暗躍疆域 15
自分から攻めには転じられない男は、朝霞の意図が読めないのだろう。やや戸惑った風な表情を一瞬だけ浮かべるが、すぐにその表情を消し、舞花棍に専念。
如意電撃棍が空気を切る、何処か笛に似た音だけが響く、階段前の広い空間。既に朝霞と男の間合いは、一メートル強と、素手でも打ち合いが始まって、おかしくは無い程に詰まっていた。
間合いを詰めながらも、男の手の動きを徹底的に観察し、頭に叩き込んでいた朝霞は、この段階に至り、間合いでも計っているかの様に、左腕を前に突き出し、左掌を男に向ける。だが、この朝霞の動きは、間合いを計るものでも攻撃でもなく、一瞬……男の視線と意識を、左掌に集める為の誘いの動き。
男が如意電撃棍を握る部分を変えた直後……おそらく、最も如意電撃棍の動きの軌道を変え難いタイミングの直前に、その誘いの動きを朝霞は仕掛けていた。
(今だッ!)
高い威力は必要無いので、いわゆる「ため」は作らず、利き足である右足で床を蹴ると、蹴った勢いを利用して身体を回転させつつ、右足を前に突き出し、シンプルな前蹴りを放つ。常人を越えた脚力を持つ朝霞の場合、このシンプルな蹴りは……近距離であれば、抜刀術の様に、まさに目にも留まらぬ程に速い。
朝霞は意識を、徹底的に男の手に集中し、蹴り足の先端を……男の手に誘導する。回転する如意電撃棍の、中心辺りを握る左手の甲に、朝霞の右足先端が迫る。
意識を僅かに左掌に誘導されていた男は、この速い蹴りに対処出来ない。正確に……まさに電光石火の速さで迫る蹴りの軌道から、左手をずらす事すら不可能。
結果、朝霞の右の前蹴りは、男の左手の甲を直撃。足先から伝わって来る確かな手応えに、朝霞は心の中で喝采する。
(捉えたっ!)
即座に蹴り足を戻しつつ、男の状態を朝霞は視認。蹴りに弾かれたのだろう、左手は宙を泳ぎ、如意電撃棍は右手にだけ支えられ、既に大輪の花を描く様な軌道を失い、ただ空を切っている状態。
「――馬鹿な? 無影脚だと?」
舞花棍を破られた男は、驚きの表情を浮かべ、体勢を立て直そうとしながら、言葉を続ける。
「いや、近くはあるが……その域に非ず!」
自分に言い聞かせるかの様に、言葉を吐きながら、男は空を切っている如意電撃棍を、右手だけで引き戻そうとする。左手は動かそうとしていない、骨が砕かれた訳では無いが、痺れて……動かないのだ。
(チャンスっ!)
男が口にした「無影脚」という、意味の分からない言葉の意味が、少し気になりはしたのだが、気にしている場合では無い。朝霞は身体の正面が、がら空きになっている男に向けて、追撃を行わなければならない。
朝霞は体を落として床を蹴ると、まだ体勢を立て直し終わっていない男との間合いを一瞬で詰め、その腹部に強烈な左肘打ちを放つ。だが、狙い通りには当たらない。
肘打ちを読んだ男は、背後に飛び退き、肘打ちをかわす。だが、その飛び退いた先は、既に階段……通路よりは狭い階段の中だ。
地上に通じる階段は、階段にしては幅があるとはいえ、如意電撃棍を使って戦うには、狭過ぎる。しかも、左手は痺れたまま、満足には使えない状態。
男の表情に、明らかな焦りの色が浮かぶが、それでも退く様子は無い。更に間合いを詰め、階段に入って来た朝霞を相手に、右手だけで操る如意電撃棍での攻撃を仕掛ける。
だが、階段の狭さは、明らかに朝霞に有利をもたらしていた。男が如意電撃棍を振るうには狭く、攻め手は突きに限られてしまうのだが、朝霞が突きを避けるには、十分な幅と高さがあるのだ。
しかも、男の左手は、いまだに使えない状態。右手だけでの速度と安定性が下がった突きで、朝霞を仕留められる訳も無い。
男が放った突きを、あっさりと見切ってかわした朝霞が、瞬時に階段を数段飛び越して間合いを詰め、打撃を食らわせようとする。その打撃をかわす為に、男は飛び退いて階段を上がる……そんな事を繰り返し、男は追い込まれてしまう、隠し扉の手前まで。
焦りと悔しさが入り混じった表情を浮かべ、男は朝霞を見下ろす。これ以上男は、退く訳にはいかない場所まで、追い込まれているのだ。
この段に至り、男は……既に通用しないと分かった如意電撃棍を縮め、腰のホルダーに戻す。そして、腰を落としつつ右脚を後ろに伸ばすと、時計回りに身体を回転させる。
男の伸ばした右脚が、一瞬で朝霞の足元に迫る。階段という不安定な足場にも関わらず、それを感じさせない、鋭過ぎる脚払いが、朝霞の足元を刈らんと迫る。




