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暗躍疆域 02

 包み終えたバイン・ミーを朝霞に手渡し、代金を受け取ってから、店員は神流に話しかける。

「あーでも、そっちのお兄さん……じゃなくて、お姉さんは、止めた方がいいね」

 年齢は店員の方が上だと、朝霞には思われるのだが、背の高さのせいだろう、お姉さんと呼んだ神流の腰を指差し、店員は話を続ける。

「物騒な物ぶら下げたまま、イー・ホフ通り入ったら、用心棒連中や……警備してる薬幇ヤンパンの連中と揉めるから」

 店員の指先にあるのは、神流が腰のソードベルトにぶら下げている、長刀と脇差。ハノイは刀剣の類は所持規制が無いので、神流は一応、二刀を装備していたのだ。

 素手であっても、神流が遅れを取る様な相手など、普通の人間であれば、この世界には殆どいないも同然なので、朝霞は無用だと止めたのだが。

「ヤンパン?」

 意味の分からない言葉だったので、問いかけた朝霞を、店員は手招きする。そして、近寄って来た朝霞の耳に、屋台越しに唇を寄せる。唇が耳に、触れそうな程に。

「イー・ホフ通りというか、ハノイの裏社会を仕切ってる組織の名前が、ハノイ薬幇、みんな薬幇って呼んでる」

 店員は耳元で囁き、薬幇についての説明を続ける。

「華南の方からハノイに流れて来た、元々は薬屋だった連中から始まった組織で、薬屋の業界団体みたいな意味の、華南の古い言葉が、そのまま組織名になったって話だよ」

 右手の人差し指を筆として、左掌を紙として、店員は「薬幇」という文字を綴り、朝霞に見せる。

「最近では『やくほう』って、瀛州読えいしゅうよみする人もいるけどね」

 薬幇の「ヤンパン」という発音は、四華州しかしゅうと呼ばれる、華東州、華西州、華南州、華北州の四州と、四華州の流れを汲む地域でのものであり、瀛州では「やくほう」と発音する。

 東方表意文字の発音は、地域によって発音に差があるのだ。瀛州における発音……いわゆる瀛州読みは、発音がシンプルで分かり易い為、四華州と四華州の流れを汲む地域以外だと、瀛州読みが広まっている地域が多い。

 ちなみに、薬幇の「(パン)」とは、四華州における、同業者団体や同郷出身者の団体などを意味する言葉で、瀛州読みでは「ほう」となる。元の意味から転じて、秘密結社や犯罪組織などにも使われるケースがある。

 店員の詳しい説明で、朝霞は薬幇がどういう存在なのか、理解する。四華州の一つである華南州から流れて来た薬屋達が、ハノイで薬屋の幇……薬幇を結成したが、それが時を経て、薬幇という名のまま、ハノイの裏社会を牛耳る犯罪組織となり、イー・ホフ通りを本拠地としているという事を。

「成る程、良く分かったよ。色々と有り難う」

「なんのなんの、お買い上げ有り難うねー!」

 アオザイ姿の店員は、歩き去って行く朝霞達を、手を振って見送る。

「――顔、近過ぎ」

 雑踏を歩きながら、神流が不機嫌そうに、ぼそりと呟く。

「何の話?」

 問われた神流は、朝霞の耳元に唇を触れんばかりに寄せ、囁く。

「さっきの耳打ち」

 どうやら、屋台の店員に耳打ちされた時、顔が近過ぎたのを見て、神流が妬いたらしいと、朝霞は気付く。その嫉妬心を解消する為に、自分も同じ様に、耳打ちをした事にも。

 流石に気にし過ぎだろうと、少し呆れつつも、神流の機嫌を取る為、朝霞はバイン・ミーを差し出す。

「食べる?」

 神流は頷き、バイン・ミーを受け取ると、不機嫌そうに顰めていた表情を綻ばせ、包み紙を剥いて、バイン・ミーに齧り付き始める。

(いい匂いだな、俺も後で食べるか)

 バイン・ミーから漂って来る、肉と魚醤ぎょしょうの匂いを嗅ぎながら、朝霞は心の中で呟く。屋台を中心に、色々な店の店員から、話を訊く為、色々な物を朝霞達は買い、結構な量を食べている。

 ハノイ名物といえるジャンクフードを、二人とも五人分以上を平らげているのだが、まだ腹には余裕があった。神流は元々、かなりの大食いだったのだが、身体を鍛え続けたせいか、朝霞も神流に近いレベルの大食家となってしまっている。

「六人、同じ通りの名前出したし、イー・ホフ通りで間違い無さそうだな」

 朝霞の言葉に、神流は頷く。これまで訊いて回った中で、アオザイの店員含めて、三人がイー・ホフ通りの名前を出していたのだ。

 ポケットの中から、小さな地図を取り出し、朝霞はイー・ホフ通りの場所を確認する。ハノイの繁華街は、四十八までの番号が振られてあり、今現在朝霞達がいるスターウ通りは、二十三番通り。

 地図上ではイー・ホフ通りは、四十二番通りと記されていた。ちなみに、ハノイという州都の名同様に、ハノイ内の地名もエリシオン統一言語の表音文字で、表記されている場合が多い。

「――遠くは無いし、俺はイー・ホフ通り直行して調べるけど、姫はどうする?」

 神流の腰に下げられた刀を指差し、朝霞は問いかける。

「可能性は低いとはいえ、一応は名前が出た、メイ・モック通りの方を調べとく」

 一人だけ、三十八番通りであるメイ・モック通りを上げた人が、朝霞達が訊き回った中にいたのだ。朝霞の見ている地図を覗き込みながら、神流は続ける。

「終わったら、イー・ホフ通りの近くにある、給水塔の近くで待機しとく。やばそうなら加勢するが、まぁ……余計な騒ぎは起こすなよ」

 朝霞は地図をポケットに仕舞いつつ、返事をする。

「分かってるって。じゃあ、後で!」

 雑踏の中、二人は別々の方向に分かれる。バイン・ミーを食べながら、神流は魔術機械類を扱う店が多い、メイ・モック通りに向って歩いて行く。

 朝霞は裏社会の組織、ハノイ薬幇が仕切るイー・ホフ通りを目指し、雑踏を進む。相変わらず強い陽射が、濃く短い影を落とす道を歩き、朝霞は人ごみの中に姿を消す。



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