向けに倒れたまま、起き上がる様子を見せない。男は意識を失ったのだ。
「ヴァンタン!」
悲痛な女の声が、通りに響く。先程、先生方を呼びに行く為、地上に上がった白いアオザイ姿の、若い女だ。
地味に整った顔立ちの女は、ヴァンタンと呼んだ、朝霞に倒された男……グェン・ヴァンタンに駆け寄ると、心配そうにヴァンタンの様子を確認する。武術の心得があるのだろう、ヴァンタンが深刻な身体的ダメージを受けていないのを確認し、安堵の表情を浮かべる。
「――へぇ、ヴァンタンを倒すとは、鼠にしちゃ……中々の腕らしいな」
女の後から歩いて来た男が、ヴァンタンを見下ろして、やや驚いた様に呟く。白い麻のスーツを、ノーネクタイで胸元を開いた白いシャツと共にラフに着こなし、蒼玉界でいえば、パナマ帽に似た感じの白いストローハットをかぶっている、二十代中頃から後半といった感じの男だ。
東洋人風の顔立ちだが、肌は陽に焼けて色黒で、全体的に濃い印象。緊張感の無い……惚けた感じの二枚目半に見えるのは、やや垂れ気味の目のせいだろう。
素足のまま履いているスニーカー風の白い靴は、麻のスーツに不似合いではあるが、動き易さを優先した上での、ミスマッチという所だろう。丈がやや短いパンツの裾と、靴の間から覗いている男の足は、鍛えられた……明らかに武術家の足。
「大した事は無いと思うが、さっさと医務室に連れて行ってやんな」
白いスーツの男は、ヴァンタンを抱き起こしている女に、言葉をかける。
「分かりました、後は先生方にお任せします」
女はヴァンタンを抱き抱えると、その場を歩き去って行く、ヴァンタンを抱えて、医務室に向ったのだ。
先生方……と女が呼んだ通り、この白いスーツの男は先生の一人である。そして、先生では無く、先生方である以上、先生は一人ではない……二人いた。
先生と女に呼ばれていた、もう一人の人物……四華州の武術家が好んで着る華武服姿の若い男は、ドアが外れた出入口の方に目をやっていた。ヴァンタンを倒した者が姿を現すだろうと、注視しているのだ。
冷たく整った女と見紛う顔立ちに、うなじの辺りで結われた、黒く長い髪。蒼玉界でいうところの功夫服に良く似た、白い華武服に身を包んだ身体の胸が、膨らんでいない辺りが、男性である証と言えるのだが、女性にしか見えない見た目。
煙水晶界の男性としては、標準的な身長の白いスーツの男より、背は僅かに高いが、年齢は少し若く見える。二十歳を過ぎたか、二十代前半といった年頃。
美しくも鋭い目線を、出入口に注いでいた白い華武服の男は、外の様子を探る様に、出入口の壁に隠れ、外の様子を窺っている朝霞の存在に気付く。そして、やや高めの通りの良い声で、朝霞に声をかける。
「――そこの鼠、隠れているのは分かっています。さっさと出て来なさい」




