河内夜曲 01
窓の外に見えるのは、目に痛い極彩色のイルミネーション。建ち並ぶ……殆どが二階建ての建物の群は、景観に気を使うつもりは無いとばかりに、デザインに統一感が無く、雑然とした印象だ。
幅が広い道路は、自動車だけでなく、古臭い馬車や、観光用らしい自転車方式の人力車までもが、多数行き交っている。交通法規がどうなってるのか、理解に苦しむ走り方をする車が多い。
自動車の音に、酒場が垂れ流しているらしい生演奏の音楽。陽が沈んだばかりだというのに、既に出来上がっている酔っ払いの喚き声に、痴話喧嘩中らしい女の金切り声と、開け放たれた窓から飛び込んで来る音は、バラエティに富んでいる。
道を行く自動車が立ち上らせる、夜なので黒く見える煙は無臭。だが、肉料理らしい屋台から立ち上って来る黒い煙は、煙くはあるが香ばしい香りが混ざる、本物の煙。
テラスなどという、気の利いた物は無い安ホテル。窓枠に腰掛け、繁華街の景色を眺めながら、朝霞はシャワールームが空くのを待っていた。部屋の方から聞こえて来る水音は、幸手と神流がシャワーで汗と汚れを洗い流している音だ。
ハノイに着いた朝霞達は、滞在中の拠点とする為に、駐車場が完備されていて、飛び込みで連泊出来るホテルを探した。条件に合い、部屋と駐車場が空いているホテルを探し、ハノイの各所を巡った挙句、陽が落ちてから辿り着いたのが、三十六番街と呼ばれる繁華街にある、この「シンチャオ」という安ホテル。
ホテル名の由来が、越南の古い挨拶の言葉であるらしいシンチャオで、朝霞達はダブルベッドの部屋を一部屋借り、三人で泊まる事にした。ホテル代に金はかけられないし、安全対策としても、同じ部屋に宿泊した方がいいので、同室で泊まるのも、何時も通り。
越南の古い言葉といえば、地名のハノイ自体も、そうらしい。大河の河口近くにある事から、河の内側という意味の言葉が、そのまま地名になったそうだ。
エリシオンにおいて、地名は通常、蒼玉界における漢字に良く似た、東方表意文字で表記される。エリシオンで使用されている統一言語は、様々な文化圏の言語の要素を、掻き集めて作られたのだが、地名の表記は東方表意文字にするのが、統一言語の基本仕様となった。
それ故に、世界中の地名の殆どは、漢字に似た東方表意文字で表記されている。越南州のハノイは、その例外の一つだ。
以前はハノイも、河内と東方表意文字で表記されていた。だが、都市名の表記を河内にして以降、天災や内乱、他州による占領など、様々な不幸に襲われた為、住民の間から、河内という表記は縁起が悪いという声が上がった。
結果として、河内という東方表意文字による表記は廃止されたのだが、既に越南州で昔から使われていた言語の使用者は減っていた為、エリシオン統一言語の表音文字による、ハノイという表記で、落ち着いたのである。
「――ここのシャワー洗い難いよ、水圧弱くて」
シャワールームに繋がる脱衣所から、ドアを開けて姿を現した幸手が、朝霞に声をかける。白いバスローブ姿で、濡れて艶がある髪は、結われておらず下ろしっ放しだ。
まだシャワー音が続いているのは、神流が身体や髪を、洗い流しているからだろう。
「窓……閉めた方が、涼しいんじゃない?」
バスタオルを髪の毛先に当て、水気を吸い取りながら、幸手は壁や天井のパイプに目線を送る。壁に埋め込まれてすらおらず、剥き出しになっている金属製の多数のパイプには、汲み上げられた冷たい地下水が流れていて、室温を下げている。
地下水を利用した水冷式のクーラーが、このホテルには設えてある。壁や天井の見た目は悪いが、真夏の様に暑いハノイの場合、見た目よりは涼しさの方が重要だ。




