暗躍疆域 13
程無く、回廊で守りを固めていた、濃紺のアオザイを着た若い女が、悲鳴を上げながら吹っ飛ばされて来る。地下街の二階回廊と、地上への階段の間にある、学校の教室程の広さがある空間に、女は倒れ込み、何とか受け身を取る。
だが、そこに突進して来た朝霞に、回し蹴りで蹴り飛ばされ、地下街の一階に通じる階段を、悲鳴を上げながら転がり落ちて行く。いわゆる、階段落ちという状態。
朝霞の姿を視認し、男は声を上げる。
「来たか!」
朝霞の方も、行く手を阻む男の存在に気付く、その男に見覚えがある事にも。
「――アジトの出入口にいた奴じゃん! 先回りしてるとは……しつこいな」
面倒臭そうに呟いた朝霞に、男は如意電撃棍の端を手にしながら、前に踏み込み、リーチの長い突きを放つ。アジトの出入口で目にした、戳棍と同じ動作。
リーチの長い突きではあるが、戳棍は朝霞にはギリギリ届かない。だが、その広めの攻撃範囲を示すかの様な戳棍に、朝霞は一度……足を止めざるを得ない。
男は右脚を曲げて左脚を伸ばし、両脚を弓の様な形で開く、弓歩という形にする。そして、間合いやタイミングを計るかの様に、左腕を前に突き出し左掌を朝霞の方に向け、右手で如意電撃棍の太くなっている先端部分……杷端を握り、細くなっている梢端を上に向ける。
棍は通常、片方の端が太くなっていて、杷と呼ばれている。逆に細い方の端は梢と呼ばれる。
右腕は背中の後ろに伸ばされていて、その多くが男の身体に隠されている。上を向けられているので、その先端が身体からはみ出ているとは言え、傾いている如意電撃棍の長さは、前方にいる敵……朝霞からは、計り辛い構えだ。
この棍を身体の後ろに回す構えの名は、背棍。弓歩の背棍なので、弓歩背棍というのが、男の構え。
「――武器は現地調達……と」
朝霞は辺りを見回し、階段の前で進路を塞ぐ男に、投げ付けられそうな物を物色する。すると、ここにも植木鉢の観葉植物があった。
ガジュマルに似ているが、葉が大きいゴムの木だ。朝霞はゴムの木に駆け寄り、バットの様に太い幹を掴むと、男に向けて勢い良く投げ付ける。
焦げ茶色の土を撒き散らしながら、ゴムの木は男に迫る。このゴムの木に対処する隙を突き、男を進行方向から排除するというのが、朝霞の狙い。
これまでの薬幇の者達には、皆この手が通じた。だが、目の前にいる男は……これまでの相手とは違い、そこまで甘くは無い相手であった。
鋭い気合と共に、男は後ろに回していた如意電撃棍を、回転させつつ一瞬で掲げ、前に出していた右手を上に上げて、如意電撃棍の中段(棍の中央部分)を掴む。これら一連の動作は、頭上の雲に棍の動きを例え、雲棍という。
雲棍で回転させ……スピードと威力を上乗せし、右手を支えに左手で、正面を横に薙ぎ払う様に、男は如意電撃棍を振るう……撥棍という動きに繋いだのだ。風切り音と共に、稲妻を放つ如意電撃棍が……迫り来るゴムの木を、一撃で破砕する。
投げ付けられた物に対処する瞬間に生まれる隙を、突くつもりだった朝霞は、破壊されたゴムの木の後ろで、如意電撃棍が届かない筈の間合いを取り、身構えていた。飛び散るゴムの木の破片など、霧雨に如かずと気にもせず。
だが、そんな朝霞の目は、自分の身に迫り来る如意電撃棍の先端を捉える。常人を越えた動体視力の持ち主である朝霞でなければ、捉え切れなかっただろう速さで、如意電撃棍は朝霞の身に迫っていた。
(え? 間合いの外に、いた筈なのに?)
朝霞は焦りながら、背後に飛び退く。紙一重で如意電撃棍の攻撃をかわすが、飛び散る僅かな稲妻のスパークが左腕に触れ、痺れ……というよりは、衝撃を受ける。冬に静電気を帯びたドアノブに触れ、弾ける様な音と共に感じる痛みを、遥かに強化した感じの苦痛も、同時に感じる。
だが、後に引く類のダメージでは無い。
(飛んで来る木に対処……排除するだけでなく、木と一緒に俺を仕留めるつもりの攻撃……ギリギリでかわせたが、危なかった)
攻撃を終え、再び弓歩背棍の構えを取っている男を見据え、朝霞は考える。
(でも、何で間合いを読み違えたんだ? 如意電撃棍の長さは、ちゃんと把握……)
把握していた……と、心の中で呟こうとして、朝霞は気付く。如意電撃棍は、長さが変えられる武器である事に。
(如意電撃棍を、伸ばしたのか! でも、何故気付かなかったんだ?)
朝霞は考えながら、弓歩背棍の構えを取る男を睨む。そして、その構えにおいては、背後に回した如意電撃棍が、身体で殆ど隠されている上、傾いているらしく、リーチを読み難いのに、朝霞は気付く。
(――成る程、この構えは武器のリーチが、読み難いんだな。この構えで如意電撃棍を伸ばされても、俺には気付けない)
その読み通り、男は弓歩背棍に構えている間に、如意電撃棍の長さを五割近く、伸ばしていたのだ。
(だから、俺は最初の突きで、如意電撃棍のリーチが、あの程度だと思い込んだままだった……いや、違う! 最初の突き自体が、俺に如意電撃棍を伸ばす前の長さで、リーチを把握させておく為の、仕掛けだったんだ!)
ようやく、男の仕掛けた攻撃の全体像を、朝霞は理解する。最初の撥棍は言わば罠、如意電撃棍を伸ばす前のリーチを、朝霞の心に刻みつける為の仕掛け。
その上で、手にした武器のリーチを把握し難い、弓歩背棍という構えを取りながら、密かに如意電撃棍を伸ばす(如意電撃棍は、攻撃中には長さを変えられない)。そして、回転させて威力を増した如意電撃棍による打撃で、おそらくは間合いのギリギリ外にいるだろう朝霞を、ゴムの木ごと薙ぎ払って倒すというのが、男の目論見だった。
撥棍や弓歩背棍という、四華州の武術の技や構えの名称を、朝霞は知らない。だが、男が行った一連の攻撃の意味は、正確に把握する事が出来た。
ただ、把握した今だからこそ、朝霞は悟れるのだ。自分が明らかに、戦いにおいて相手に読み負け、やられる寸前まで追い込まれていたのを。




